ー イチの恋 ー

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ー イチの恋 ー

「ゴォ、早く学校に行くよ!」 毎朝イチの第一声で僕の1日が始まる。僕と同じ高校へ行くイチは、家の玄関の前で近所中に響くほど大声で叫ぶ。この近所の間では、イチの大声は風物詩のようなものになっていた。 ただ朝が弱い僕にとって、イチの甲高い大声が頭に響いて地味に辛い。 「本当にゴって朝が弱いよね。 鈍臭いんだから」 イチは隣の家に住んでいる幼馴染み。彼女とは幼稚園から高校まで一緒だから、なんだかんだで10年以上の付き合いになる。中学までならまだしも高校まで一緒になることはないだろ? 「何で? 何で高校になってもゴと同じ学校に行かなくちゃいけないよ!」 イチは4月生まれで僕は3月生まれ。今でこそ僕の方が体は大きいが、子供の頃はイチの方が遥かに身体が大きかった。子供の頃の1というのは、まるでショートケーキとホールケーキくらいの差はある。だから幼稚園の頃からイチは僕のことを弟、いや家来にしか思っていない。 「ゴォ、早く幼稚園に行くよ! 私について来な!」 それでも身体が小さくイジメられていた僕のことを、イチは疾風のように現れて助けてくれた。どこかで拾っきた木の棒をいつも振り回し、腰には銀紙と段ボールで作ったヒーローベルトを身につけていた。近所に住んでいる子供たちの中で、この激しい性格の女ヒーローに歯向かう者など誰もいなかった。 イチにはいつも決めゼリフがある。 「この私がお前を守ってやる!」 昔テレビでやっていた戦隊ヒーローシリーズにとても影響されやすいイチであった。そして近所では、いつも一緒に遊んでいた僕たちのことをイチとゴで『イチゴコンビ』と呼んでいた。イチゴコンビだなんて、正直僕は恥ずかしかった。 こんな激しい性格のイチでも、高校に入ってからすぐ恋をする。その恋の相手というのは僕と同じ野球部だった大きい男のサンだ。『野球部だった』というのは、イチが恋をしていた時のサンは肩をケガをして野球部を辞めていた。そしてイチが学園祭の時に演劇を企画した理由は、何を隠そうサンと付き合いたいというイチの下心だった。 「ゴ、お願い。 私の一生のお願いを聞いて!」 僕が仕方なく学園祭の演劇を引き受けたのは、イチから恋の相談をされていたからなんだ。一応イチの恋の願いを叶える為にサンを演劇に誘ってみたけど、当然サンも演劇をやるのを嫌がっていた。 「え、嫌だよ。 なんで俺が演劇なんかやらなきゃならねぇんだよ」 「イチ、いや衣智子がお前を演劇の企画に入って欲しいって。 圭三は主役だって」 「よし、慎吾。 それなら条件がある」 イチの恋愛の事なのに、何故か僕のゲーム機を1ヶ月間貸すという条件でサンは演劇を引き受けた。その後すぐ僕の隣の席に座っているナナにも演劇へ誘うと、ナナはあっさり決めてくれた。 「衣智子の演劇に私が? うん、いいよ」 ハイスクール奇数組を結成して早くも1週間が経とうとしていた。僕たちは演出家イチに言われるがまま毎日練習をしていた。そして練習を繰り返すたびにイチとサンの距離が縮まっていった。 「サン、演劇上手いじゃん! あんたひょっとして演劇の才能があるんじゃない?」 「そ、そうかぁ。 ハッハッハ!」 気が強くて口が悪いあのイチが、優しい笑顔をしながらサンと仲良くなっている。そんな淡い青春のような恋をしているイチのことを、僕は遠くから暖かく見守っていた。 「ちょっとゴ、何私のことをジロジロ見てんのよぉ。 よそ見してないで早くセリフを覚えなさいよ」 そしていよいよ学園祭の日となり、我々ハイスクール奇数組が演劇を発表する時がやってきた。他校の生徒や保護者がたくさん集まって、学園祭はとても賑わっていた。 僕が部室で演劇に使う小道具の準備をしていると、イチは疾風のように現れて、 「ゴッ! この学園祭が終わったら私はサンに告白するぞ。 じゃっ!」 と、好き勝手なことを言ってまた疾風のように去っていくイチの後ろ姿に、僕は小さく呟いた。 「イ・チ・が・ん・ば・れ」 ハイスクール奇数組の演劇が無事に終わった。イチ以外3人の演劇なんて所詮素人だから、演劇の中身なんてボロボロなのは想定内。だけど演劇をやりきったという達成感で皆んな満足していた。しかもあの性格の荒いサンが演劇の主役にハマっていたというからとても意外だ。 「ひょっとして俺は野球部より演劇の方がむいてるかもしれんな。 ハッハッハ!」 10月の夕焼けが校舎を真っ赤に染めた時、イチはサンの姿を必死に探していた。 「サンはどこ、サンはどこ? え?」 校舎の上からイチが見たものは、違う学校の女子とイチャイチャしながら廊下を歩いているサンだった。 イチはサンにバレないように壁に隠れ、溜息をつきながらその場を離れた。 「はぁ、そういうことかぁ」 それからイチは学校から立ち去り、トボトボと寂しく歩きながら家に帰った。そんなことも知らずに先に帰ってゲームをしていた僕の所に、イチからの連絡があった。 「イチ、どした?」 「あのさ、話しがあるから公園まで来てくれる?」 いつもは声がデカいイチなのに、今はなんだか暗くて弱々しい。僕は少し心配になってイチが待っている近所の公園へと走って行った。暗くて人気のない夜の公園に着くと、そこには1人でブランコに揺れているイチの姿があった。 「おおいイチィ、大丈夫かぁ?」 「ゴ、あのね・・・」 暗い顔をして落ち込んでいるイチは、サンが別の学校の女子と一緒にいたことを僕に話した。それからイチは急に夜空を見上げ、星に向かって大声で叫んだ。 「ああ、私フラれちゃったぁ」 「いやいや、イチはサンにまだ告白してないんだから別にフラれてはいないだろ?」 「あ、そうか」 イチは下唇を噛みしめながらしばらく沈黙して、珍しく愚痴を言った。 「でも、告白してフラれた方がまだマシかも・・・うああん!」 いつも強気で負けず嫌いのイチが、まるで水風船が破裂したかのように突然泣き出した。僕の前でこんなに泣き叫ぶイチなんて今まで見たことがない。たぶんサンに告白さえ出来なかった自分自身に悔しくて泣いているのだろう。 「ま・ず・い」 男はこういう時、泣いている女子に向かってどう言って慰めたらいいのだろうか。突然イチから公園に呼び出されてきたから、ハンカチも無ければティッシュも無い。 しばらく考えた僕は何を血迷ったか落ちている木の棒を慌てて拾い、急いでジャングルジムの上までよじ登った。そして持っていた木の棒を高く掲げ、泣いているイチに向かって大声で叫んだ。 「今度は俺がお前を守ってやる!」 ちょっとダサいけど、これは僕なりの励ましだった。しばらくして泣いていたイチは、このダサい僕を見ながらやっと笑ってくれた。 「バーカ! ゴ・・・ありがと」 それから僕たちは夜空に輝く星屑の下で、学園祭でやった演劇をもう一度繰り返しながらいつまでも笑っていた。 子供の時に言われて恥ずかしかったあのイチゴコンビは、今もなお健在なのである。
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