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ー ナナの手紙 ー
「ゴ、ちょっと話しがあるんだけど・・・」
同じクラスのナナは僕の隣の席に座っている。ナナはクラスの女子グループに入っていく性格ではなく、いつも1人で本を読んでいたりスマホで何かの音楽を聞いている大人しい女の子だ。かと言って暗い性格という訳でもなく、クラスの中では『不思議ちゃん』というキャラクターだった。
「後で学校の屋上に来てくれない?」
ナナとは学園祭の演劇でしばらく一緒に練習をしていたから、前よりは親しくなったつもりだった。だけど改めてナナと2人だけで話しをするなんて、たぶんあの時が初めての事だったと思う。いや、僕にはナナと2人だけで話することなんて出来なかった。
実は僕、ナナのことが好きなんだ。
「ゴ、おはよう。 今日は天気がいいね」
毎朝挨拶をしてくるウグイスのようなナナの優しい声は、野球部で疲れている僕の身体を癒やしてくれた。ナナのその挨拶を聞きたくて学校に来ていると言っても過言ではない。どっかの誰かさんのように、毎朝玄関先で怒鳴っている大声とは全く比較にならない。
「ゴォ、早く学校に行くよ! 鈍臭いんだから」
でも岡山への引っ越しが決まって神奈川から離れてしまうのが分かっていたから、僕はナナに告白できないままモヤモヤな日々を過ごしていた。
そんなある日、クラスの皆んなの前で岡山へ転校することを発表した後にナナから「来てくれない?」と呼び出された。他の友達からは転校についていろいろ聞かれたけど、まさかナナまでそんなことを言われるとは思ってもみなかった。
僕はちょっとドキドキしながら屋上へ行くと、ナナは鉄柵に捕まりながらどこか遠くを眺めていた。
「ゴォ、岡山へ転校しちゃうんだね」
「うん、そうなんだよ。 急に決まってね」
「修学旅行も一緒に行けないなんて、私なんか寂しいなぁ」
「え?」
普段は大人しいあのナナから「寂しい」なんて言われるとは思ってもみなかった。その時の僕は、胸の奥からドクッドクッという重低音の振動を感じていた。するとナナは爽やかな笑顔で言った。
「あのさ、岡山へ転校する前に2人だけで遊ばない?」
え、もしかしてナナは僕のことを?
ひょっとして遠距離恋愛もあり?
そんな男子特有の妄想の世界が、僕の頭の中をグルグルと駆け巡る。しかしその喜びの感情をグッと抑え、冷静を保ったふりをしながら言った。
「うん、いいよ。 遊ぼ!」
「ありがとう。 じゃあ、時間と場所は後で連絡するね」
ナナはニコッと笑いながら、まるで3月の春風のように走り去って行った。ナナとのこの短い会話の時間は、僕にとって至福のひとときとなった。
ちなみに屋上からナナの姿が見えなくなった後、僕が大きくガッツポーズを取ったのは言うまでもない。
「よっしゃあぁ! ナナとデートだぁ!」
それからずっとニヤニヤしながら家に帰ると、隣に住んでいるイチが玄関の前でスマホを見ながら座っていた。
そして僕の顔を睨みながら、
「なぁにニヤけてんだよ。 キモい」
「あれ? イチ、どうしたの?」
ナナからデートに誘われて少し浮かれ気分になっている僕を、あの感の鋭いイチが見逃すわけがない。
「お前、なんかナナと屋上に行ったろ?」
「別にいいだろ? ほっとけよ」
「なぁんか怪しい、その間の抜けた顔」
僕の顔は単純で分かりやすいのだろうけど、イチの直感は恐ろしいくらいによく当たる。
イチは力強い声でズバリ、
「あのね、ナナはやめた方がいいよ」
「なんだよ、いきなり。 イチだってサンのことを諦めて、すぐに佐々木先輩と付き合ったじゃん」
「佐々木先輩とは・・・もう別れました!」
「あ、それは失礼。 でも俺だって少しくらい浮かれてもいいだろ?」
「あ、そ。 別にいいんだけど」
イチは「さよなら」も言わず自分の家に入って行った。それからイチはナナの件について何も言わなくなった。
よく晴れた日曜日。この絶好のデート日和に僕は心から神様に感謝した。ナナと指定された場所で待ち合わせをした後、中華街でランチを食べて映画を見て、公園でいろいろな話しながら横浜のデートを満喫していた。
「ゴ、次はあそこに行こ!」
クラスではいつも1人で音楽を聞いている大人しいナナが、こんなにお喋りで明るい子だとは思わなかった。時々風と共に運ばれるナナの甘い香りが、僕の脳の中を刺激する。そしていつの間にか辺りは暗くなると、僕たちは光り輝く横浜の大観覧車に乗った。
この夜の観覧車の中で、僕はナナに告白しようと決めていた。
『ナナ・・・僕は岡山へ行ってしばらく遠距離になるけど、高校を卒業したら必ず東京の大学に来るよ。 だから僕と付き合ってくれない?』
この完璧なセリフが頭の中でリフレインしている。観覧車の中に入ったナナはしばらく黙って座っていたけど、まずは僕の方から話しを切り出した。
「なんか夜景がキレイだね」
「う、うん。 キレイだね」
「今日は天気良くてよかったね」
「う、うん。 天気良かったね」
よし、今だ!
「ナナ・・・僕は岡山へ・・・」
「ゴはいつ引っ越しするの?」
僕があのセリフで告白しようとした同じタイミングで、ナナは悲しそうな顔をしながら僕の目をジッと見つめてきた。
「もうすぐかな? お父さんだけ先に岡山に行っちゃったから、あとの家族はたぶん3月末だと思う」
「そうなんだ」
それからまた沈黙が続くと、ナナはバッグからある物を取り出した。
「はい、これ」
「ナナ、これは?」
渡されたのは可愛らしい1通の手紙だった。
僕はその手紙を持ったままナナの目を見つめ、またあのセリフを言おうとした。
「ナナ・・・僕は岡山へ・・・」
するとナナは急に恥ずかしそうな顔をしながら下を向き、聞き取れないくらい低い声で僕に言った。
「この手紙を・・・ゴのお兄さんに渡して欲しいの」
「へ、兄貴に?」
「私ね、ゴのお兄さんの追っかけをしていたの」
「追っかけぇ?」
実は僕の兄貴はロックバンドをやっていた。まだアマチュアだけど地元では結構人気があるバンドで、兄貴はバンドのリードボーカルをしていた。どうやらナナは、だいぶ前から兄貴の追っかけをしていたらしい。
その弟である僕がナナの隣りの席になったのは、ただの偶然というか神様のイタズラとしか思えない。
「ああ、そうなんだ。 分かった、帰ったら兄貴にこの手紙を渡しておくね」
「本当に? ゴ、ありがとう!」
「いやいやぁ! アハハハ・ハ・ハ・・・」
僕は顔で笑いながら、心の中では地の果てまで落ちて行った。さっきまであんなに妄想の世界で気持ち良くなっていた自分が、今ではとても恥ずかしい。
「おいおい、そういうことかよ」
それからナナと横浜で別れた後、僕は暗い夜道の中をトボトボと歩いていた。ナナが好きなのは自分ではなく兄貴だったという現実があまりにもショックで立ち直れない。すると、帰り道の途中にある公園から誰かの声が聞こえてきた。
「おおい、バカゴォ! ナナとのデートはうまくいったかぁ?」
夜の公園に響くあのバカデカい声は、1人でブランコに乗っているイチだった。僕はその声に最初はビックリしたけど、イチの顔を見たら途端泣きそうになった。
「イチィ、ダメだったよ」
それから観覧車で起きたナナとの出来事を、ブランコに揺られているイチに話しをした。
「あぁ、やっぱりねぇ。 私はナナがゴ兄ぃのことが好きだってことをずっと前から知ってたよ」
「え、マジで?」
イチは僕の兄貴のことを、昔から『ゴ兄ぃ』と呼んでいる。それからイチはブランコから高く飛び降りると、まるで体操の選手のようにYの字にポーズを決めた。
「そのことをあんたに言おうとしたら、アホみたいにニヤけてるからなんかムカついてやめたんだよ」
「ナナが俺の兄貴のことが好きだって、イチは前から知ってたのかよ?」
「その事はサンも知ってるし知らないのはゴだけだよ。 あんたは本当に昔から鈍臭いねぇ」
「なんだよ、知らないのは俺だけかよ」
イチは情けない顔をしている僕をチラッと見ながら、
「でもまぁ、あんたは私と同じじゃない? ナナに愛の告白はしてないんだから、別にフラれてはいないでしょ」
「そりゃそうだけど、あの時のイチの気持ちがすごく分かるよ」
イチは僕の肩を軽くポンポンと叩きながら、
「まぁまぁ。 岡山へ引っ越しするまではこのイチ様がいろいろ面倒みてあげるから、君は安心したまえ」
「え、マジで?」
「冗談だよ、バーカ!」
「・・・フフフ・・・ハハハ!」
僕たちは誰もいない真夜中の公園でいつまでも笑っていた。イチの雑で大きい声はナナの優しい声とはぜんぜん違うけど、イチといるとホッとするのは僕にとってイチは特別な存在なのだ。
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