第二部

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「はい、ちょうどお預かり。またいらっしゃい!」  二人分の食事を受け取って、僕は販売のおばさんに小さく頭を下げた。鼻を掻きながら、僕はバッグに受け取ったものを入れて、商店街を出ようと歩き出す。  今日の天気は晴天で、雲自体もあまりない快晴だった。ここまで晴れることもあまりなかったから、少し気分がいい。すれ違う人々は、久々の天気に気分を良くしているようだ。アルビオン王国自体はブリタニアに対して劣勢だが、市民にできることは少ない。こうやって日々の生活を謳歌するくらいしか、やれることはないのだ。  奴隷商人たちを倒してから、実に一週間が経過していた。商人たちのアジトを脱出した後、僕は予定通りベンとしばらく行動を共にすることにした。ベンは祖国に帰るために、僕は生きていくために。ベンは僕に仕事を紹介してくれると言ったが、その仕事場へ行くためにも、まずは移動費を稼ぐ必要があった。そのために、しばらくこのアルビオンで働くことにしたのだ。スラムの一角にある廃屋を寝床として、僕たちは生活している。  ベンは人種で目立ってしまう僕のために、寝床でできる仕事を割り当ててくれた。それはとても地味な武器密造の仕事だったが、給金は悪くない。ベンも僕と同じ仕事をしながら、アルビオンを出るためのお金を稼いでいた。  ベンはとても頼りになって、優しい男だった。出会った当初は痩せこけていたが、食事を摂れるようになってからは、王城にいた騎士に負けずとも劣らずなほど、丈夫そうな身体に戻った。彼の図体では細かい密造の作業はちまちましていて不向きそうだったが、真面目に手伝ってくれる。そんな彼にこの世界の良心を感じながら、僕は生活していた。今はベンと自分用の昼食を買いに出ていたところだ。あまり良い物は食べられないが、生活自体は充実していた。  僕は商店街を抜けて、スラム街に入る。この一週間で、街の構造を大体把握していた。スラムは民度が低いが、暮らし自体は楽にできるので、そう悪いところでもない。前は奴隷商人に捕まるというミスを犯したが、今回はベンがいるので何となく安心感がある。そもそも、僕は奴隷商人たちを殺したことで、この街で唯一の奴隷販売屋を崩壊に追い込んだらしい。  奴隷商売と言うのは、この世界では犯罪に当たるものらしいが、儲かるので陰で隠れてよく行われているようだった。僕が今行っている武器密造もその類だ。アルビオン王国では奴隷商を禁止していたが、スラム街が存在するように、やはり法自体は行き届いていないようだった。僕がその奴隷商のトップたちを殺害したようなので、組織自体が空中分解したらしい。  話を戻すが、僕が奴隷商人たちを抹殺したことで、この街に少し平和が戻ったようだ。全くそんなことを念頭に置いて動いていたわけではないのだが、物事は結果論である。結局僕は奴隷たちを解放した英雄としてスラム街で語られることになり、この通りでは何故か一目置かれていた。スラム街での人攫いは深刻だったようで、自分の子どもを誘拐されたという奥さんも多いらしい。だからこの通りでは、僕が通りかかるたびに感謝を伝えてくる人たちがいる。人を殺して感謝を告げられるのは複雑な気分だが、でも少し、自分が存在してもいい人間なのではないか、という気分になれて悪くない。僕は自分の価値というものを探し続けていた。今まで僕は不要な人間だったから。しかし今は僕に感謝をしてくれる人がいる。それだけで十分だった。  それ以上に、今の僕にはベンがいる。彼は僕を相棒として認めてくれたようで、とても仲良くしてくれている。僕はそれがとても嬉しかった。日本にいた時は、友達というものが一人もいなかったから。しかし、今は親友と呼べる仲間がいる。それだけで、王城を追い出されたけど、転生した甲斐があったというものだ。  スラム街を通って、僕は何人かに声をかけられた。そのどれもが僕に感謝を伝えるもので、そもそもみなあまり生活に余裕がないにも関わらず、色々な食料を分けてくれたりした。流石に自分で稼いだお金があるので辞退したが、それでもと食料を譲渡してくれる。僕は本当に感激する気持ちになって、何度もお礼を告げて頭を下げた。  そんなこんなで重くなったバッグを抱えながら、僕はスラム街の一角にある廃屋に辿り着いた。僕は入り口の前で溜息を吐いて、扉をノックする。すると扉の向こうから歩いてくる音がして、扉の前でその音が止む。 「合言葉は?」  その声を聞いて、僕は呆れた。 「メルジャムパンと果実ジュース。全部君の大好物だよ」  そう告げると、勢いよく扉が開いた。奥にはもちろん、ベンの姿がある。 「待ってました! 早く食おうぜ」  そうニカッと笑うと、ベンは廃屋の奥へ戻っていった。  廃屋の中に入って、僕はリビングの机にバッグを置いた。部屋の奥の方には作業台があり、武器の類が置かれている。廃屋ではあるが、少し掃除しただけで生活できるくらいにはなった。そもそも廃屋自体を放棄したのが最近だったのだろう。だから廃屋という言葉以上に綺麗ではあったため、改修は簡単だった。 「作業の方はどう?」  ベンに尋ねると、彼は僕が置いたバッグの中身を取り出しながら、 「順調っちゃ順調だな。期限には間に合いそうだ」  確かに買い物に出かける前よりかは作業の方も進んでいるようだった。武器密造の仕事は期限が意外と厳しく、成果によって支払われる報奨金が増減するので、あまり手を抜くことはできない。しかし今のところでは、期限に間に合わないという心配はなさそうだった。  ベンはメルジャムパンを掴むと、それを口いっぱいに頬張る。きっと細かい作業で疲れていたのだろう。繊細な作業には集中力が必要とされるので、精神的に疲弊してしまうことが少なくない。そこで甘い食べ物や飲み物というのは、身体に糖分を補給してくれるので、作業の合間にはもってこいだ。 「この調子だと、あと一週間くらいで目標金額貯まりそうだな」 「本当?」 「ああ、この地味な作業ともおさらばだ。故郷に帰ったら、もっとやりがいのある仕事紹介してやるから、楽しみにしとけよ」  笑顔のベンに頷き返して、僕もパンを食べようかと思った時だった。  廃屋の入り口の方で、物音が聞こえた。僕とベンは顔を見合わせて、頷き合って武器の方へ向かう。緊急用に常備していたナイフを持ち、物音を立てないように息を殺す。ベンも両刃の剣を握りしめて、緊張した様子で息をのんでいた。  物音的に、恐らく廃屋のドアが破られた音だ。侵入者で間違いないだろう。このスラム街で生活するうえで一番注意しなければならないことは、盗賊の類だった。スラム街には盗賊が多く存在していて、奴隷商の次にタチが悪いことで知られている。真昼間から家に入ってくるとはあまり考えにくかったが、最悪の場合戦闘になる可能性があった。僕たちは顔を見られないようにフードを被り、接触するその時を待ち続けている――。  足音が聞こえた。それは一人だけのものではない。何人も廃屋に侵入してきているようだ。それに加えて――なんだこの音は? 金属が擦れ合うような音。この響き、どこかで聞いたことがあるような――?  作業台の後ろに隠れていると、その音の正体たちはリビングに顔を出した。  身長二メートルを超す大男たち。彼らは白い甲冑に身を包んでいて、その荘厳さに息が詰まりそうだ。見間違えるはずもない。彼らはアルビオンの騎士たちだ。  騎士たちはリビングの内部を見回すと、大きく声を上げた。 「ジュン殿、いらっしゃいませんか? おかしいな、ここにいると聞いたんだが……」  そんな言葉を口にした。今更、アルビオンの騎士が僕に何の用だというのだ。僕は唇を噛むと、ベンが怪訝そうな表情を向けてくる。 「お前、騎士と知り合いなのか?」  ベンの問いに対して、どう答えようか少し迷ってしまう。王国の勇者であったなどというのは、少し気が引けてしまうからだ。そんなことを考えていると、 「――ん? そちらの作業台の後ろにいるのは、誰か?」  騎士から声がかかった。どうやら勘付かれたようだ。別に捕まえに来たわけでもなさそうなので、僕は渋々顔を出すことにした。 「――はい。僕です」  フードを外して顔を見せると、騎士たちは口々におぉ、と歓声を上げた。 「お久しぶりです、ジュン殿。お元気でしたかな?」  なんだか親しげに尋ねてきたが、そもそも僕は追い出された身だ。そんな風に優しく声をかけてもらう筋合いはない。 「何の用ですか?」  そもそも、騎士たちは廃屋だからといっても、ノックなしの上に土足で上がり込んできた。ここは仮ながらも、僕とベンの家だ。だからそのような不躾な行為に対して、少し反感が生まれていた。  騎士たちは僕のそんな気持ちを知らないのであろう。うんうんと頷きながら、 「ジュン殿、朗報です。アルビオン王が、あなたをもう一度召還したいと仰せです。王城の方に戻られてください」  僕は一瞬、騎士の言ったことが理解できなかった。王城に戻れと言ったか。こいつらは、一体何を言っているんだ? 王城から僕を追い出したのはアルビオン王のはずだ。なのに、なんで今更。僕は猜疑心を隠す気がなくなっていった。 「聞きましたよ。この街の奴隷商を壊滅させたとか。王城も城下町の奴隷産業には手を焼いておりましてね。まさかあなた様が関わっていようとは。いや、お見逸れ致しました」  騎士たちは口々に僕を称賛する言葉を口にした。しかしその言葉は、どこか空虚なものに感じられて、僕は言葉通りに受け取ることができない。  王城に戻れと言った。しかし僕はもうスラム街で認められているし、ベンという親友がいる。今更勇者として王城に帰って、ブリタニアの連中と戦う気は毛頭なかった。スラム街とベンは、僕が努力して手に入れた居場所だ。それを失うことは、今までの苦労を無駄にすることと同義だ。だから僕は、騎士の言う通りに王城へ戻る気はなかった。 「――すみませんが、僕に戻る気はありません。その旨をアルビオン王に伝えて――」 「そこ、後ろにいるのは誰か? 顔を見せよ」  言葉の途中で遮られてしまった。僕は少し戸惑うが、そういえばベンを置き去りにしていたことに気が付く。  振り返ると、ベンはまだフードを被ったまま作業台の後ろに隠れていた。僕は少し呆れながら、彼に声をかける。 「ベン、大丈夫だよ。王城の騎士たちだから。危害を加えられることはないよ」  そう優しく諭すが、ベンは動こうとはしない。少し怪訝に思いながら首を傾げていると、騎士が耳を疑うような発言をした。 「貴様、ブリタニア人だな? 何故アルビオンにいる?」  ブリタニア人。アルビオン王国の敵国の人間。僕は驚いて、ベンの方を振り返る。ベンはそのままスッと立ち上がって、フードを取った。 「よう、アルビオンの犬畜生ども。ブリタニアはもう王都の目の前まで侵攻してるんだ。今更いて悪いかよ? すぐにでもこの街はブリタニア人で溢れかえるだろうよ」 「貴様!」  騎士たちが腰に提げていた剣を引き抜いた。ベンはそれを見ると、彼自身も剣を構える。  状況に理解が追い付かない。ベンはブリタニア人で、何故かアルビオンの奴隷商に捕まっていた。そしてアルビオンの騎士たちに素性がバレたから、こうして相対している。  僕は現状をザッと理解して、ベンと騎士の間に割って入った。 「待ってください! ベンは僕を助けてくれたんです! 彼は悪い人じゃないんですよ!」  騎士たちにそう懇願するが、彼らは掲げた剣を下ろすことはなかった。 「ジュン殿、我々は戦争をしています。敵国の人間は殺さねばなりません。これは絶対戦争なんです」 「そんなこと言って! ただの民間人を殺して良いわけ――!」 「私見ですが、ジュン殿の後ろの男は、ブリタニアの密偵のようですが? 恐らく黒騎士の一人でしょう」  僕は驚いて、ベンの方を振り返った。彼はこちらの顔を見て、とても辛そうな顔をした。 「ジュン殿も覚えておいででしょう? あなた様が王城にいた際、ブリタニアの兵士が侵入してきたと。その時、我々はブリタニアの密偵を一人逃がしてしまったのです。恐らくまだ王都に隠れていると踏んでいましたが、まさかジュン殿の元に居ようとは……」  僕は懇願するような気持ちで、ベンの方を見た。彼は唇を噛むと、静かに口を開く。 「――そこの白騎士の言う通りだよ。俺はブリタニアの斥候だ。この間の勇者召喚で調査を頼まれてな。――まさか、お前がその――」  僕は運命の残酷さに胸を打ちひしがれていた。ベンとは親友だったはずだ。だけど、彼はブリタニアの兵士だった。僕はアルビオンに召喚された勇者だったわけで、そもそも僕たちは分かり合うことはできなかったのだ。今までの記憶が、僕の胸を突いていく。僕を相棒と呼んでくれたベン。彼と一緒なら、生きていこうという気にもなれた。だけどベンは敵国の騎士で。僕は悔しくて、唇を血が滲むほど噛み締めた。この世界に神という存在があるのなら、そいつはきっと気まぐれなんだろう。気分次第で、残酷な運命を叩きつける。僕はあまりにも哀しくて、神を呪うことしかできなかった。 「ジュン、お前が――勇者だったのか……そうか、そうなのか……」  ベンは俯いて、そんなことを独り言ちた。 「お前のこと、気に入ってたんだけどな……でも今となっては、その能力にも納得だ……」  僕はもう何も言えない気持ちになって、ただ俯くことしかできなかった。 「だけどな、俺はブリタニアの黒騎士だ。アルビオンの白騎士を前にして、逃げるわけにはいかない」 「ベン!」  僕は叫んだ。ここで戦ってしまっては、人数差で確実にベンが負けてしまう。  しかしベンはこちらに笑顔を向けると、 「お前との脱獄、その後の生活。めちゃめちゃ楽しかった。だからお前が勇者であろうとも、俺はお前を殺したくない。だから見ていてくれ。――俺たちは敵同士だが、それ以上に親友だった、そうだろ?」 「ベン……」  僕は胸がいっぱいになって、涙が溢れてきた。そんな僕の様子を見て、彼はいつものようにニカッと笑う。 「あばよ、相棒」  それを合図に、騎士たちがベンに斬りかかった。僕はベンを守ろうと、持っていたナイフで騎士たちに相対する。僕は戦うために、あの時の気持ちを思い出す。  殺人の感情。人殺しの感覚。僕はそれを思い出すことで、あの時の自分になろうと試みる。しかし、ミーナさんを殺した時、そして奴隷商人を倒した時のような殺意の波動は押し寄せて来ない。どうして、どうしてなんだ! 今戦わないと、ベンが死んでしまう。この前のように、僕は戦わなければならない。初めての親友を守るために。だけれど、僕の内に殺意の感情は生まれない。まるで海面の凪のように。僕の心は静まり返っていた。 「殺せ!」  騎士たちは僕を突き飛ばすと、ベンの方に突っ込んでいった。吹き飛ばされた僕は、床の抜けかかった地面に倒れ込む。そしてもう一度顔を上げたころには、ベンは騎士たちの剣で全身を貫かれていた。 「あ、あぁ」  騎士の一人がベンの髪の毛を掴んで、首に剣の刃を当てる。そして勢いよく剣を振って、ベンの首を切断した。 「ベン、ベン、ベン――!」  絶命したベンの頭がこちらを見つめている。その昏い瞳には何の感情もなく。  僕はまた一つ、大切なものを喪ってしまったことを自覚した。
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