第三部

1/7
前へ
/24ページ
次へ

第三部

 扉がノックされる音が響いた。その乾いた音に対して、反応を返す気力はない。ぼやけた思考の中、僕はその音を無視することに決めた。  もう一度ノック。それでも僕は無視をし続ける。そうしていると、扉の向こうからため息が聞こえた。 「入りますね」  ガチャリと扉が開く音がして、彼女が部屋に入ってくる。訪問者がいながらも、僕が起き上がることはない。  足音がして、彼女が僕の寝ているベッドまで来る。 「おはようございます、ジュン様。朝ですよ」  サーニャのその声を聞いて、僕は非常に憂鬱な気持ちになった。だからやっぱり無視を続けていると、サーニャは再度溜息を吐く。 「カーテン、開けますね」  ツカツカという足音が窓の前まで移動して、サーニャはカーテンを開いた。しかし陽光が部屋に入ってくるといったことはない。今日は曇りのようだった。 「朝食、すぐにお持ちしますから」  返事をするまでもなく、サーニャは扉の方に戻っていき、部屋から去っていく。僕は一度も彼女の方を向くことなく、ずっと目を瞑り続けていた。  ベンが殺されてから、僕は半ば強制的に王城へ召還された。アルビオン王に再度迎え入れられた僕は、もう一度勇者として戦ってくれないか打診を受けた。虫のいい話だ。使い物にならないと捨てたくせに、有用性に気が付くと呼び戻す。僕が嫌いな社会の構造というのを垣間見た気がした。だから僕はアルビオン王国のために戦う気力なんてなかった。  僕はベンという親友を喪った。短い期間だったが、僕とベンの間には、確かに友情と呼べる絆が存在していた。それは僕にとって代えがたい大事なもので。それを喪ってしまったからには、もう生きる気力というものがなくなってしまった。  ベンの死に際。その光景は脳裏にこびりついている。ミーナさんの時と同じように。ベンは騎士によって全身を剣で貫かれ、恐らく生きたまま首を切断された。あんなの、人の死に方じゃない。人という尊厳のある生き物を、ただの有体物に陥れる行為だ。その対象が親友だというのなら、その精神的な打撃は計り知れない。結局僕は半ばうつ状態に陥って、正常な判断能力というものに欠いていた。  ただその中でも、僕に勇者として戦う意思はなかった。僕はその旨をアルビオン王に伝えたが、彼は取り合ってくれなかった。アルビオン王国は滅びの危機にあり、どうしても勇者の力が必要だと。僕はそれでも断った。もう一人にさせて欲しかったのだ。優しさなんて要らない。もう一人でいいから、こんなに悲しい思いをさせて欲しくなかった。  だけど、アルビオン王は僕にこう言った。  僕は追放された後、ベンというブリタニアの斥候と暮らしていた。だから僕にはブリタニアに寝返った可能性があると。もし僕がブリタニアに寝返っていないとしても、ミーナさん殺しの前例(これも言いがかりだが)がある。だから、僕の身柄を拘束して、やろうと思えば国家反逆罪で処刑できるぞ、と。  つまり僕には裏切りの容疑がかかっていて、身の潔白を証明したければ勇者として戦えと。殆ど脅迫みたいなものだが、僕一人の力ではどうすることもできない。アルビオン王と対話していたのは大広間であり、大勢の騎士が詰めかけていた。だから下手なことを言えばその場で殺されてしまう可能性があったのだ。  僕に選択権はなかった。死にたくなかったら、戦うしかない。それが本意ではなかろうとも。確かにもう生きる意味は皆無なので死んでも良かったが、ベンの一件もあって簡単に死ぬとは言えなかった。  ベンは最期まで僕を相棒だと呼んでくれた。彼のその思いを、自ら死ぬことで裏切りたくなかった。彼は僕をアルビオンの勇者だからといって、殺すことはできないと言ったのだ。その意思を、どうして無駄にしたくなかった。  しかしそれが、ベンの祖国であるブリタニア帝国と戦うことになろうとも。  僕はブリタニアじゃなくて、ベンに恩があるのだ。だから彼には申し訳ないと思いながらも、ブリタニアと戦うしかなかった。  そんなこんなで、僕は戦う意思がないながらも、ブリタニアとの戦争を強要されていた。それがやっぱり不本意なことなので、こうやってうだっているのだ。  ベッドから起き上がって、僕は部屋を見回した。  知っているはずなのに、知らないような空間。僕は少しの間ここで暮らしていた過去があるが、なんだか落ち着かない。どちらかというと、ベンと暮らしていた廃屋の方が落ち着く。しかし僕には国家反逆罪の容疑がかかっているので、密偵が潜んでいる可能性があるスラム街への立ち入りを禁止されていた。僕が自分で勝ち取った居場所を、アルビオン王国に奪われてしまったのだ。それは悲しいことだが、僕に抵抗する権利はない。僕はあくまで勇者でありながら容疑者なのだ。  今日の昼、騎士団の連中と僕の運用方法について話し合う会議がある。僕ももちろんそれには呼ばれているが、恐らく僕に決定権はないはずだ。騎士団が僕の利用方法を決める。たとえそれが捨て駒であろうとも。僕は従わねばならない立場にあった。  しかし、“あの力”を使えば、騎士たちさえも怖くないのかもしれない。あの殺戮の力。殺人の能力。しかし僕はそれを発動させる方法を知らない。  僕の脳裏に、アルビオン王の言葉が蘇る。勇者は特異な能力を持って召喚される。  もし、あの力が僕の能力だとしたら。きっとそれが勇者の力なのだろう。人間を抹殺する力など物騒なことこの上ないが、戦争時にはもってこいだろう。殺人の力など、きっと戦い以外では殆ど持ちうる意味もないだろうが。  しばらく思考の海に沈んでいると、廊下を歩く足音が聞こえた。きっとサーニャだろう。朝食だけは摂らないと元気が出ないはずだ。僕はそんなことを思いながら、彼女が扉をノックするのを待った。  昼頃になって、僕は騎士団の寮を訪れていた。  寮は王城の裏手にある大きな白い建物のことで、入り口にはアルビオン王国の国旗らしきものが掲揚されている。僕はそんな旗をうざったく思いながらも、言われた通り寮の中へ入っていく。  寮というものに入ったことはないので確かなことは言えないが、そこまで特別な何かがあるわけではないようだ。玄関口に、外来用の受付窓口らしきものがある。女性騎士というのは存在していないようなので、恐らく男女で分かれているということもない。僕は玄関を通り抜けて、受付の方へ向かった。 「――ん? これはこれは。ジュン殿ではありませんか」  受付にいたのは、初老の男だった。確かに老けてはいるが、身長は他の騎士とあまり大差ないだろう。 「作戦会議で来ました」 「伺っています。会議室は右手に進んでいただいて、一番奥の部屋になります」  受付の老人に頭を下げて、僕は受付を後にした。  寮の廊下を進んで、教えてもらった部屋を目指す。寮の一階は給湯室や食堂といった施設に割り当てられていて、基本的に騎士用の部屋というものは存在していないようだ。それに廊下を歩いているからといって、他の騎士たちに遭遇することもない。時間帯を考えても殆どの騎士たちが職務で出払っているんだろう。誰もいない静かな廊下を歩いていき、僕は会議室であろう少し大きめの部屋に到着する。  軽く息を整えて、木製の扉をノックした。乾いた音が響いて、中のざわめきが少し止んだ。待つまでもなく、扉が開かれる。  開け放たれた扉の先に立っていたのは、若い騎士だった。作戦会議だからか甲冑の類は着込んでいないが、相変われず高身長だ。僕はやはり見慣れなくてたじろいでしまうが、扉を開けた騎士はこちらの顔を見て誰だか察したようだった。 「ああ、ジュン殿。お待ちしておりました。もう始まるところです」  意外と時間ギリギリだったようだが、間に合ったらしい。遅刻しようものならどんな目で見られるかゾッとしないから、内心で安堵する。目の前の騎士は僕を部屋の中に手招きした。僕も頷いて、会議室の中へ入っていく。  会議室には大きな円卓が設けられており、それをぐるっと囲うように騎士たちが顔を突き合わせていた。しかし考えていた以上に雰囲気が深刻そうだったので、若干緊張感が先走る。僕は恐る恐るといった感じで、指定された椅子に腰かけた。 「――よし、これで全員揃ったな。それでは、臨時会合を始める」  僕と円卓を挟んで間反対にいる壮年の男が立ち上がって、そうみんなに呼びかけた。周囲の騎士たちは無言で頭を下げる。僕だけがボーっとしていたので、慌てて頭を下げた。  壮年の男は頷くと、席に再度腰掛けて、手元の資料を確認する。 「あー、早速だが、今回の議題に移らせてもらう。皆も知っての通り、ブリタニアの連中が既に目下まで迫っている。このままでは王都に辿り着くのも時間の問題だろう」  その言葉を受けてか、集まった騎士たちが沈鬱そうに俯いた。僕は騎士ではないので詳細な現状は知らされていないが、こんな空気になるくらい深刻な状況なのだろう。 「現在の兵力では物量戦に持ち込まれてしまう。そうすればもう勝ち目はない。余裕が残っていないのは周知のとおりだ。――そこでだ」  喋っていた壮年の男がこちらに顔を向けた。周りの騎士たちも僕の方を向く。 「アルビオン王は勇者召喚を行った。特異な能力を持つという勇者は、我が国の切り札になりえるだろうと。――実際、紆余曲折あったものの、今こちらにいらっしゃるジュン殿には、類稀なるお力をお持ちだった」  殺人の力。殺戮の能力。僕は視線に耐え切れなくなって、下を向いた。 「皆も聞いただろう? 城下で暴れていたあの奴隷商を壊滅させたのだ。我々騎士でも手こずっていた相手だ。能力は申し分ないだろう。そこで我々は、勇者の運用方法を決定したいと思う。武力に優れているとはいえ、闇雲に戦地に投入するだけでは、最大効果を得られないだろう」  僕の運用方法。それはまるで自動殺戮兵器に対する操作手順のようで、はっきり言っていい気分ではなかった。しかしアルビオン王の例に違わず、この壮年の男も僕をただの勇者、人間ではなく特異な能力を保持した兵器だと考えているんだろう。僕は人間なのに。この間まで人を殺すなんてことしたことなかったのに。僕はこれから、戦争の道具として使われようとしていた。 「しかし、ジュン殿が戦いの能力に優れているとはいえ、欠点もあるのでは?」  僕から見て左の方に座っていた騎士が口を開いた。 「どういうことだ、エミリオ?」  エミリオと呼ばれた騎士は、僕の方を見ながら、 「そもそもジュン殿はこちらの世界の事情には疎い。そして聞いた話ですが、兵役の類をしたことがないと。確かに奴隷商を壊滅させた功績はお持ちですが、それだけで軍事転用できるのでしょうか?」  壮年の男はううむと唸った。周りの騎士たちも口々に声を上げる。 「勇者とは言え、全く経験がないのでは、使い物にならないのでは? 基本的な戦術や陣形を知らないようでは、我々の部隊に編成することもできません」  僕を勇者として呼び戻しておきながら、とんでもない言い分だった。僕だって、人殺しがしたいわけじゃない。やめていいのなら、勇者なんて他の誰かに譲りたい気分だ。戦わせるのか戦わせないのか、はっきりして欲しいところだ。  僕が少し不快感を覚えていると、壮年の男が黙るよう呼びかける。すぐに静まり返った会議室で、彼は重々しく切り出す。 「エミリオの言う通り、通常の部隊に編成することは困難だろう。基礎的な訓練課程を修めていない者に、そもそも団体行動を要求すること自体が間違いだ」 「しかし、ではどう運用するのですか? 分隊で行動できなければ、どう考えても勇者の従軍は難しいのでは?」  エミリオの言葉を受けて、壮年の男は顔を上げた。 「そこでだ、少し考えがある」  そこで一旦言葉を切ると、彼はこちらに視線を合わせてきた。 「ジュン殿、かくれんぼ、という遊びを知っていますかな?」  その言葉に拍子抜けして、僕はどう返して良いのかわからなくなる。そんなこちらの様子を確認してか、彼は話を続けた。 「その様子だと、ご存じのようですね。――鬼に見つからないように隠れる遊びですが、ジュン殿はお得意でしたかな?」  何故そんな質問をしたのか意図が掴めないが、僕は言われた通りに回想する。  子どもの頃から友達の少なかった僕は、前提として他人と遊んだこと自体が少ない。しかし数少ない記憶を辿ると、確かに自分が隠れることを得意としていた過去があることに気が付く。  無言で頷くと、壮年の男は僕から視線を外した。 「ジュン様は、言い方は悪いかもしれませんが、小柄です。それにどちらかというと剣や槍の類より、ナイフのような武器の扱いがお得意だと」  ミーナさんを殺した時と、奴隷商人を殺した時。僕はその両方でナイフを使っていた。その情報がどこから漏れたか知らないが、確かに奴隷商人の件で考えると、僕にはナイフと山刀どちらかを獲物とする選択肢があった。しかし僕は(あの時の自分が“僕”であったかは不明だが)ナイフを選択して戦った。それに深い意味はないのかもしれないが、実として僕はナイフを使用したのだ。それに加えて、僕は相手の殺傷手段として首をよく狙っていた。首を狙う場合は、切断することが目的でなければ、素早く懐に入り込めて余分な重量のないナイフの方が扱い易いのかもしれない。と、ここまで考えて、自分がこんなに冷静に殺人方法について指向しているという事実に驚く。どう考えても、これは普通の思考回路ではない。何度かの修羅場を潜り抜けて、少しだけこの世界の血生臭さに順応してしまったのか。それは少し嫌な気分ではあったが、この世界では案外普通の子のなのかもしれない。 「その要素を考慮すると、ジュン殿は正面から戦闘を行うというより、敵軍に潜入する工作員の方が向いているのでは?」  男の声に、騎士たちがざわめき始めた。その揺らぎの理由に僕は一瞬理解が追い付かないが、周りの様子を観察してすぐさま納得する。  工作員というのは、いわばスパイを指すわけだ。ミーナさんの例を鑑みても、その職務は諜報、攪乱、暗殺など後ろめたいものばかりだ。そんな仕事に対して、正面戦闘を生業とする騎士たちがどう思うかなど、考えるまでもなく明らかだ。僕は周りの様子から少し居心地悪く感じて、身を縮こませた。 「静かに、静かに。――それでだ。私はジュン殿をこれまでにない兵士として扱いたい。勇者ではあるが、騎士ではないのだ。我々の矜持などは関係ない。ジュン殿には――戦闘諜報員になっていただきたいのだ」  男の言葉を受けて、騎士たちが僕の方に視線を集めた。戦闘諜報員――昔でいうところの、忍か。ここで若干の日本要素が出て来たことに、少しだけ皮肉を感じてしまう。きっと、二度と戻れないというのに。僕に過去を思い出させてくる、それが僕の運命をあざ笑っているかのようで、笑えなかった。 「どうですかな、ジュン殿。適性はあると思いますが。必要な訓練は今後受けてもらいます。いかがですか」  諜報員として敵地に侵入する。それは数週間前まで日本で引きこもっていた高校生にできることなのか。当然不可能に近いだろうが、僕に拒否権はない。拒否しようものなら、国家反逆罪で処刑が待っている。僕は自分の意思を尋ねられながら、殆ど強要されているのだ。彼の問いかけに対する答えを、ここにいる騎士たちは待っている。 「――僕に、できますか」  そう尋ねた。騎士たちは黙りこくっていたが、僕に問いかけた男だけは、ゆっくりと頷いた。 「なら、それで構いません。――どうせ僕には、拒否できる権限がありませんから」  自嘲するように呟いてみたが、この発言に対して、誰かが反応するといったことはなかった。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加