第一部

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 その後、部屋から使用人たちが退出し、僕一人だけが残された。部屋は一人用にしては大きすぎ、なんとなく空間的な恐怖を感じる。まるで教室にいるみたいだ。そもそも、僕は開かれた空間というものが苦手である。長い間引きこもっていた弊害からか、狭いところに安心感を覚えてしまうのだ。だからこのように開けた部屋というのは、どうしても落ち着かない。  僕は一通り部屋を見て回る。箪笥らしき木造の家具に、これまた木製の机。その上には燭台らしきものが置かれていた。夜でも書物の類を見られるようにだろうか。ベッドは絵本の中で見るようにふかふかで、とてつもなく厚みがあった。寝転がったら気持ちいいだろう。  部屋を一周して、僕はベッドに腰掛けた。そのまま、上体を後ろに倒す。ベッドに横になったところで、右の腕を額に当てて、ぼんやりと思考の海に沈む。  ――本当に、何が起こっているんだ。  自宅のベランダから飛び降り自殺を敢行して、気が付いたら中世の王宮みたいなところに移っていた。まるで現実味に欠ける体験だ。未だに夢ではないかと疑うことに止まないが、少し考えを改める必要があるようだ。  僕は恐らく、本当に異世界と思われる場所に転移してしまったようだ。ここがまだ天国ではないという確証はないが、やはり語られるような天界とも思えない。だから今のところ僕は、見ず知らずの異界に召喚されてしまったようだ。 さて、ここで僕はどうしたらいいのだろうか。  最初に考えつくのは、もう一度死んでみることだった。この手段が一番手っ取り早いだろう。僕はそもそも異世界に来たかったわけじゃなくて、自分という無為な存在を抹消したかったのだ。だから人の生などもう捨てているわけで、早いところ自意識を消滅させたかった。しかし、死のうにもどうすればいい。ここは一階のようなので、先ほどのような飛び降り自殺は試せない。そうなると別の方法を採らなければならないわけだが、今のところ思いつくものはなかった。ナイフのようなものは置かれていないし、ましてや電気なども当然ながら来ていないだろう。つまり早急に死ぬことは不可能なわけだし、こうやって勇者? として注目を集めている内は、王宮内で自殺することも難しい。  そう考えると、今の段階で自殺することは不可能だ、という結論になる。  僕は頭を抱えた。  どうして、死んだはずなのにこんな異世界に召喚されてしまったのか。死にたかっただけなのに。小説で語られるように異世界でやり直したいわけではない。僕は自分を消し去りたかったのだ。  しかし少し考えてみると、あながちこの転生自体は悪いものでもないのかもしれない。  僕は自分の存在を消滅させたかったわけだが、その理由の大部分は他人に迷惑をかけていたからだ。主に両親や学校の教師に。だけどこの世界に彼らはいない。そうなると、そもそも僕が死ぬ必要性というのは薄れてくる。自分の生きる意味というのは未だに感じられないが、最低限死ぬ必要自体はないのではないか。  そこまで考えて、少し希望が見えてきた。  僕はこの世界で勇者と呼ばれている。つまり、ロールプレイングゲームの類で言うところの主人公なわけだ。だから前の世界とはだいぶ毛色が異なる。一介の男子高校生と、勇者。もちろんどちらか選べと言われたら、誰だって後者を選ぶだろう。  心の内に、希望の光と呼ばれるものが宿る。  この世界でやり直せば、僕は自分の価値というものを見出すことができるかもしれない。それは勇者としてでも、英雄としてでも何でも構わなかった。前の世界では得られなかった、自分の生きる意味。それを見つけ出せれば、僕は自分自身を少しだけ好きになれるかもしれない。  生きてみよう、この世界で。僕はそう決意した。どうなるかわからないけれど、もしかしたら生きる意味を見つけ出せるかもしれない。それを希望に、自殺する前に少しだけ生きてみよう。そう思った。  そこまで考えたところで、部屋のドアがノックされる。僕はベッドから立ち上がって、ドアの方に近づいていく。 「どなたですか」  そう尋ねると、控えめな返答が聞こえる。 「あ、ミーナです。少しよろしいでしょうか」 「はい、どうぞ」  そう言って、ドアを開けた。扉の先には、僕より少し背の低い可愛らしい女性が佇んでいた。 「すみません、お休み中に」 「いいえ、全然構いませんよ」 「その、急な話ではあるのですが、アルビオン王があなた様にこの国の現状を見せたいと仰せです。案内いたしますので、一緒に来ていただけませんか」 「あ、はい。わかりました」  アルビオン王というのは、僕が召喚された際に目の前にいた老人のことだろう。ここが中世の世界観と似ているというのなら、きっとそうだ。しかし、この国の現状。アルビオン王国を救って欲しいと言われたが、この国はもしかして窮地に立たされているのか。そこで勇者召喚を行ったとなると、話的には合点がいく。 「それではこちらに。案内致します」 「よろしくお願いします」  そう挨拶すると、ミーナさんはニコリと笑った。その姿に少しドギマギする。  彼女はこちらから振り返ると、廊下を進んでいく。僕はその後を早足で付いていった。  王宮と表現したが、ここは城と呼称する方が正しいかもしれない。外観を眺めたことがないから確かなことは言えないが、窓の外から城壁らしきものが見えるので、きっと城なのだろう。  ミーナさんの後ろを歩いていると、多くの人々とすれ違った。その多くは使用人のようだが、ローブをまとった女性たちや、甲冑に身を包んだ騎士たちともすれ違う。彼らはみなこちらを見るとハッとしたように居住まいを正して挨拶をしてくる。やはり僕が勇者ということは城の内部の人間には広く知られているようだった。僕は挨拶を受けるたびにむず痒い思いをするわけで、本当に慣れない。そもそも僕は勇者と呼ばれているが、それに見合った力があるとも思えないのだ。この手の小説では転生したときに特異な能力に目醒めたりするパターンが通例だが、僕の場合はどうなのだろう。体感的に、何かの能力を手に入れたとは全く思えないのだが。  そんなことを考えながら歩いていると、前を歩くミーナさんがこちらにちょっとだけ振り向いた。見返る彼女の姿は可愛らしくて、ちょっとドキドキする。これも長いこと女性と触れ合ってこなかった弊害か。 「そういえばジュン様は、どこの国から来られたのですか」  そう言えば、僕は自分のことについて名前以外何も伝えていなかった。というか、日本と言ってわかるのなら、この世界が異世界ではないという証明になるかもしれない。 「えっと、日本、ってところから来ました」 「日本――聞いたことない国ですね。あ、そもそも勇者召喚はテラの民ではない方も召喚できるみたいですし、きっと同じ世界からではないのでしょうね」  少し気になる単語が聞こえた。 「テラの民?」 「あ、もちろんご存じないですよね。言葉もわからなかったようですし」  彼女はそう言うと、指を差し出して、ものを教えるような仕草を取った。 「この世界――と言いますか、この星はテラ、と呼ばれています。そこに住む人々をテラの民と呼ぶわけですね」  なるほど、そういうことか。つまり僕は地球に住む地球人で、かつ狭義でいう日本人というわけだ。ミーナさんはテラに暮らすアルビオン人というわけか。 「あ、それと、勇者召喚はテラの民以外の人も召喚すると言っていましたが、もしかして過去にも、僕みたいな人がいたんですか?」  もし、僕と同じように異界からこのテラに召喚された人がいたとすれば、その人物からこの世界について色々と聞けるはずだ。 「そうですね。以前にも勇者召喚自体は行われていたようですね。ですが、ジュン様の前に行われた勇者召喚はもう三百年も前になるみたいですけど」  三百年前。この国の平均寿命は知らないが、きっと生きてはいないだろう。そうなると、前に召喚された人物から話を聞くのは不可能だ。 「そ、その」  ミーナさんが、言いにくそうに顔を逸らしながら声をかけてきた。 「なんですか?」 「こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが――」  彼女はこちらの顔を覗き込んだ。心臓がドクンと跳ねる。 「寂しく、ありませんか? 以前住んでいた国から召喚されて、元の世界に戻りたいとか」  それを聞いて、心の中で想像してみる。僕は日本を、あの世界を恋しいと思っているのか。それは多分違うだろう。僕以外でも、僕のことを恋しがる人間は恐らくいない。親だって、僕のことは見捨てたも同然だったし、担任の教師だって厄介者を預けられたと顔をしかめていた。だから、僕がいなくなることで発生する負の要因など、どこにもありはしないのだ。 「――いや、寂しくなんてありませんよ」 「どうしてですか?」  ミーナさんがなおも尋ねてくる。僕はどう返そうか少し悩んでしまう。まさか誰にも必要とされていない人間だからというのは自虐が効きすぎていて笑えない。 「私は――」  ミーナさんが口を開いた。 「私は幼い頃、アルビオンとは違う国にいました。しかしある事情で、ここで働かなければならなくなったのです」  つまりミーナさんは故郷を離れて、ここアルビオンに出稼ぎ? に来ているということか。彼女は僕よりも年上のように見受けられたが、やはり寂しいものは寂しいのだろう。前提として、僕のように故郷に何の未練もない人間という方が珍しいわけなので、むしろミーナさんの思いは正常といえる。 「夜、寝るときに考えてしまうんです。早く故郷に帰りたいなと。故郷にはまだ両親がいます。文通はしていますが、やはり会いたいんです。ですから、ジュン様も寂しいのではないかと」  ミーナさんはこちらを見つめてきた。その視線が若干僕にとって痛いものに変わっていく。僕は故郷で必要とされていなかった人間なんです。だからむしろ転生してこっちに来た方が良かったんですよ。そういう思いが、僕の胸を締め付ける。要らない子であったという過去が、僕の背筋を甘く撫でるのだ。 「――寂しくないです。過去は、過去でしかありませんから」  それだけ告げて黙り込むと、何やらミーナさんがポカンと口を開けてこちらを眺め始めた。何かおかしいことでも言ってしまったか――。そう思ったが、彼女の返答は予想を覆すものだった。 「本当に、やっぱり勇者様なんですね。この国を救う、英雄。そのように考えているとは、私が浅はかでした」  そう言って少し笑った彼女。そんな風に受け取られるとは思っていなかったので、逆にこちらが混乱してしまう。 「い、いや。そんな大したことじゃ――」 「私、ジュン様の使用人になれて良かったです。これからもよろしくお願いしますね」  そう言って、ミーナさんは頭を下げた。人の往来でそう畏まった態度を取られると、こちらとしてもやりづらい。通行人がなんだなんだとこちらに視線を寄越すからだ。 「か、顔を上げてください。えっと、アルビオン王のところに連れて行って下さるんでしたよね」  慌てて顔を上げるよう伝えると、ミーナさんはすぐに顔を上げてくれた。そして明るい笑顔。この女性と今後付き合っていかなければならないことを考えると、少し先が思いやられた。
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