第一部

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 ミーナさんに案内されたのは、城外にある馬小屋だった。そこは城が管理しているようで、主に騎士が乗るらしい馬が多く繋がれている。二メートルを超える騎士たちを支えるためか、馬自体もかなり大きい。というか、馬という生物がこの世界にもいるのか。もしかしたら、似ているだけで違う生物なのかもしれない。  ミーナさんはその馬の一匹に近寄ると、手綱と手に取って、こちらに渡してきた。 「僕、馬なんて乗れませんよ」 「大丈夫ですよ。この子は温和ですから、乗り方をお教えしますね」  そうして、彼女から馬の乗り方について学んだ。意外と簡単な動作で馬は指示を理解できるようだ。簡単に説明を受けていると、背後から声がかかった。 「おお、ジュン殿。その子はどうですかな、葦毛が綺麗な優しい子でしょう」  振り返ると、そこにはアルビオン王がいた。彼は数人の騎士を引き連れて、ニコニコした笑顔をこちらに向けている。 「この子なら乗れそうです」 「それは良かった」  アルビオン王は、騎士の一人が連れてきた馬の手綱を握って、その上に老人とは思えない軽快な動作で乗った。この国の人は基本的に馬に乗れるようだ。先ほど習った通りに動いてくれるなら、そう操縦は難しいものではないだろう。 「さて、いまご案内しますので、後ろから付いてきてくれますかな」 「は、はい」  そう言って、アルビオン王は警備の騎士を引き連れ城の外へ出ていった。僕も二人の騎士に守られながら、その後ろをついていく。  城の外に出ると、そこは城下町になっているようだった。  レンガ造りの住宅が、無数に立ち並ぶ街。やはり現代とは大きく異なっているようで、コンクリで造られた建物はもちろん見当たらない。  アルビオン王についていくと、町の人々は僕たちに道を開けるようにして、通路を確保してくれる。そして、大きな声援。それはアルビオン王をたたえるものが多かったが、それと同じくらい勇者の召喚を喜ぶ声が大きかった。 「あれが勇者様じゃない?」 「ねぇ勇者様! こっち向いてよ!」  僕はそんな声に恥ずかしい思いをしながら、しかし顔を伏せてしまう。こういうのは本当に慣れていない。どんな人間でもこのような状況で挨拶を返せる勇気はないだろう。 「ジュン殿。手を振り返してはいかがかな」  僕の隣にいる騎士の一人が、そのように声をかけてくる。もちろんそんな勇気はないのだが、言われたからにはやるしかない。僕はとても恥ずかしく思いながら、手を伸ばして観衆に手を振った。  そんなこんなで人の集まる市街地を抜けて、僕たちは城壁を出た。  この城下町はぐるりと城壁に囲まれている城塞都市らしい。こんな街を実際に見たことがなかったから少し興味が引かれたが、周りの衛兵に聞く勇気はない。またミーナさんにでも尋ねればいいだろう。  城壁の外は細い街道が続き、道を外れると森に入るような形だった。街道は基本的に整備されていて、見通しは悪くない。ただ少しでも道を外れると森のような場所に入ってしまうので、普通なら街道を征った方が良いのだろう。  道は下り坂になっていて、この城塞都市が高所にあることを示していた。日本の歴史で習ったが、戦国時代以前の城は高所にあることが多いらしい。戦国時代に入ってから鉄砲の普及でむしろ平城を建てた方が戦いやすくなったようだが、今のところ衛兵たちの装備は弓に両刃の剣だ。だから弓の届かない高所にあって一方的に撃ち下ろせる方が、戦略的には有利なのだろう。  アルビオン王は僕を連れて街道を下っていたが、最初に見えてきた側道に入っていった。どこか別の場所に繋がっているようだ。僕も馬を動かして彼についていく。  側道に入ると、やはり大きな街道とは違うのか、道幅が狭くなった。それに周りは完全に森に覆われているので、視界が良いとは言えない。こんな細道を進んで大丈夫なのかと多少不安になるが、突如目の前の視界が開けた。  そこは崖にある高台のようで、眼下には大きな森が広がっていた。その奥には小さく村や街などが見えている。どうやら、アルビオン王はこの風景を見せたかったようだ。風もよく通る高所なので、空気が澄んでいて気持ちがいい。そんな風に呼吸を楽しんでいると、視界の端に何やら不穏なものが映り込んだ。 「ご覧になられますかな。あの森の向こうに、街が一つ見えるでしょう。よくご覧になって下さい」  そんなこと言われるまでもなく、僕はその惨状に気が付いてしまう。  眼下に見える街では、いわゆる戦争が行われていた。  白い鎧を纏った、恐らくアルビオン兵と思われる軍勢が、漆黒の鎧に包まれた軍勢に圧倒されていた。もう撤退戦まで追い込まれているようで、街の外、こちらの方に逃げてくるアルビオン兵を、黒い軍勢が弓で狙撃を行い、追い打ちをかけている。その多くは背後からの狙撃を食らい、撤退中に討ち取られてしまう。殿を務めているであろうアルビオン兵も、何人かの黒い兵士に囲まれ一瞬で殲滅されてしまう。街は兵士の死体が多く転がり、まさに世紀末と言わんばかりの様相を醸し出していた。  ここからでは詳細に見ることはできないが、多くのアルビオン兵が殺され、蹂躙されているのがわかった。この国の危機というのは、きっとこういうことなんだろう。僕はその非現実的な様子を目にして、酷い嘔吐感に襲われた。 「――我が国は、隣国のブリタニア帝国の侵略を受けています。勇敢な兵士たちが多く戦ってくれていますが、戦況は見ての通り芳しくありません。この高台から見えるところまで、ブリタニアは侵攻して来ているのです」  僕は迫りくる嘔吐感を必死に堪えながら、あの地獄から目を逸らす。普通に日本で学生として生きていた人間が、目の前で人が死ぬ場面を目にする。それは耐え難いほどに残酷で、目も当てられない光景だった。  アルビオン王はこちらに振り向き、真摯な視線をこちらに寄越す。 「あなた様は勇者です。是非とも、我が国の危機を救ってくださいませんか?」  僕はこのテラに転生して、あの人殺したちと戦わなければならない運命にあった。 「――僕が、ですか?」  アルビオン王は頷く。周りの衛兵たちも、僕に真っ直ぐな視線を寄越してきた。  僕は、もう一度眼下の惨状に目を落とす。  虐殺されるアルビオン兵たち。その最中、僕はあの地獄に躍り出なければいけないのか。僕が黒い軍勢を逆に圧倒して、敵を殺せと。僕に人を殺せと。それはつい先ほどまで日本で引きこもっていた人間に対しては、あまりにも酷なことではないだろうか。  僕はそもそも、普通以下の高校生だ。人が死ぬ場面を見たことがなければ、当然ながら人を殺したこともない。そんな現代人に、人を殺せと。敵兵を屠って、自軍に勝利をもたらせと。そんなの、無理に決まっている。僕に、そんなことできるわけないじゃないか。 「――すよ」 「ジュン殿?」  僕は握りしめた拳を震わせながら、顔をゆっくりと上げた。 「無理ですよ、そんなこと。僕は人なんて殺せません」  周りからどよめきが上がった。それは恐らく、僕が人を殺せないと発言したことに対して。動揺する彼らの中で、アルビオン王は慌てた様子でこちらを覗き込む。 「し、しかしですな、ジュン殿は我が国に召喚された勇者様であります。勇者召喚で呼ばれた方は、特異な能力をお持ちと聞きます。ですので、敵兵を恐れる必要はありませんよ」  特異な能力? そんなものを僕が持っているというのか。きっと、そんなものなんてない。それなら召喚された時点でなんとなく感じるはずだし、持っているとしても知る方法がわからない。自分に秘められた能力を知らずに戦いに出るなど、愚の骨頂だろう。 「僕に特殊な力なんてありません」 「しかし、伝説では――」 「ないんですよ、そんな力――ッ」  僕が言い切ると、周りの人々はシンと静まり返った。まるで海面に揺らぐ凪のような。彼らは僕を見つめながら、続きの言葉を待っていた。 「僕は――」  身体の震えを止めて、僕はゆったりとした動作で顔をもう一度上げる。 「――きっと、戦えません」  その言葉に、周囲の人間はどう思ったのか。僕はそれを想像するしかない。  でもきっと、やっとの思いで召喚した勇者が、恐ろしく使い物にならないことを知って、大いに失望していたことだろう。 「ジュン様、朝ですよ。ほら、起きて下さい」  眩い光が瞼を貫いて、薄く瞳孔を刺激した。僕はそれが朝日によるものだと理解して、頭まで深く布団をかぶり直す。そうすることで光を遮断することができる。今のところ、起きたいという気分ではない。そもそも、起きたっていいことなんてない。僕は唇を堅く結んで、彼女の声に対して聞こえないふりを敢行する。しかしそれは毎朝のことであるからか、ミーナさんは呆れたように溜息を吐きながら、ベッドの方に歩み寄ってくる。  そして、彼女は僕が頭からかぶった布団を引きはがした。否応なく、網膜を朝日が貫く。その眩しさに目を細めながら、僕は最大限の非難を込めて、ミーナさんを睨んだ。 「そんな顔したって無駄ですよ。ほら、起きて下さい。とっくに朝食はできていますよ」 「――要らない」  ミーナさんはまた呆れたように鼻から息を吐いた。 「そんなこと言ってるから。少しでも動いた方が良いですよ。気分転換にもなりますし」  ミーナさんは最後に笑顔を向けてくると、早く起きてくださいねと言い残して、部屋から出ていった。僕は彼女の後姿をまだ開きかけの瞳で眺めながら、頭では考え事をする。  アルビオン王に高台に案内された後。僕は戦いを拒否して、自室に引きこもっていた。その期間は一週間に及び、それはそれは城の人々を困らせたそうだ。ミーナさんからの又聞きだが、使い物にならない勇者なら捨てるべきだという意見が出ているらしい。まぁ、それも当然と言えよう。戦いもしないで食料や場所を浪費する存在は、ごく潰しそのものだ。だから追い出そうという意見が出てきて当たり前である。でも僕はそれを知ったうえで、戦うことを拒否していた。  ただの高校生が、人殺しなんてできるはずがない。僕は社会不適合者ながら、反社会的な行動だけは一切してこなかった。それはつまり人殺しなどしたことがないわけで、今後とも殺人などをしたいとは思えない。この世界で勇者と呼ばれているからとはいえ、僕はただの子どもだ。だから国の命運を賭けた戦いに身を投じることなんでできっこない。僕はこの世界の住民ではないのだ。  僕はベッドから上体を起こし、窓の外を眺めた。うんざりするくらいの晴天。それはまるで、僕を皮肉っているかのようだった。  しばらくすれば、朝食を持ったミーナさんが部屋に戻ってくるだろう。この城では、客将に対して部屋まで食事を運ぶのがルールらしい。とても中世らしくて結構だが、今の僕は食事を摂りたい気分ではなかった。非常に鬱っぽい状態で、今すぐにでも二度寝に耽りたい気分だ。しかしそれをすればミーナさんがまた呆れるであろうことは想定できるので、なんとなくそんな気は起きない。これ以上迷惑はかけたくない思いだった。  ミーナさんは、この城の中で数少ない味方だった。城の連中は俺のことを追い出そうとする者が多かったが、彼女だけは違う。ミーナさんは俺のことを専属だからという理由で守ってくれて、使用人の間だけでも、悪口を言わないように手を回してくれているみたいだった。非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、感謝する他ない。  しばらくうだっていると、部屋の扉がノックなしに開かれた。そちらの方に顔を向ける。もちろんそれはミーナさんで、彼女はお盆の上に朝食を載せて立っていた。 「ほら、起きてください。朝食お持ちしましたよ」  ミーナさんが朝食のお盆をテーブルの上に置く。僕は流石に申し訳なくなって、テーブルに着くのだった。 「本日のメニューは、パンとメルジャムに、お野菜のソテーでございます」  メルジャムというのは、日本で言うイチゴジャムのようなもので、かなり甘みが強いものだ。しかし、僕はメニューを聞いてある事実に気がつく。 「――あの」 「――言わんとしていることは存じ上げております」  ミーナさんは、本当に申し訳なさそうな顔になった。俺はそれで、これから言われることをなんとなく察してしまう。 「その、以前に申し上げました通り、参謀の方でジュン様を排斥しようという動きがありまして。その一環として食事量を減らせ、という命令があってですね。――申し訳ありません」  ミーナさんは深々と頭を下げた。別に、彼女に何か非があるわけではない。そもそもこのような事態を招いたのは僕自身だ。だからミーナさんは何も悪くない。それ故に彼女が謝ってくるのは心に来るものがあった。 「謝らないでください。僕が悪いんですから」 「しかし、主人に食事も満足に届けられないようでは、使用人失格です。――本当に、申し訳ありません」  なおも頭を下げ続けるミーナさんに顔を上げるように頼む。それでも彼女は顔を上げようとはしなかったが、しばらく頼み込んだからか、渋々といった様子で顔を上げてくれた。 「朝食のことは気にしなくていいですよ。ミーナさんのせいじゃありません」 「わかりました。しかし、その量では足りないでしょう。――この後、部屋の掃除に参ります。その時に少しだけお食事をお持ちしますので、それをお召し上がりになってください」  ミーナさんは、体裁上は上の指示を守るようだが、叱られる覚悟で僕に食事を届けてくれるらしい。僕はその優しさに目頭が熱くなった。こんな碌でもない男のために、よく尽くしてくれる。僕が言うのはお門違いだが、非常に忠誠心のある使用人だった。 「――どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?」  そう尋ねると、ミーナさんは不思議そうな顔をして、 「主人に尽くすのは、使用人の務めですから。――先ほどの話、秘密にしてくださいね」  そう言って、いたずらっぽく笑った。
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