第二部

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第二部

 寝返りをうつと、カーテンの外で、もう空が明るくなり始めていることに気が付いた。  しばらく曇り空の隙間から漏れ出る光をぼんやりと眺める。時間的にはもう地球でいう七時くらいになるだろうか。その辺は部屋にかけてある時計を確認すれば一目瞭然なのだが、どうしてももう一度寝返りをうつ気が起きない。どうしたって、僕の脳みそは徹夜で摩耗していて、正常な判断力というものに欠いているからだ。  そろそろ、使用人の一人が僕を起こしにここを訪れるだろう。しかしそれはミーナさんではない。彼女は僕の目の前で死んだ。ちょうど、今僕が寝ている部屋の真隣の部屋で。ミーナさんは、間違いなく僕に殺された。いや、僕が殺した。その事実が胸に重くのしかかって、眠るという快楽を拒絶している。  しばらく時間の流れに身を任せていると、トントンと控えめに部屋のドアが叩かれたことに気が付く。その音に対する反応自体がだいぶ遅いのが自分でもわかる。それほどまでに僕の神経というものは摩耗していた。 「――あの、ジュン様。起きていられますか?」  彼女の声に返事をすることがとても怠いが、返事をしないのは失礼といえば失礼だ。 「――はい、起きてます」  声を出してみて、驚愕する。僕の喉から発せられた声は、まるで癌に侵された老人のようだった。それほどまでにしわがれた声を聞いて、僕は自分が本当に疲れていることを理解する。  返事をすると、部屋のドアが控えめに開かれた。少し遠慮がちに入室してきたのは、ミーナさんよりも少し小柄な使用人の女性だ。歳も大して僕と変わらないだろう。彼女、僕の新しい使用人サーニャは、こちらを恐る恐るといった様子で観察して、そそくさと窓の方へ寄っていった。 「きょ、今日は曇りですね。雨、降らないと良いですけど……」  サーニャは、何か取り繕うかのような会話を開始した。僕は脳が殆ど死んでいたから、曖昧な返事を返す。サーニャはカーテンを開き終えると、素早い動作で部屋のドアの方へ戻っていく。まるでここに長居したくないかのように。いや、きっとその通りで、長居したくなんてないのだろう。僕はそんな彼女の様子に胸が締めつけられる思いをしながら、彼女の後姿を見つめていた。 「すぐに朝食、お持ちしますね。それでは」  サーニャはサッと頭を下げると、そそくさと部屋から退散していった。彼女が後ろ手にドアを閉めるのを見届けて、僕はもう一度ベッドに寝転ぶ。  酷いことになった。  僕は両目を腕で隠して、溜息を吐く。つまるところ、ジュンという勇者の立場は、ミーナさんの一件で大暴落していたのだ。  ミーナさんは、ブリタニアのスパイだった。彼女の任務は勇者を暗殺することで、その使命を果たすために僕を襲ってきた。だから反撃をした際に誤って殺してしまった。  僕はそう、現場に駆け付けた兵士たちに説明をした。その騒ぎを聞きつけてやって来た使用人たちは、変わり果てたミーナさんの姿を見て、嘔吐したり、泣き合ったりしていた。  後から知らされた話ではあったが、勇者の使用人というのは、使用人にとって大変名誉のある役柄らしく、その地位に就けるのは、やはりそれなりの立場にある者だけらしい。その意味では、ミーナさんは古くからアルビオンの王城に使用人として仕えていたので、それだけ彼女は信用されていたと言える。たとえそれがスパイ行為の一環だとしても。彼女は確かにアルビオン内で絶大な信頼を勝ち取っていたのだ。  だから、ここで大きな問題が起きた。ミーナさんは王城で信頼されていた。しかし、彼女はぽっと出の勇者に殺されてしまう。その勇者とやらは義務を果たさず、自室に引きこもっていた。さて、ここで普通の人間ならば、勇者の言い分を信じるだろうか。きっと、答えはノーだろう。結論から言うと、僕は使用人殺害の嫌疑をかけられてしまった。そもそも、ミーナさんが本性を現した場面はきっと僕しか見ていないわけで、まさか王城の人々はミーナさんがスパイだなんて思わないわけだ。長年献身的に仕えていた使用人を、役立たずの勇者が殺す。そうともなれば、僕の弁解など誰も信じないという手合い。  しかし、ミーナさんが所持していたナイフについて、それは彼女自身が購入していたものらしいことが判明した。それによって、客観的に僕の主張が一貫性を得ることになったので、王城の人々は盲目的に僕を殺人者として拘束することはできなくなった。それで僕は首の皮一枚繋がったという感じなのだが、まだ疑いが消えたわけではない。ナイフ自体はミーナさんのものだが、それを知っていて僕が殺した可能性も払拭はできないわけだ。だから未だに僕をミーナさん殺害の罪で拘束するべきだという意見もあった。まぁ今のところは決定的な証拠もないので、それには踏み切れていないようだが。  僕はベッドに転がりながら、今後どうするかを考えた。勇者としてアルビオンのために戦うか。しかし僕の意思以前に、戦うと言ってもこの国の人々は信じてくれるだろうか。僕はミーナさん殺しの嫌疑がかけられたままで、逆に勇者として戦うと発言したところで、疑いを晴らすためだと解釈されかねない。しかし戦わず、このままこれまで通りの生活を続ければ、それはそれで問題があるわけだ。疑いがかかったまま放っておけば、噂は一人歩きして尾ひれがつく。そうなれば僕を擁護する人間はいないわけで、どんどん不利になっていくわけだ。ここで僕が取れる選択肢は、きっと勇者として戦う、だ。非難を浴びるとはいえ、少しでも信用を回復させる必要があるだろう。だけど僕は、どうしてもその選択肢を選べずにいた。  ミーナさん。スパイとは言え、僕の心の支えだった。彼女を喪った今、僕は何のために戦えば良いのか。期待のため? 国のため? 自分のため? 僕はそのどれのためにも戦う勇気はない。そもそも、自殺をした身なのだ。勇者として戦おうと一瞬思ったのは、ミーナさんのためであるからして、彼女が死んでしまった今、僕は戦う意味を失ってしまっていた。もういっそのこと、彼女を殺さずに、自分が死ねばよかった。  そこまで考えて、僕は惨劇の夜を回想する。あの夜、僕はミーナさんに殺されそうになって、何故か身体が勝手に動いた。彼女を殺そうと、冷静に殺害の計画を立てて。その結果僕はごく冷静にナイフを奪い取り、彼女を殺した。あの時の僕は、本当に“僕”だったのだろうか。  頭の中に、あの時の声が反芻する。殺せ、殺せ、殺せ。僕は、人を殺したいだなんて思ったことはなかった。なのにあの夜、僕はどうしてもミーナさんを殺したかった。彼女の血を見たいと思った。肉を引き裂いて、生命の最期の輝きというものを、この目に収めたいと思っていた――。  あの殺意は、僕のものなのだろうか。まるで別人のようだった。殺せ殺せと囁く影が、僕の身体を乗っ取って、彼女を殺害したかに思えたが。でもそれは言い訳でしかないのかもしれない。だってミーナさんを殺したのは間違いなく僕自身だ。それを意識云々で責任転嫁するのは間違っていると思う。でも僕が殺害したことには変わりないが、それは本当に“僕”だったのだろうか。その疑問だけが、どうしても拭えない。  しばらく鬱蒼とした思考に沈んでいると、再度扉がノックされた。 「ジュン様、朝食をお持ちしました」  サーニャに入るよう伝えると、彼女は更に品目の減った朝食をお盆の上に載せていた。それを見て更に気分がダダ下がるが、それも仕方ないのかなと、何となくそう感じた。  朝食を終えて。流石に寝ないとマズいと思ったので、早いところ眠ろうとベッドに入ったのだが、どうしても眠ることができない。窓の外は曇り空だったが、悶々としている内に雨が降り始めていた。やはりミーナさんを殺してしまったことがどうしても響いているようで、僕は気分の悪さを感じながら何度も寝返りをうつ。しかしそうしたところで眠れるわけではないので、ただただ時間だけが浪費されていく。だけど眠らないと、本当に体調を崩してしまうかもしれない。この世界には薬という概念があるのかわからないが、もしかたら魔法? の力で眠らせてもらえるかもしれない。そこまで思い当たって、サーニャに聞きに行こうと思った時だった。  部屋のドアが、金属か何かで叩かれる音がした。それはノックのようだが、どうしても今までと毛色が違う気がして止まない。僕は何事かと思って、ドアの方に誰なのか声をかける。 「騎士のアルバートです。王から少しお話があるようですので、共に来ていただけますか?」  アルビオン王から直々に話。なんだか嫌な予感が拭えないが、無視することもできないだろう。 「わかりました。今行きます」  それだけ伝えると、寝不足で怠い身体を強引に起こして、僕は部屋のドアの方へ歩いていった。  アルバートは他の騎士に違わず、二メートルは優に超す巨体を持った男だった。まぁこの国の騎士は基本的に二メートルを超えるらしい(見た限りだが)ので、別に彼が特別というわけでもないのだろうが。僕は彼の案内で、恐らく王城の謁見の間に連れられていた。  僕が歩いている間、アルバートは無言だった。騎士というのが僕の知る騎士像と全く一緒かどうかはわからないが、不要なことは口にしない主義なのだろうか。王城を歩いている間、すれ違った人々は皆、僕から顔を逸らし、二人以上でいた場合は互いに噂話をするような姿勢を取った。今王城では僕の取り扱いに困っているのは確かだろうが、城での主流は勇者による使用人殺害説だろう。決してミーナさんがスパイであったことは、誰も信じないのだ。それも仕方ないと言えば仕方ないとは思うが、疑われる身からすれば溜まったものではない。運が悪ければ、僕は殺人の罪で処刑されてしまうことだってあり得るのだ。僕はそんな可能性に怯えながらも、まだ拘束されていないので、呼び出しは処刑ではないだろうことに安堵していた。  しばらく王城を歩いて、僕たちは謁見の間の前まで辿り着いた。そこは大きな扉によって仕切られており、今は閉じられているので中を窺い知ることはできない。扉の前には騎士が二名おり、アルバートが何やら言伝をしていた。二名の騎士はアルバートの言葉に頷くと、二人して扉の前に立ち、それを両手で開けていく。  重厚な扉の音が響き、大扉が開いた。僕は後ろからそれを眺めていたが、中の様子を見て少し驚く。  謁見の間にはアルビオン王の他に彼女の娘(最初に召喚された時に隣に連れ添っていた王女だ)、王妃に騎士群、他には参謀と思しき姿もあった。彼らは皆こちらを厳しい視線で注視している。その視線を受けて、僕は少し緊張してしまう。流石に処刑等その類の話ではないのだろうが、この張り詰めた空気感から、よっぽど大事な話がなされることを察する。  アルバートは僕に謁見の間の中央に行くことを指示すると、彼自身も騎士たちの群れに加わった。僕は若干心細く思いながらも、中央の方へ歩いていく。  意匠の凝らされた大理石の中心に立ったところで、アルビオン王が口を開いた。 「ジュン様。どうぞお越しくださいました。――それで、今日は大事なお話がございます」  アルビオン王は、この前とは打って変わり、何かと堅苦しい表情だった。なんとなく恐怖心を感じながらも、僕は彼の話を黙って聞いていた。 「ジュン様は、ここアルビオンに勇者として召喚されました。しかし、あなた様はブリタニアと戦っては下さらない。その上、使用人が亡くなるという事態が起きました」  アルビオン王は口髭を撫でながら、とても言いにくそうな顔をした。 「私は、ジュン様を信じていないわけではありません。前の世界とはかなり状況が違うということも理解しています。ですから、あなた様が戦うと言って下さるその日まで、私は待つつもりでございました。しかし、そこに使用人の一件が絡んで参りますと、話はそう簡単なことではなくなってしまいます。使用人の密偵疑惑、ジュン様の主張を信じていないわけではありません。しかし、私にも立場があります。今、ジュン様にかけられている疑いが晴れない限りは、ここ、王城に置くことはできません」  アルビオン王は立ち上がって、僕を見下ろすような体勢を取った。 「勇者ジュン様、あなたを王城から追放することに決定いたしました。――どうか悪く思わないで下さい」  僕はアルビオン王の発言を受けて、この世界の無情さを痛感した。
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