第二部

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 自室に戻ってきて、僕はすぐにベッドに倒れ込んだ。柔らかい布団が、僕の体重を吸収する。そのまま僕の重苦しい感情まで受け止めてくれれば良いのに、なんてどうでもいいことを考えながら。布団は体重を支える以上のことはもちろんしてくれないが、その柔らかさだけで僕の気持ちを和らげてくれる。しかしこのベッドに横たわれるのも今日で最後かと思うと、更に憂鬱な気分になった。  僕は布団の上で寝返りをうち、天井の方へ顔を向けた。もちろんこの世界に蛍光灯などといった気の利いたものはない。光源となるものは机に置かれている燭台くらいだ。今は昼間なので明りの心配はないが、外は雨が降っているので、若干部屋は暗かった。  ベッドに横たわりながら、僕は部屋の内部を一瞥する。この世界に来る際、もちろん所持品の類は全て置いてきているので、僕の持ち物だと胸を張って言えるものはない。強いて言えばここに来る時来ていたジャージくらいなものだ。それくらいしか持ち物はない。なんだか、一人置き去りにされたような気分だった。勝手に召喚されて、勝手に捨てられて。僕が戦わなかったのがいけないのか。でもきっと、僕は悪くないはずだ。だって、誰だっていきなりこのような状況に置かれて戦えと言われても、戦えるはずないじゃないか。どんな人間だって、人殺しなんてしたくない。だから戦うことを拒絶する。それの何がいけないと言うのか。僕は悪くない。僕は、悪くないんだ。  部屋を一通り眺めて、僕は嘆息を吐いた。  アルビオン王からの指示で、僕は王城から追放されることとなった。追放というのは他でもない。その名の通り、この城から僕は追い出されてしまうわけで、期日も本日中とのことだった。この決定には、主に参謀部からの意向が大きいらしい。勇者召喚によって、遥か昔からこの国は救われてきたが、その勇者が役立たずとあれば、風評上早いところ捨てるべきとの決断に至ったようだ。勇者をその任から解放することで、また新しい勇者を呼ぶことができるらしいのだ。その話を聞いて、僕は一人笑ってしまった。なんだよ、勇者は何人でも召喚することができるのか。だったら本当に、使い物にならないなら捨てれば良いだけじゃないか。――やっぱり、僕は要らないんだ。この世界でも、要らない人間だったんだ。  今日中に荷物をまとめて出ていけということなので、取り敢えず自室に戻ってきたが、そもそもまとめるほどの荷物もなかった。僕は身一つでここに呼ばれたわけなので、当然と言えば当然だが。しかし持ち物が何もないというのはつまり、ここ以外で生きていくことが不可能だということだ。流石にここを出る際は多少のお金をもらうことができるだろうが、それも雀の涙だ。結局ここを出るなら働き口を探さなくてはいけないし、もしそれが見つからないのならば死ぬしかない。王城の連中も、そのことを承知で僕の追放を決定したのだろう。というか、僕はこのアルビオンの人々と人種というものが違う。つまり顔立ちがだいぶ違うわけで、それが理由で雇ってもらえる可能性も低かった。だからアルビオン王は、僕に野垂れ死ねと言ったも同然というわけだ。  そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。僕は起き上がって、何者かを尋ねる。 「サーニャです。その、お迎えに上がりました」  お迎え。つまりここを追い出す見送りというわけか。僕は自嘲して、ベッドから降りた。入って良いと指示すると、扉が開かれる。しかしそこにはサーニャだけでなく、他の使用人が多く詰めかけていた。最後くらい盛大に、ということだろうか。更に沈鬱な気分になりながらも、僕は荷物が殆どないことを伝えた。 「それでは、こちらがせめてもの餞別でございます。一週間くらいは生活できるかと」  そう言って、何やら革の袋を渡してくる。何かと思いながらそれを開けてみると、中には貨幣らしきものが何枚か入っていた。恐らく、この国の通貨だろう。というか僕はこの国の通貨単位を知らないし、物価のレートもわからない。そのような状態で野に放たれるのは、とてつもなく危険なことに思えた。 「――ありがとう。悪いね」  僕は取り敢えず感謝を伝えた。そもそも追い出しているのは相手側なのだから、恨み言は言えど感謝は言わなくても良い気がする。やはりそう思われていたのか、サーニャはわたわたと手を振って僕の言葉を否定した。 「い、いえ。私たちがジュン様を追い出すのですから、感謝は要りませんよ。――その、今までお世話になりました」 「それはこっちのセリフだよ。――ありがとう」  軽く頭を下げたサーニャは、僕に付いてくるよう指示してきた。王城の入り口まで案内してくれるつもりなんだろう。僕はそのまま最低限の物品を詰めたバッグを背負うと、彼女についていく。その際、詰めかけていた使用人たちが、軽く頭を下げて僕を見送った。しかしその目線は冷たい。それも仕方のないことかもしれない。僕は勇者として召喚されながらその責務を果たさなかったし、何より使用人の中でも信頼されていたミーナさんを殺してしまった。罵詈雑言を浴びせられても文句は言えないだろう。たとえ僕が正当防衛でミーナさんを殺害していようともだ。それを誰も信じてくれないのでは、意味がない。  サーニャに付いていく内に、何人かの騎士やローブを羽織った人々とすれ違う。彼らは僕に睨むような目線を向けてきた。彼らも、僕の言い分を全く信じていないのだろう。王城の人間の中には、僕を処刑しようとする意見もあったようなので、この程度で済まされているだけ僥倖だと思いたい。僕は人々の視線に気が付かないふりをしながら、サーニャの後を付いていった。  しばらくして、王城の正門に到着した。その隣には馬屋が設置されている。そこは僕が葦毛の馬に乗らせてもらった場所で、あの時はまだこのような結末になるとは思っていなかった。過去の出来事を振り返りながら歩いていると、サーニャが門番の騎士に近づいて何事かを伝えていた。サーニャと話していた騎士は頷いて、正門を開け始める。  正門は手動ではなく、古典的な装置か何かで動いている。僕はそのシステムを知らないが、騎士が何か舵のようなものを回して、門を開く構造のようだ。段々と重苦しい扉が開いていき、やがて完全に扉が開く。  正門が開いたのを確認して、サーニャはこちらに振り向いた。 「短い間ではありましたが、ありがとうございました。また会うことがあれば」  また会うことがあれば。きっと、そんな日は来ないのだろう。それをお互いにわかっていながら、彼女はその言葉を口にした。僕もそれに対して咎める気も起きず、適当に返事をする。 「うん、じゃあね。サーニャ」  そう言って、僕は門番の騎士とサーニャに見送られながら、王城から出ていく。城門から出たところで少し背後が気になって振り返ってみたが、そこにはもうサーニャの姿はなく、騎士たちが城門を閉め始めていた。  王城から追放されて、僕は根無し草になった。この世界に身寄りがあるはずもなく、僕は正真正銘の宿無しになってしまったわけだ。王城を出る際に多少のお金は貰ったが、この量でどれくらいの生活ができるのかはわからない。サーニャが言うには一週間程度らしいが、本当にそこまで生活できるのかも、この世界の貨幣価値を知らないので確かなことは言えない状態だった。  僕は取り敢えず、街の方へ向かって歩いた。王城から出て真っ直ぐ進めば、そこはもう城下町だ。前に通った時はアルビオン王もいたから人でごった返していたが、今はそういうことはない。しかも雨が降っているので、人通りというものは少なかった。現在時刻は昼過ぎくらいであろうが、この国の人々は雨だとあまり外出しないようだった。  僕はサーニャから貰った旅人用のコートを着込みながら、雨脚を防いでいた。この世界には傘やら雨合羽やら便利な道具はない。コートに縫いつけられたフードを被って、雨を凌ぐしかないのだ。僕は身体を冷やさないようにコートの中で身体を縮こませながら歩いた。そもそも、このアルビオン王国に季節はあるのだろうか。それすらもわからないが、現在の気温的にはかなり寒い。服の上にコートを着込むだけでは、若干防寒に支障をきたしそうだった。  少し歩くと、僕はすぐに繁華街へ到着した。しかし人の数はかなり少なく、皆早足で目的だけを果たそうとしているようだ。僕はとにかく、食べるものを仕入れたかった。王城を出る際に昼食を食べさせてもらえなかったから、かなり腹が減っていたのだ。しかも殆ど眠っていないので、宿屋か何かがあれば、そこで泊まらせてもらった方が良いかもしれない。  そんなことを考えながら街を歩いていると、当然のことながら道を知らないので、どこか知らない通りに入り込んでしまう。ここは中世の城下町なので、街並み自体が整備されているわけではなく、とても入り組んだ地形をしていた。だから真っ直ぐな道というものがなく、少し道を逸れるだけで迷子になってしまう。というか早いところこの街の構造を知っておいた方が良さそうだ。というのも、この町以外に出かけようとも、ブリタニア軍が攻めてきているので行きようがない。この街がそろそろ陥落しかねないとしても、僕に行く場所はないのだ。そもそもブリタニア兵に捕まりでもしようものなら、僕は敵国の勇者として処刑されてしまうだろう。だからアルビオン軍が劣勢だとしても、この城下町で生きる他ないのだ。  道に迷いながら歩いている内に、段々と暗い場所に出てしまった。そこには物乞いの老人や気の狂ったような女性、明らかにまともな仕事をしていない男たちがいた。どうやら、いわゆるスラム街という場所に出てしまったらしい。こんなところに長居するのはよろしくないだろう。しかし、どこから出ればこのスラム街から脱出できるのかわからない。周囲を漂う異臭に顔をしかめながら、とにかく来た道を戻ろうと思った時だった。 「お前、見ない顔だな。しかもアルビオン人じゃない。なにもんだ、てめぇ」  振り返ると、そこには三人ほどの男たちが立っていた。背筋を冷たい汗が伝う。この人たちに絡むのはマズい。そう本能が告げていた。 「こいつ、どっかの民族出身者なんじゃねーの? すげぇ変な顔だけど」 「んー、というか、どっかで見たことあるなコイツ……あ」  男の内の一人が、歪んだ笑顔を浮かべた。 「こいつ、確かオウサマが召喚した勇者って奴じゃね? 前に表歩いてるの見たぜ」  他の男たちが、口々に声を上げた。僕は頭の中で、どうやってこの状況から逃げ出そうかを必死に考えていた。 「なんだよ、馬に乗ってたからあれだったけど、すげぇ小せえんだな、お前。そんなんでブリタニアの連中を殺せるのかよ?」 「はは、無理無理。こんなチビにできるわけないって。武器も持てなそうじゃん? ほら、どうなんだよ、お前」  一人が僕をどついた。かなり大柄な男だったので、その勢いだけで地面に倒れ込んでしまう。その時、僕はポケットに入れていた革袋を地面に落としてしまった。  金属同士がぶつかり合う音が、周囲に響き渡る。僕は直感的に、マズいことをしてしまったと悟った。 「――おい、こいつ金持ってるぞ」  男の一人が、僕が落とした革袋に手を伸ばした。僕はそれを見て、必死に声を上げた。 「やめて! それは!」  そう言って革袋を取り戻そうとして、僕は男に殴り飛ばされてしまう。ちょうど拳が顔面に命中したから、口の中を切ってしまう。血の錆びた味が、舌を刺激する。  男は革袋を僕から取り上げると、他の男たちにも見せながら中身を確認して、顔色を変えた。それは喜びの色。かなりの金額だったらしい。 「おいおい、勇者様よぉ。こんな大金持ってスラムをうろついちゃダメですぜ」 「俺たちみたいなのに、奪われちまうからなぁ!」  そう言って、男たちは僕に対して暴行を開始した。しかもその暴力の殆どは、僕の顔に対して。顔面に殴る蹴るの暴行を受けた僕は、溜まらず地面に倒れ込んでしまう。 「これはいただくぜ勇者様」 「返してほしかったら、鍛え直して出直すんだね」  男たちは笑いながら革袋を盗んでポケットの中に入れた。スラムの地面に叩きつけられた僕は、一人鼻血を流しながら、切れた唇を噛む。  抵抗できるだけの力がない。だから僕は、ここでこうして這いつくばっているしかないのだ。  この場を去ろうとしていた男たちが、何かを思い出したかのようにこちらに振り返った。その瞳は淀んでいて、光というものが伺えない。彼らは僕を囲むように立ちはだかると、唇の端を醜く歪ませた。 「――おい、こいつ、勇者だったんなら、奴隷として高く売れるんじゃないか」  男の一人が、そんなことを口にした。  奴隷、なんていう物騒な文言が聞こえたが、聞き間違いではないようだ。この世界の文化などは知らないが、奴隷の文化が現存しているというのか。僕は、背筋に冷たい汗が伝うのを知覚する。 「でも良いのか? もし勇者を売ろうもんなら、王城が黙ってないぜ」 「大丈夫だよ。この街以外で売れば。きっと奴らの監視は及ばない」 「それもそうか」  男たちは腹が決まったようで、僕の方に詰め寄ってきた。痛む身体を引きずりながら逃げようとするが、男たちに阻まれて逃げることは叶わない。 「大人しくしろ、クソガキ。今から俺らがお前さんを高く売ってやるから――よッ!」  男の一人が、僕の頭に蹴りを入れた。その蹴りはかなりの勢いを伴っており、僕はそのまま地面に叩きつけられてしまう。そのまま、意識が明暗する。先ほどからの暴力によるダメージに加えて、最後の一撃が頭に影響をもたらしたらしい。少しずつ意識というものが薄れていき、視界が狭まっていく。このままではと思いつつも、僕はその場で昏倒してしまうのだった。
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