第二部

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 ベンを筆頭に、僕たちは上階を目指す。牢屋の様子からわかるように、ここは地下のようなので、脱出できる一階が目的地だ。少し階段を上ると、踊り場のような場所に出た。ベンは踊り場から奥を確認すると、僕の方に戻ってくる。 「奥に人がいる。多分奴隷商人たちだ。先に進むには、奴らを倒すしかない」 「戦うの?」 「それしかない」  ベンはそう言うと、僕の背後の人たちにも確認を取るようにした。僕が後ろを振り返ると、武器を持たされた男たちは、コクンと頷いた。 「行くぞ!」  そう意気込んだベンは、勢いよく踊り場から飛び出した。僕たちもそれに続く。踊り場の先はなんだか悪趣味な装飾が施された部屋になっており、まさに奴隷商人のアジトといった具合だった。  僕たちが踊り場から飛び出すと、机に行儀悪く頬杖をついていた奴隷商人たちが、一斉にこちらに向き直る。彼らはかなり華美な装飾を全身に施しており、趣味が悪い。僕は山刀を構えながら、彼らの方へ向かっていく。 「なんだお前ら? もしかして、脱走か?」  奴隷商人の一人が、意外とのんびりした様子でそう告げた。 「そうだ。抵抗しないなら、殺したりはしない」 ベンが勇敢にも声を上げ、奴隷商人たちに武装を解除するよう伝えた。しかし奴隷商人の男たちはおかしそうに笑うばかりで、腰に下げた山刀を捨てようとはしない。ベンは痺れを切らしたのか、勢いよく奴隷商人の方へ向かっていった。  ベンは山刀を振り上げ、勢いよく振り下ろす。その切っ先は奴隷商人の脳天に向かっている。奴隷商人は愉悦したような様子で左手に持ったジョッキの中身を飲み干しながら、右手で引き抜いた山刀でベンの攻撃を受け止めた。  金属音が周囲に響いた。僕はその音に顔をしかめる。しかしベンの放った一撃は、奴隷商人に容易く弾かれて、ベンはその場でよろけてしまった。 「――はぁ、わかってねぇな、お前ら」  ベンの攻撃を弾き返した奴隷商人は、わざとらしく溜息を吐くと、左手に持ったジョッキを投げ捨てた。 「なぜてめぇらにメシを与えてないかわからないのか? そりゃ当然、お前らの抵抗力を削ぐためだよ。体力がなきゃ、せっかく鍛えた能力も発揮できねぇ。こうやって俺の山刀に弾かれちまう。もとは優秀な兵士だったとしてもなぁ!」  奴隷商人の男は叫ぶように言い放つと、山刀を引き絞って、ベンの顔面に向けて放った。ベンは少し反応が遅れたものの、持っていた山刀でその一撃を受け止める。またもや金属音が響き渡った。奴隷商人の一撃はベンの山刀を弾き飛ばし、ベン自体も吹き飛ばす。ベンは後方にいる僕の方まで飛ばされてしまう。咄嗟のことだったが、僕は飛んできたベンの身体を受け止めた。  彼の体重が腕にのしかかる。大して身体を鍛えていなかった僕は、その重みを支えきることができず、ベン共々床に叩きつけられてしまう。  ドガッという音が響いて、僕たちは床に転がった。すかさずベンの方に這いよって、安否を確認する。 「ベン! 大丈夫?!」  ベンは顔を歪めながらこちらに向くと、悔しそうに唇を噛んだ。 「すまねぇ……俺の力だけじゃ、奴に敵わない……」  僕はベンの身体を支えると、肩を貸しながら一緒に立ち上がる。奴隷商人たちはその様子を嬉々として眺めていた。 「おやぁ、麗しい友情ごっこだねぇ――。まぁ、仲良いことは悪かねぇ。だってよぉ、――今から一緒に死ねるんだからなぁ!」  奴隷商人の男が雄叫びを上げると、他の二人いた奴隷商人たちも叫び声を上げた。そして彼らは山刀を抜き、こちらに襲い掛かってくる。僕たちで戦えるのは、先ほど武器を吹き飛ばされたベンを除いて三人だ。そうすると、物量的に一人一体を相手にしなければならない。つまり戦うなら僕も参戦しなければならないわけだ。僕はそのことを悟って、恐怖に背筋が凍り付くのを感じた。殺されてしまう。戦わないと、死んでしまう――。そんな恐怖が僕の心を埋め尽くした。しかし、体力的に有用なのは僕一人だ。他の二人は栄養失調でベンと同じ運命を辿るだろう。僕が戦わないと、みんな死んでしまう。それがわかっているのに、僕の身体は動こうとしなかった。 「ジュン、お前が頼りだ! 頼む!」  ベンは僕の手をどけて、襲い掛かってくる奴隷商人に飛びついた。武器がない状態でも、戦うつもりらしい。他の武器を持っていない奴隷たちも覚悟ができているのか、勇敢にも武装した奴隷商人に飛びついていく。 「ジュン! 俺たちが動きを止める! お前は隙を見て連中を倒してくれ!」 ベンがそのように作戦を伝えてくるが、僕は足が竦んでしまっていた。膝が笑い続けている。怖いんだ、戦うことが。人を殺してしまうことが。生来的に、人は殺しを避けるという。それが例え自分の生命が賭かっていたとしても。人間は人殺しを避けてしまう生き物だ。その例に違わず、僕もこのような状況ながら、奴隷商人を殺すことに抵抗感を覚えていた。 「ジュン! 何してる! 長くは持たないぞ!」  ベンが叫ぶ。しかし僕の身体は動かない。いや、動けない。僕の全身は恐怖に縫いつけられてしまったかのようで、ピクリとも動こうとしない。このままではみんな死んでしまう。そんなことを理解していながら、僕は行動を起こせずにいた。  そんな風に時間を浪費していると、今まで奴隷たちが商人たちを食い止めていた均衡が崩れ始める。奴隷商人たちは奴隷たちを引き剥がずと、邪魔と言わんばかりに山刀で彼らを斬り捨てていった。  血しぶきと絶叫が周囲を包み込んだ。奴隷たちは身体を引き裂かれていき、その場で絶命する。世界が赤に染まっていく。僕は目の前が血塗られていく様子を俯瞰するように眺めながら、山刀を取り落とした。 「ジュン――!」  ベンの叫びが遠く聞こえる。彼もリーダー格の大男を食い止めていたが、力が及ばず再度はね飛ばされてしまう。このままでは、本当にみんな殺されてしまう。助けなきゃ、助けなきゃ――。そう思っていながらも身体は動かない。恐怖に負けているんだ。自分が殺される恐怖に、ベンや、奴隷たちが殺されてしまう未来に。僕は唇を噛み締めた。僕が強ければ、きっと迷うことなんてなかったんだろう。不器用にも山刀で奴隷商人に切りかかって、戦っていたんだろう。僕は弱いから、それができない。僕が弱いから――。そんな後悔だけが、胸を埋めていた。それで人を救えるわけじゃないのに。僕は後悔で、自分の不甲斐なさを紛らわせていた。  ――せ  声が聞こえた。始めはとても小さい声だ。しかし段々とその声色は輪郭を持つようになり、僕の心臓の鼓動を速めた。  殺せ  心臓が跳ねた。それが運命であるかのように。僕は無意識の湖へ沈んでいく。  殺せ――!  あの時の記憶。ミーナさんを殺した時の記憶。あの場面が、脳裏を闊歩した。  まるで自分ではないかのような動き、感情。それによって、僕はミーナさんを殺した。それが当然であるかのように。人を殺すのが、自然の摂理と言わんばかりに。僕は彼女のナイフを奪って、逆に殺し返した。それができるだけの根拠が、きっと僕の中にある。 ――殺せ!  ようやく、目が醒めた。  僕はごく自然な動作で身体を揺らし、全身の緊張をほぐした。人を殺す際の緊張というのは、スパイスのようなものだ。少なすぎてもいけないし、多すぎてもいけない。緊張感というものはストレスと一緒で、コントロールすることで真価を発揮する。僕はその理論に則って、殺人行動に不必要な緊張感だけを疎外した。自分の肉体と精神を殺人にフォーカスする。必要なだけの要素を身体に馴染ませて、僕は人殺しの最適化を終了した。  対象は三人。皆大柄だが、動きは鈍い。リーダー格の男だけは、かなり戦場というものに慣れているようなので多少の注意は必要だが、下手に身構える必要はない。殺戮に特化した思考の元で、僕は三人の殺害計画を立てる。まず、両脇の二人を殺す。造作もないことだ。一人目が腰に差しているナイフを奪って、首筋に突き立てる。その後、素早くもう片方に接近し、同様の方法で殺害。その後抵抗されない内に、リーダー格の男を仕留める。こういった戦いで大切なのは、一切の抵抗を許さないことだ。自分の動きの中で、敵の行動というものは全て不確定要素である。その曖昧な未来によって、殺人を阻害されないよう立ち回らねばならない。それは人殺しを行う上で、非常に重要視されることだった。  僕は脳内で計画を立案すると、それをすぐさま実行に移す。身を屈めて、大腿部を限界まで引き絞り、矢を放つように解き放つ。奴隷商人が瞬きする程度の時間で、僕は一人目のもとに到達する。彼はまさか一瞬で距離を詰められると考えていなかったのか、驚愕するように目を見開いていた。  僕は冷静な動作で、かつ素早く奴隷商人の腰に差されているナイフを抜き取る。かなり鋭利なナイフなので、切れ味には事欠かないだろう。僕はそのまま連続した滑らかな所作で、そのナイフを男の首筋に容赦なく突きたてた。  ナイフが動脈を突き破って、骨まで到達する感触を味わう。その手触り自体に関心はない。ただ。骨まで到達したことが確認できれば良いだけだ。僕は一秒にも満たない動作でナイフを奪い、男を絶命まで追い込むと、彼が倒れ込んでくる前に、二人目の男の方へ飛びついた。その際に一人目の男を殺した時に付着した血液を振り払いながら、二人目の男の首に巻き付く。首にしがみつくことで、相手の視覚を封じることができる。僕は足で男の首を絞めながら、なんの躊躇いもなくナイフを首筋に突き立てた。  再度肉を抉る感触を味わいながら、素早くナイフを引き抜いた。男の首筋から血液が流出して、彼は速やかな死を得る。  僕は男の首から飛び降りながら、最後に残ったリーダー格の男を視界に収めた。彼は少し僕の動きに驚いているようだが、若干余裕そうな表情を浮かべている。 「ほう……手練れもいたのか。これは楽しめそうだな――」  リーダー格の男はにやつくと、山刀を振り回して、こちらを威嚇するようにした。僕はそんな動作に驚くことなく、静謐な思考の元、彼の殺害を画策する。  彼は少し注意しなければならない。先ほどの二人は簡単だったが、若干の間が開いてしまった。このまま同じように殺すのは不可能だろう。僕は非常に冷静な思考回路の元、男を抹殺する手順をまとめ上げた。  僕は飛びかかる準備を整える。また同じように大腿部を引き絞り、僕は男に向かって突っ込んだ。リーダー格の男は顔を不気味な笑顔で歪めながら、僕を迎え撃つように山刀を振り下ろす。  しかし、僕のスピードが予想外に早かったからか、山刀が振り下ろされる前に男の元へ到達してしまう。彼は流石に予想外だったのか、驚いたようにポカンと口を開けていた。僕はそのままの勢いで、男の股下へ滑り込んでいく。スライディングの要領だ。僕は手早い動作で男の股へ潜ると、ナイフで大腿部を引き裂いた。  太腿の部分には、太い動脈が通っている。そこを切り裂けば、立つ力を奪った上に、大量出血を狙えるのだ。僕は大腿部から噴き出す血液に濡れないように、滑り込んだ勢いのまま後方へ流れていく。 「グギャアァァァァァァッ!」  リーダー格の男が絶叫する。僕はそんな彼に僅かばかりの憐憫も抱かず、ナイフに付着した血液を振って払うと、立ち上がって背後から胸を突き刺した。  心臓ではなく、肺に向かって。僕のナイフは男の左肺の部分に突き刺さった。僕は刺さったナイフを抜くのではなく、そのまま捻じるようにする。回転したナイフは皮膚や筋肉を引き裂き、左肺に外気を送り込む。リーダー格の男は突然流入した外気に身体を震わせて、素早く絶命する。  ナイフを引き抜いて、地面に捨てた。ショック死したリーダー格の男は、そのまま前方に崩れ落ちていく。僕はその様子を何の感情も伴わないまま眺めていた。  スッと、意識が揺らぐ。きっと、もう一人の“僕”が戻って来るのだろう。もうお役御免というわけだ。しかしその扱いに憤慨するでもなく、僕は静かに目を閉じた。  僕は、自動殺戮者だ。死神の申し子だ。だから、普段は眠っているだけでいい。“僕”が必要とした時だけ、目を醒ませばいい。僕は暴力そのものだ。普段の生活に、武力は不必要なのだ。僕が目を閉じると、意識が湖の底へ沈んでいくような感覚が全身を支配した。  その惨状を見て、これを僕がやったとは到底受け入れられなかった。  身体の一部が欠損して絶命した、奴隷だったものがいくつか転がっている。その中心部には、三人の華美な服装の大男たちが絶命していた。この現状を、僕が招いたものだと理解していながら、その事実を事実として受け入れることを身体が拒否している。 「ジュン、お前――」  どこか痛めたのか、身体を支えながら近づいてくるベン。彼の顔を見ることができない。きっと、僕のことを軽蔑しているだろうから。近づいてきたベンは、何も言わずに僕の肩を優しく叩いた。 「いや、いい。助かった。さっさとずらかろう。生きている奴は、この部屋を漁って取り敢えず逃げるぞ」  ベンはそう告げると、生存者たちに指示を出した。僕はそんな中、一人赤く染まった両手を眺めていた。  僕が、殺した。ミーナさんの時と同じ。自分の手で、他人を殺してしまった。その罪深さが、胸を闊歩している。僕は合計で四人もの人間を殺害してしまった。もう天国に行くことはないだろう。僕はきっと、地獄に落ちる。それだけは明瞭だった。  ベンの指示で、生き残った奴隷たちが部屋の内部にある物品を漁り、使えそうなものを探している。僕もその中に加わるべきなのだろうが、身体が動かなった。 「ジュン、もしかしてだが」  背後からベンが声をかけてきた。かといって、振り返ることはしない。 「奴らを殺したことを、後悔しているのか?」  まさに図星だったので、僕は言葉に詰まってしまう。しばらくそうやって黙っていると、ベンが僕の目の前に立った。彼は俺を見下ろした後、優しげな笑顔を浮かべる。 「気に病むことはない。世の中には、生きていちゃいけない人間ってのがいる。奴らはそれだ。死ぬべき人間だったんだ。だから気にしなくていい」  彼は博愛主義を説くわけでもなく、世の中の無情さを告げた。死ぬべき人間はいない。そんな偽善を説くことがないだけ、現実を見据えていると言えるだろう。しかし、だからといって殺人が肯定されるものでもない。僕が人を殺したことは事実なのだ。だからそれは、きっと罪なんだろう。一生かけて背負う、罪の十字架。それを一人で下ろすことはできない。死ぬまで、抱えていなければいけないものだ。 「でも、人を殺したことには変わりないよ。僕は人を殺したんだ」  こんなこと言うべきじゃないことをわかっていながらも、そう言わずにはいられなかった。ベンは僕の言葉を肯定も否定もせず、ただ小さく息を吐いて笑う。 「ジュンが奴らを殺したことで、救われた生命がある。周りを見てみろ。俺を含め、生きている人間は全て、お前のお陰でこうやって立てているんだ。ジュンは、俺たちを守ってくれた。お前がいなければ、みんなここで死んでたんだ。なぁみんな、そうだろ?」  ベンが大声で奴隷たちに呼びかけた。奴隷たちはこちらに振り返ると、僕に対して口々に感謝を伝えてくる。そんな彼らの様子に、僕は少し戸惑ってしまう。そんな僕の肩に、ベンが寄りかかってくる。 「全部、お前のお陰だ。お前が来たから、俺は脱獄を考えたし、奴隷商人たちを倒すことができた。少しくらい、鼻にかけたって良いんだぜ?」  ベンはニカッとこちらに笑顔を向けると、僕を置いて部屋を漁る作業に従事していった。僕はそんな彼らの姿を見ながら、一人自分の罪の重さを噛み締めていた。
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