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自殺なんて良いことないですよ。
私、山田やこがそう語り続けて早10年の月日が経っております。
ここは街からほど近い、山中の森にある自殺の名所として有名な廃墟です。
10年の間に数えきれない人々がこの廃墟に導かれ、屋上から飛び降りました。
……絶望も苦しみも人それぞれ。
私には彼らの苦しみはわかりかねますが。
それでもやはり、飛び降りるのはやめた方がいいと思います。
実際に飛び降りて、未だに成仏できない私が言うのですから間違いないです。
だって、私すっごく後悔してますからね?
できることなら蘇りたいくらいです。
というか、なんで10年前に飛び降りた私がこの場にとどまり続けてるのに、後から飛び降りた人たちが先に成仏するのですかね? 皆さんそんなに未練がないのですか?
おかげさまで私この廃墟のヌシみたいになっているんですけど。
この前も肝試しに来た人が噂していました。
10年前の少女の霊が出るって。受験に失敗した可哀想な少女の霊が……。
待ってください。なんで噂になってるんですかね?
確かに当時の私は10校もの受験に失敗、テンションがおかしくなって「そうだ、もう死ねば楽になれる気がします!」って思い立った勢いでここにきて両手を広げて飛び降りたのですが……なぜ噂になっているのでしょう?
……親族ですか?
私のことを知っている親族や、悲しみの癒え始めた両親が、過去の私のことを思いだしてお酒の席か何かでぽろっと話してしまったんですかね?
地縛霊と化していなければ今すぐにでも飛んでいき、犯人を突き止め夢枕にでも立って「撤回しろ―」って囁きかけたいところですが……。
まあ、今更ですね。
誇りはないですが私、ここのヌシですからね。
10年もここにいますからね。
自殺っていいことないよーって、自殺に来てしまった世界に絶望中の方々を救わなくてはなりません。
むしろ最近では、成仏できない原因はそれだと、使命感すら覚え始めてますからね私。
でも、ほとんどの人は私が視えなくて、声も届かなくて、結局屋上からダイブしてしまうんですけども、はい……。
そんなわけで、本日も夜。
一人の迷える子羊さんが、この廃墟にやってきました。
外見は私と同じ高校生か、中学生にも見える童顔系の女の子です。
黒いローブを羽織って少し世間から浮いたようなおかしな格好でした。
私のように17歳で時が止まってしまうような現象がこの方の身に起きていなければ、おそらく見た目通りの年齢かと。
彼女はふらふらと廃墟の中に入ってきました。
「三日後三日後三日後……」
……なんか虚ろな目で呟いてて怖いです。
三日後に一体何があるのでしょうか? 殺し屋にでも狙われているのでしょうか?
少女はどんどんと階段を昇っていきます。
あっという間に、何も遮るものの無い屋上まで出てしまいました。
このままではこの子も飛び降りてしまい、私達の仲間に……いけません。
私は無駄だと思いながらも、声をかけました。
「あの……自殺は止めませんか?」
彼女は真っ直ぐ遠く、夜空と街の境目を見ています。
やはり私のことは視えていないし、声も聞こえていないのでしょう。ため息が出ます。
後はいつも通り、私の目の前で人が落ちていくだけの光景が……。
「ねえ、もしかしてそれ、私に言ったのかしら?」
「え……」
くるりと彼女が振り向きました。
私は俯きがちだった彼女の顔と目をこの時はっきりと見ました。
綺麗な深い青の瞳と髪。西洋人形が生きているみたいな、そんな美しい女の子……。
二の句の告げなくなった私に、少女は自虐的で卑屈な笑みを浮かべて再び俯きました。
「いえ、違うわね。こんな生きる価値のない路傍の石以下な私に声をかける幽霊なんていないわよね。とんだ思い上がりだわ……最近だめね。歳のせいね、やっぱり死ぬしか――」
「え、っとえ、ちょ、え……」
私は頭の中がぐるぐるします。
この子私が視えて? 幽霊って怖がられなかった。外国人? なんで……。
時の流れは死んでからも無常です。
考えている間にも女の子が両手を広げ、「さよなら、世界」と飛び降りようとしています。私は、霊体なので彼女を止める肉体がありません。
なので私は、数多の飛び降り人を目撃した膨大な記憶を走馬燈のように呼びさまし、一つ彼らに共通している点を見つけ、言い放ちました。
「な、なにがあったんですか? 三日後三日後って言ってましたよね? 私でよければお話聞きますよ? 相談にのりますよ?」
言葉が届くなら、きっとこれは有効なはずです。
彼等は孤独でした。それが自殺を誘発させてしまうのです。私も相談できなかったからこそ自殺したようなものです。もっと友達を作っておけばよかったです……。
彼女は両手を広げるのを止め、般若の形相で振り向きました。
え、私何かしましたか?
「霊に何ができるの! 三日後にアパートから追い出されるのよ! おしまいよ! この世の終わりだわ! ならもう自分から終わってやるわよ! だからここに来たの、悪い!」
……この子、とんでもない逆切れをかましてきましたよ?
私は言葉を再び失いかけますが、むしろこの子が飛び降りてしまうのならいっそ、疑問は根こそぎ解消しようと思いいたりました。
そうすればまあ、何かした気にはなれます。偽善ですが。
「なんでアパートから追い出されるんですか?」
彼女は怒り狂いました。
「大家よ、あの悪魔! 魔法の研究に使えそうな廃棄物をかき集めて部屋に置いただけなのに! 片付けろって言ってきたの! いつか使うかもしれないから部屋に置いてるだけじゃない!」
それを散らかしているというのでは……と、どちらかというと大家さんの肩を持ちたくなった私ですが、一つ気になる単語が。
「……魔法?」
普段の会話であまり聞かないものです。
非現実的です、オカルトです。生前の私なら絶対に引っかからない言葉だったでしょう。今は私の存在が非現実的なので全然有りですが。
怒りの形相だった少女は一転、デレデレと締まりのない顔つきに。あら可愛い。
「ふふん、私は魔女よ。恐れよ人間! 慄け世界! 私こそ、中世より生き続ける伝説にして不老長寿の魔女。永遠の16歳、イザベル様よ! ふふふ……あれ? 驚かないの? 魔女よ? 希少よ? ありがたがらないの?」
不思議そうに小首を傾げる少女、いや魔女のイザベルさん。
私は苦笑いを浮かべます。
「いえ、もう10年も幽霊やってるので……死後の世界があるなら、UFOとか宇宙人とか魔法とか呪いとか、あっても当たり前かなって……あ、もちろん魔女さんに会ったのは初めてですよ?」
でも、幽霊としてこうして存在し続けている自分自身への驚きには勝らないんですよねぇ、これが……。
イザベルさんはがっくりと膝をついていじけだしました。
「そんな、私はまた人間ごときに遅れをとるというの? 現代人は魔法の存在を頭っから否定する奴が多すぎるわ。だから魔法使った瞬間効果が消されるし、私の魔女としてのプライドはどんどん引き裂かれていくのよ! 人間めぇ絶滅しろ……!」
さめざめと泣き始めるイザベルさん。
なんだかこのまま放っておくとまた自殺に進んでしまいそうな雰囲気……って、もう飛び降りの準備に!
「あ、あの、落ちついてください! 今の時代魔法なんてなくても生きていけますって」
「……私こう見えても500歳の魔女よ? 魔法ありきで生きてきたんだから今更他の生き方なんてできないわ! 部屋の片付けのやり方知らないし……それで大家に追い出されるっていう惨めな思いをするくらいなら、もう死ぬ以外に道がないじゃない!」
「極端すぎですよ!? ちょ、クラウチングスタートの姿勢は駄目です。ゴールはこっち側ですからねそれ! やめてください! 誰かッ、生身の人来て! この魔女さんを止めてくださいなんでもしますから!」
イザベルさんの視線はもう遠くを見つめています。脳裏にはこれまでの人生が駆け巡っているのでしょう。
自殺はよくありません、後悔します。私が死に証人です。
一体どうすればこの方を止めることが……。と、イザベルさんが小首を傾げました。
「ねえ、今あなたなんでもするって言った?」
「え? あ、はい。イザベルさんの自殺を止められるならなんでもしたい所存では……ございますよ?」
日本語がおかしくなりましたが、クラウチングスタートの姿勢を解除してくれたのは非常に安心どころさんです。
イザベルさんは何を考えているのか眉を寄せうなりました。
「ちょうど……でも、大丈夫かしら……けど幽霊だしそれなら……」
ぶつくさ何かを呟いた後に、胸ポケットから人型の人形らしきモノを取り出しました。
「な、なんですかその赤黒くて生々しい呪われた人形っぽいモノは……」
「こんなに可愛いのに、失礼ね。それよりもあんた、そんなに私の自殺を止めたいのなら」
ぽいっとそれを床に落としたイザベルさん。
すると床に本で見たような魔法陣が展開し、人形がむくむくと人間サイズまで巨大化しました。
「え、え?」
「大きさを変える魔法よ。あら、驚かないんじゃなかったの?」
「いやいや、実際に魔法を目にすれば声くらいあげますよ」
イザベルさんは勝ち誇った表情で人形を指差します。
「地縛霊をやめて私のしもべのゴーレムになりなさい? あんたが私の部屋を片付けてくれるなら私はアパートを追い出されないし、自殺なんてしなくて済むわ」
自分で部屋を片付ければよいのではないでしょうか? そう口から言葉が出かかりましたが、私は気づきます。
ゴーレムだか何だか知りませんが、もしやこれは体を手に入れるチャンス? 10年来思い続けてきた蘇りたいという願いがここで叶ってしまうのでは。
「魔女のしもべになるってことは私第一の人生を送るってこと……そもそもあんたが私の自殺を止めようとするのがいけないのよ? それが嫌なら私が自殺するのを見届ければいいわ――って! 話最後まで聞きなさいよ! なんでもうゴーレムの中に入ってるのよ!」
「はっ!? 生き返れると思うと嬉しくて思わず……うわぁ! 感覚があります! 大地に立ってます! 呼吸ができて、心臓の音もあるんですね!」
というか、さっきまで呪いの人形っぽかったのですが、私が中に入った瞬間、肌の色が普通の人間みたいになりましたね? 顔はどうなってるんでしょうか、これ。
顔をペタペタ触っていると、イザベルさんが手鏡を差し出してくれました。
「まあ、気に入ってくれたなら何よりだわ。ちなみにゴーレムは中に入る魂の形通りに変化するから安心しなさい。魔女と同じで、不老長寿よ。私が死ぬと壊れるけど」
手鏡を見ると、あの頃の、17歳のままの私が映りました。
うーん……。
「……魔法でもっと大人の女性の姿にとか、出来ないんですか?」
「必要ないでしょ? そんなことより! 魔女と契約を交わしたあんたには対価と代償が発生するわよ! さ、ついてきなさいしもべ。私の部屋を掃除しに!」
そういえば、そんな約束でしたっけ。代償とか対価って大袈裟ですね全く。
まあ、生き返りの代償がこのお方のお世話程度なら安いものです。
「ところで、あんた名前は?」
「あ、そうでしたまだ名乗ってませんでしたね。山田やこと申します。よろしくお願いいたしますイザベルさん!」
私が手を差し出すと、イザベルさんは己の顎に人差し指を当てて、悩ましげに。
「……やこ、あんた私のしもべなんだから、イザベル『様』じゃない?」
あ……このご主人、めんどくさいタイプかもしれません。
イザベル『様』のお住まいは、閑静な住宅街の一角にありました。
少し貧――ボロボロなアパートの二階。深夜故、静かにイザベル様のお部屋にお邪魔した私は、その様相に思わずうなります。
「これは……大家さん今までよくイザベル様を追い出しませんでしたね?」
四畳半の手狭な部屋の中は、それはもうひどいありさまです。
中身のつまったゴミ袋が散乱し、水の入った様々なペットボトルが転がり、ガラスの破片の山や、拾ったらしい枝の山、空き缶の山……それからホネ? っぽいモノの山が。
「イザベル様。いくら魔女だからって、動物を殺すのはサイコすぎでは?」
「ち、違うわよ! あれはラーメン屋さんとか、ファミレスの裏で漁ったゴミから取り出した鳥とか豚のホネ! 中世時代じゃないんだから、動物愛護団体とか警察が黙ってないでしょ!」
「大家さんへの配慮もしてあげましょうよ……」
ともかく、私は腕まくりをして、約束通り掃除に取りかかりました。
取りかかったのですが……。
「ああ、そのゴミ袋は捨てちゃダメ! 使えるかもしれないわ!」とか「まって、その枝は凄くいい形なのッ、貴重よ!」とか「お願いやめて! そのペットボトルの水はあと少しで月の魔力が……」などとイザベル様は思った以上に騒々しかったです。
大家さんは別宅で、他の数少ない入居者は幸い夜勤や長期旅行などでいないらしいのですが……静かに叫べないのですかね。それか防音の魔法とかないのですか?
無視して掃除を続けること1時間弱。
ようやく畳敷きの床と、ゴミに埋もれていた布団が見えるまでには部屋が片付きました。
「うう……魔法的な価値があるモノの殆どがゴミ捨て場に」
「あの……掃除させるために私をゴーレムにしたんじゃないんですか?」
部屋を片付ければ追い出されずに済むって言ってたのに、なんで落ち込むのですか。
イザベル様はふらふらと立ち上がりました。
箪笥を開けて丈夫そうなロープを取り出します。
何をするつもりなのでしょう?
おや、梁にロープを括りつけて輪っかを作ってますね……その輪っかに首をかけて――。
「さよなら、現世……あんまり楽しくなかったわ」
「なんでですか! おかしいですよね!? あなたの命令通り部屋を掃除したのに、その結果が自殺って……やめてください!」
私はイザベル様の首にかかったロープを外して、窓を開け、外に見えるゴミ捨て場に放り投げました。
「あー! なんてことすんのよ! どーすんの! 代わりに、あんたが私を殺しなさいよ! 殺してよ! しもべでしょ! 私を殺して!」
近所の犬がイザベル様の叫び声に反応したのか吠え始めます。
「ちょっと静かにしてくださいイザベル様!」
私は握り拳をうっかり、イザベル様の頭に落としてしまいました。
「ふぎゃっ!」
「……ど、どうしましょう」
イザベル様、畳に倒れこんで動きません。
あ、でも、強制的にですが自殺は止めさせられましたね。
肉体があるって素晴らしいことです!
翌朝。
ゴーレムだからでしょうか、寝ずに済んだ私は、たんこぶをさすりながら起き上がったイザベル様に尋ねました。
「結局死にたいんですか? 生きたいんですか? どっちなんです?」
実は死んじゃったんじゃないかと密かに心配していたのですが。
するとイザベル様は一晩寝たおかげでしょうか、落ち着いた様子で答えました。
「死にたくなんかないわ。でも世界が私の思い通りにならないのなら死んだ方がマシね。あと、人間に見下されるくらいなら死ぬ。ということであんた、私が作ったゴーレムで、しもべなんだからもう私の自殺を止めるんじゃないわよ! あと、朝ご飯!」
ぷんすかとお怒りモードのイザベル様。
「なんてわがままな……」
私は困惑するしかありません。
とはいえ、お腹が空いたから自殺するとこの方は騒ぎ出しかねないので……私はぼろい台所に不釣り合いな大きい冷蔵庫を開けにいきます。
両親が共働きだったので、私は一通りの家事・自炊を覚えました。何か夢や好きなことがあったわけではありませんが。一人の時間も結構忙しく過ごせたので、家事や自炊は好きです。10年経った今でもおそらく腕は落ちていないかと。
「……あの、食材がないのですが?」
冷蔵庫を覗き込み空っぽを確認した私は、イザベル様に訊きます。
「そんなはず……この前買い物行ったんだから何かしらあるわよ! 冷凍食品とか!」
「冷凍庫も空ですが」
「そんな馬鹿な!」
イザベル様が台所へ駆けてきて、私を押しのけ中を確認します。
「…………そういえば前買い物行ったのは1ヶ月くらい前だったかしら?」
「馬鹿なのはイザベル様では?」
「え? 何か言った?」
「……いいえ、なんでもないです」
流石偉大なる魔女様です。
時間間隔が普通の人間と違います。
この方は普段何を食べて生きているのでしょうか。
不老不死ではなく不老長寿という話なので、何か食べているとは思うのですが……。
もしや、魔法で食事を生み出しちゃったり?
私が少し期待してイザベル様を観察していると、彼女はうなだれます。
「あー、それじゃあ仕方ないわね」
イザベル様は壁際の今時珍しい黒電話へ。
ダイヤルを回して、受話器を取ります。一体どこに。
「あ、もしもし? ピザ一枚……やっぱり二枚いただけるかしら? あ、飲み物はいつも通りコーラね。よろしくー。……あんた、なんでちょっと残念そうな顔してんのよ?」
「いえ……」
魔女もデリバリーを利用する時代なのですねぇ。
「ところで、お支払いは大丈夫なのですか?」
部屋の片づけをしている時に気づきましたが、イザベル様はスマートフォンはおろか、財布すら持っていないようです。服も今着ているやつ一着だけみたいですし、アパートはぼろ……それになにより、失礼ですがこの方とても働いているようには――。
「ん? まあ、お金はないけど大丈夫よ。もう一人同居人の魔女がいてね。エルサって言うんだけど。そいつの通帳から引き落とされるからへーきへーき」
「それは平気じゃないと思いますよ。ヒモって言うんですよ?」
なんというダメ魔女さん……しかし、これでお金がないのに冷蔵庫が立派だったり朝っぱらからピザを頼めたりするその理由がわかりました。
エルサさん、どんな方なのでしょうか?
通帳があるということは、まともな魔女さんっぽいですが。
その時、何かを叩く音が聞こえてきました。
ピザ屋さんがもう来たのかと思いましたが、どうやら音は部屋の中から聞こえます。
「イザベル様? 小動物か何かを飼っているのですか? 例えばゴキブリとか」
そういえば掃除中に一匹もゴキブリを見なかったのは何故でしょう? ゴミ屋敷だったのに……。
「それは動物じゃないわよ! あ、ちなみにゴキブリ除けの魔法はかけてあるからね! すごいでしょ魔女! で、でも確かに何か聞こえたわね……、あんた私のしもべなんだから、音の出所確認しなさいよ!」
ゴキブリ除けの魔法を誇る魔女は果たしてすごいのですか。
指摘したいところをぐっとこらえ、私は後ろに張りつくイザベル様と共に音の出所を確認します。
すると、押し入れの扉がギギギと開き始めました。
「きゃああ! ポルターガイストよ!」
悲鳴を上げ部屋の隅に逃げて頭を抱えるイザベル様。魔女がそれを怖がるんですか?
押し入れが完全に開かれると中から人影が。
「……どなたでしょう?」
押し入れから現れたのは、ピザ屋のロゴが入った箱を持つ赤髪で綺麗な女性でした。
彼女は驚いた顔を浮かべます。
「え、あなたこそ……誰? この押し入れ開かなかったのに……開かないからいいかなって空間魔法の出入り口に使ってたのに。本当はこの部屋の玄関に繋がるはずで……嘘、ゴミ屋敷がめちゃくちゃ綺麗になってる! 何カ月振りかしらここの畳を見たの!」
私は首を傾げます。この部屋をよくご存じのようです。
しかも空間魔法とかなんとか言ってます。ということは……。
「イザベル様が言っていた同居人の魔女の、エルサさんですか?」
赤髪の女性は片目をつぶって、じーっと私を見つめます。
私は瞳の奥に魔法陣っぽいものがぐるぐると回っているのに気づきました。
魔法を使っているのでしょうか?
「山田やこちゃんって言うのね。部屋を綺麗にしてくれてありがとう。でも、ゴーレムに魂を拘束されちゃったのね。可哀想に、今すぐそこから出してあげましょうか?」
次の瞬間、ピザの箱を持っていない方の手を突き出して手のひらから魔法陣を展開させるエルサさん。黒い光が魔法陣に吸われるように集まってバチバチと――。
「えっと、その拘束されたと言うか、自分から入ったと言いますか……」
なんだかわかりませんが、私の生身ライフが終わってしまう気がします。
私は一歩下がりました。
「ちょ、ちょっと! 私のしもべをいきなり破壊しようとしないでくれる!」
割り込むようにして、さっきまで部屋の隅で震えていたイザベル様が、私の前に出てエルサさんを睨みます。エルサさんは魔法陣をかき消し、私に「ふふ、ごめんね」と微笑みかけると、イザベル様を見下ろします。
うーん、悪い魔女さんではなさそうです。
「イザベルお久しぶり。私が何日押し入れ生活だったかわかってる? 空間魔法使わないと外にバイトにすら行けなかったんだからね?」
「どうでもいいわそんなこと! ほら、さっさとピザを置いて帰って頂戴!」
ピザの箱をひったくり、追い払う仕草のイザベル様。
……扱いがひどくないですか?
対してエルサさんは柔和な笑みを崩さないまま、続けました。
「ピザ、一枚1000円だから、二箱で合わせて2000円ね? コーラは150円」
「知ってるわ。いつも通りあんたの通帳から引き落としでしょ? 悪いわね」
悪びれなく告げ、コーラの蓋を開けて飲み始めるイザベル様。いやいやいや。
「イザベル様? ……お金は払いましょうよ」
「うっさいわよしもべ! 家庭の事情に口を挟まないで!」
むう、家庭の事情なら仕方ありません……あれ、仕方ないで済ませていいのでしょうか?
私が押し黙ると、エルサさんがイザベル様に一歩近づきました。
「ところで、優秀なゴーレムさんを作ったみたいねイザベル?」
「そうでしょ、私は優秀なのよ」
「優秀なのはイザベル様じゃないかと……あ、はい。黙ってます」
今にも泣きそうな顔をされました。
この方はメンタルが強いのか弱いのかわからないです……。
エルサさんは私に同情するような微笑みを向けてから、イザベル様に続けます。
「じゃあ、家の中のことはこの子に任せて、今までの家賃とか、生活費、食費分諸々、私に返せるようになるんじゃない? 働いてさ?」
イザベル様はコーラを畳に吹き零しました。
ああ、畳腐っちゃいます! お掃除しなくちゃ……。
「な、何言ってんのよ! 働くなんて嫌よ! 絶対に嫌!」
「そう、それじゃあ、今回も払っておくわ。でも、今回は2日後に返してもらうから。もし返せないようなら……」
「……返せないようなら?」
私もつい掃除の手を止めエルサさんを見上げます。
「そうね。魔法の実験台になってもらうわ。皮膚を瑞々しく保つ魔法のね。ネズミで試してるけど、まだ一割くらいの確立でしか成功しないの。失敗するとしわしわのお婆ちゃんになっちゃうかもしれないわ」
イザベル様がしわしわのお婆ちゃんに……。
「べ、べつに実年齢的には500歳のババアだし! そんな脅し怖くないわよ! 今回も踏み倒してやるんだからね!」
震えながら叫び散らすイザベル様。常習犯なんですね……と、呆れましたが。
私はイザベル様の両手を思いっきり握りしめ、睨むように見つめます。
「イザベル様、あなたの唯一の武器はそのあざといまでの容姿です! それを失うということはイザベル様の存在価値を失うことに等しいです! 働きましょう! お金を稼いでエルサさんに返済していきましょう!」
「なっ、しもべ! あざといって何よ! 私は嫌よ! 人間の下で働くなんて魔女のプライドが許さないわ! それだったらしわくちゃになる前に自殺してやるんだから! ぐっ、放しなさい、こらしもべ! 私の命令に従いなさい!」
「蘇りの恩人であるイザベル様の命令は聞きたいところですが……自殺ですませるのは良くないと思います。借りたら返すのが社会の常識ですよ?」
私が告げるとエルサさんが神妙に頷きます。
「良いこと言うじゃないやこちゃん。そうよ。いつまでも私に寄生してないで、働きなさいこの引きこもり魔女!」
「嫌よ! 嫌ぁぁ! 働いたら負けよ! 人間の下で働いたら魔女として負けなの!」
私に両腕を拘束されたイザベル様はじたばたと窓から飛び降りようとします。
やがて力尽きてへたり込むイザベル様。
死ぬ以前に死ぬための体力もないのですね。かわいそうに……。
エルサさんは溜息まじりに押し入れに戻っていきます。
「じゃ、私は戻るわね。いきなり魔法向けて悪かったわねやこちゃん。この子わがままだけど悪い子じゃないから……死なない程度に面倒見て、社会に適応させてあげて」
「おまかせを!」
敬礼してエルサさんを見送ります。押し入れを再び開けると、エルサさんの姿はありません。魔女ってすごいですね。
「私のしもべなのになんでエルサに従ってるのよぉ。その体を与えた私に尽くしなさいよ。うう、もうダメよ。私なんて自分のゴーレムも従わせられないダメ魔女なんだわ。鬱よ、死にたい……」
畳に涙の海を広げるイザベル様。
その肩に私はポンと手を置きます。
「私はイザベル様のしもべです。今のは全てイザベル様のためを思ってのことです」
「うう、やこぉ。なら、私は働かなくてもいいのね?」
顔を上げたイザベル様に、私は笑顔で言います。
「何を言ってるんですか。あなたも行くんですよ? 目指せ2150円です!」
「いやぁぁっ!」
「やこぉ! に、人間がこんなに、だ、駄目、い、今すぐ視線向けた人間を滅ぼす魔法を!」
と、イザベル様は魔法陣を展開させますが、人の視線が向くと魔法陣は消えてしまいます。その度に。
「ひいっ! また消された、いや、いやあ!」
これで30回目。
周りの人はイザベル様が精神疾患を患っているお思いでしょう。
私もそう思うのでご安心ください。
ちなみに歩いて5分の職業案内所までに1時間以上もかかりました。
便器に抱きつくイザベル様を引きはがすのに、苦労しました。力を入れ過ぎると便器がみしみし音を立てるので……。この体結構強いです。
どうやらイザベル様はプライドや性格も大いに難ありなのですが、人間と一緒だと魔法が使えないという不安から、人と関わりたくないということが分かってきました。
魔法は人の目に触れると効果を失ってしまいます。正確には魔法を信じない人間の目に触れると、です。現代人はほとんどそうだと思います。
じゃあ、なんで私の体は消滅しないんですか? と、尋ねると。
『ゴーレムは分類上は魔法だけど、私の血とか髪の毛を媒介に作った「物」よ。だから私との魔力リンクが切れない限り、近くにいれば大丈夫なの! 後、壊れなきゃいいの! だから外に出るのは諦めなさいやこ! 私はいかないわよ絶対!』
眉唾でしたが、一人で職業案内所に向かおうとアパートの敷地の外に出た瞬間に体が溶けかかり……これはダメなやつだとすぐに悟りました。
一度死んでるのでよくわかります。
なのでどうにかイザベル様をこうして連れてきたのですが……。
順番が来たので応対スペースに向かいます。
「どのような職業をお探しですか?」
「なるべく人と関わらず人の目がない人がいない人が来ないそんなおしごと」
早口言葉のように虚ろな目で職員さんに尋ねるイザベル様。
かわいそうに引きつった顔をして固まった職員さん。私はぶつぶつ虚ろに呟くイザベル様を少しだけ後ろに下げて愛想笑いを浮かべます。
「あの、履歴書無しで日雇いのお仕事はありますか? できれば日払いで。私こう見えても力持ちなのでどんな過酷な仕事場でも大丈夫です!」
「あ、はぁ……そ、そうですか。力持ちと、でしたら――」
実は、私バイト初体験です。
死んでからずっとバイトをしてみたいって思っていました。
ある意味この体験はイザベル様のおかげです。感謝感謝。
「すみませーん。この鉄骨はどこに置けばいいのでしょうかー?」
砂煙の舞うビルの撤去作業の現場で、私は現場監督に大声で尋ねます。
「お、おう! そいつはあっちの木陰の鉄骨置き場に置いといていいぞ!」
現場監督がバケモノを見るような顔つきでした。失礼な。そこそこ可愛いと自負しておりますが? 私は鉄骨を持ったまま振り向きます。
「ですって、イザベル様。さあ、運びましょうか!」
「このバカしもべ! 私は魔女よ! 筋力なんて野蛮よ野蛮! 見てるから、あんただけで運びなさいよ!」
イザベル様は口調こそ変わりませんが。流石に観念したのか、スコップを握りしめています。社会復帰への第一歩です。偉いです。三回ほど現場からの逃亡を図っておりますが。
「おいちびスケぇ! サボってねえで嬢ちゃんの補佐してやんな! つってもおめえの身長じゃ無理か。無理せず頑張れよ~」
現場監督が笑いながら去っていきます。イザベル様は唖然としていましたが、やがて地団太を踏みました。
「何よあのくそじじい! 見てなさい! こんなのよゆーで……おっも、なにこれ重いじゃない! 重過ぎよ!」
「イザベル様、無理しなくていいんですよ? イザベル様はあっちの人達に混じって穴を掘る方が向いてるかと……」
「誰が根暗なもぐらですって!?」
「いや、言ってませんよ? 言ってません」
被害妄想強すぎです。イザベル様は頭をかきむしります。
「いやよ! これ以上人間共となれあうのはごめんだわ! もうあのダンプカーにひき殺されてやるッ!」
走り出したイザベル様の腕を私は片手でつかみます。
「と言いつつ出口の方へ逃げ出そうとしないでください。駄目ですよイザベル様? お仕事をほっぽっちゃ」
全く、油断も隙もないご主人様ですね。
「くっ、なんて口うるさいしもべなの……作るんじゃなかったわ! いい? 私はご主人様よ? いわば上司なんだからね?」
私は笑顔で頷きます。そうですよね。ご主人様を敬うのはしもべの務めですね。
「でも、バイト中の上司は現場監督です」
これはもう、お給料をもらう以上は当然のことです。
「くきいッ! わかったわよ! 私だって仕事出来るって教えてやるんだから!」
イザベル様は怒り心頭な様子で鉄骨の山に手のひらを翳しました。
すると、魔法陣が幾つも浮かび上がり、鉄骨を囲います。
「私だって、私だって!」
次の瞬間、魔法陣に囲われた鉄骨が宙に浮きます。どんどん浮きます。5メートルくらいの高さまで浮きます。いや10メートルくらい?
「す、すごいですイザベル様! やればできるじゃないですか!」
と私が称賛すると、イザベル様は上機嫌に振り向きました。
「ふふん、そうでしょしもべ。私は凄いのよ。これからは私の命令には絶対服従で」
と、その時です。
「おいおい、なんだありゃ?」
「すげー、魔法みたいだ」
「なんで鉄骨が浮いてるんだ? 手品?」
「ありえねえ」
作業員の方々が作業の手を止め、空に浮いた鉄骨を見上げ声を上げます。
「あ……」
イザベル様がそんな人々を見て呟くのを、私は見逃しませんでした。
これはいけません。
「イザベル様!」
魔法は魔法を信じない人の目に触れると消えてしまうのです。
いつ、どのタイミングで魔法が効果を失うのか私にはわかりませんが。おそらくイザベル様が人に見られていると思ってしまったが最後、魔法は完全に効力を失うのでしょう。
その証拠に、魔法陣が掻き消え、イザベル様の頭上に浮かんでいた鉄骨たちが自由落下を始めました。
私は呆然と立ち尽くすイザベル様に手を伸ばします。イザベル様は虚空を見つめ満足そうに目を閉じました。
「……まあ、500年も生きたし、いいか」
「――よくありません! 後悔しますよ!」
鉄骨がイザベル様を押し潰す寸前、私はイザベル様と入れ替わるようにイザベル様を突き飛ばしました。大重量の轟音が辺り一帯にこだまし、作業員の方々の悲鳴と怒号が現場を騒然と埋め尽くします。
「おい! 今誰か潰されたぞ!」
「救急車だ! 早く!」
「重機持って来い重機!」
「おい、ちびスケ、大丈夫か! おい! 嬢ちゃんはどうした! 何があったんだ!」
イザベル様は呆然と折り重なった鉄骨の山を見つめていました。
「……や、こ?」
イザベル様が震える声で呟きます、その目に大粒の涙が溜まり、零れていきます。
「やこ、やこ!」
「あ、はい。なんでしょうか?」
私は鉄骨をすり抜けてイザベル様の側に近寄りました。いや、出て行く機会をうかがっていました。まさか泣くとは……はい。
イザベル様は幽霊でも見たかのように目を見開きます。実際幽霊なわけですが。
「どうしたちびスケ? なんで急に固まったんだ? おい!」
私が視えない現場監督が心配してイザベル様をがくがく揺すります。
やめてあげてください。ただでさえ頭が弱いんですからこの方は……。
私はイザベル様に苦笑いを向けます。
「ゴーレムの体壊れちゃいましたけど、無事でよかったです」
イザベル様は目元をごしごしと拭い、そっぽを向きました。
「か、勘違いしないでよね! 心配なんてしてなかったんだから!」
「は? 何言ってんだちびスケおめえ……」
私が視えない現場監督は大層困惑していました。
その後、鉄骨をどかしても私の死体がなく、謎の鳥の骨と土の塊があるだけでした。
私のことは、鉄骨を片手で持ちあげるなんて人間じゃない――幽霊か幻覚だったのではということで収まり。
私とイザベル様の初バイトは周りに多くの謎を与えて、終わるのでした。
夜の歩道をイザベル様の軽い足取りに合わせ、私はふよふよ憑いていきます。
「しもべ! 1万2千円よ! 1万2千円! これでもう何も怖くないわ!」
「そうですね、よかったですねイザベル様……」
私は思わずため息をつきます。
あれだけの騒ぎになったので当たり前なのですが、お仕事は中断。
お給料は働きに応じてということで支払われました。
私はいないことになったので本来その分はもらえない筈でしたが。
私の働きは現場にしっかり反映されていたため、悪知恵を働かせたイザベル様が「私がやったわ!」と豪語しました。
最初は違うと否定していた作業員達や現場監督も、イザベル様の自信満々な様子に、そうだったっけ? と自信がなくなり、結果お給料が支払われました。
……これ、詐欺ですよね?
「これもそれも、私がしっかり働いたおかげね!」
給料袋にキスをするイザベル様。私は首と手を横に振りました。
「働いたのは私なので、それはないです。イザベル様は基本逃げようとするか見てるかでした」
「……ぐぎぎ」
私のド正論にイザベル様は頬を膨らませました。……怒っているんですか?
「やこ、しもべなんだからそこは私を持ち上げるところでしょ! いい気分に浸らせなさいよ! そもそも幽霊に戻ったのになんで私に付きまとうの! しもべじゃないでしょ、どっか行きなさいよ!」
ええ……。
「イザベル様? 言ってることが矛盾していますが、気づいていますか?」
「……え? 何? どういうこと?」
えーっと……500年生きてボケちゃってるんですかね?
「今、イザベル様はしもべだから褒めろと言い、しもべじゃないからどっか行けと言いました」
まあ、私も今の自分がどういう状態にあるのかわからないので、イザベル様についてきただけです。
私はまだこの方のしもべなのでしょうか? それともただの幽霊なのでしょうか?
私の指摘に、イザベル様は目を大きく見開きます。
「あ、本当……ゴーレムじゃないんだからしもべじゃないわ! やった! うるさい従者とおさらばよ! いえええい!」
あ、そういう感じなのですね? 失礼な元ご主人様です。
「じゃあイザベル様。もう一回ゴーレム作ってください。エルサさんからイザベル様の社会順応を任されていますし、それに私まだ生身でいたいので。イザベル様も私がいないと困るでしょ? いろいろと」
利害の一致というやつです。
あと、この方はいつ自殺しそうになるかわからないですからね……今まで止めていたエルサさんに同情します。
私の心配をよそに、イザベル様はにやりと笑みを浮かべました。
「困る? この私が? 私は大魔女のイザベル様よ? この1万2千円があればエルサにピザ代を返した上におつりがくるわ。部屋も綺麗になってるし……困らないわ! やこ、もううるさいしもべはいらないのよ!」
ビシッと指さし決めポーズのイザベル様……いや、イザベルさん。
「本当に、困りませんか?」
じっと見つめるとイザベルさんはたじろぎました。
「し、しつこいわね! 大丈夫よ! ほらしっし! 元いた廃墟に戻って!」
ひどい扱いです。そういえば、エルサさんにもこんな感じでしたねこの方。
私は溜息を吐いてイザベルさんに背を向けます。多分今は何を言っても聞かないでしょう。私も霊体では何もできません。忠告だけ残しておきましょう。
「……自殺は止めてくださいね?」
「今の私は完璧よ! 誰が自殺なんてするもんですか!」
そして三日後。
街にほど近い山中の廃墟屋上で月を眺めていると、黒いローブを羽織った青髪に青い瞳の女の子が泣きべそをかきながらやってきました。
「ひっぐ、やこー! もう死ぬわ! エルサは借金返せってくるし、大家は部屋を掃除しろって、できなければ明日にでも追い出すって……ちょっとゴミ袋を大量に持ち帰って中身の選別をしてただけなのに!」
私は驚きもなにも感じません。ただ、イザベルさんを見下ろします。
……こうなる予感しかなかったです。
「だから言ったじゃないですか……仕方ないですねイザベルさんは。ほら、掃除すればいいんですよね、行きますよ?」
今溜息を吐くと見捨てられたと勘違いして飛び降りてしまいそうです。ぐっとこらえ、代わりに優しく微笑み、触れることのない手を差し出します。
するとイザベルさんは鼻水を手で拭いてつかめない手を伸ばし、顔を上げました。
「……イザベル『様』って呼んでくれる?」
よかったです。
ゴーレムの体だったら手を握りつぶしていたかもしれません。
三日ぶりのイザベル『様』のアパートです。
よくもまあ、三日でここまでのゴミ屋敷を……。
前回よりも悪化しています。
大量のホネっぽい何か、水の入ったペットボトルに土くれの山、枝の数々、積みあがった空き缶、押し入れはゴミ袋で埋もれて見えません。
足の踏み場もなく、せっかく見えていた畳と敷きっぱなしの布団は何処に。
更に、カサカサと時折何かが這い回る音もします。
……ゴキブリ除けの魔法の効力消えてません?
「ほらしもべ、突っ立ってないでさっさと片付けて!」
偉そうですねこの方。なんでドヤ顔なんですか。
「私まだ霊体の状態ですよ? ゴーレムはどうしたのですか?」
出すのをずっと待っていたのですが、結局訊くことになってしまいました。イザベル様はその瞬間、『あ』と呆けた声を出しました。
「ど、どうしようしもべ! ゴーレムが無いわ! ……そうだ! あんたポルターガイストとか使えないの?」
「……使えたらとっくに使ってますよ?」
私はにこりと微笑みます。
また生身に戻れると期待していた分、このお方の頬を何か固い物で叩いていたでしょう。
静かな怒りに燃える私の胸中などいざ知らず、イザベル様は取り乱します。
「駄目だわ……もうおしまいよ! ゴーレムって作るのに半年くらいかかるのよ! 天才の私が作って半年よ! スペア作っておくべきだったわ……もう、もう飛ぶしかない!」
「半年って……嘘ですよね? あ、ちょ、どこに行くんですかイザベ……ちょっと!?」
イザベル様は玄関のドアをあけ放つと廊下の柵を乗り越え、ばっと体を宙に躍らせました。良い笑顔です。完全に自殺出来るって信じている笑顔です。
イザベル様の体が重力に従い落下を始めた時、高速で飛翔する何かがイザベル様をキャッチして、部屋の中に入ってきました。
「あれ? 今確かに飛べたのに……この世界から解放されたはずじゃ」
「残念ね、負債者は逃がさないわよ。それに二階程度の高さから落ちても死ねないって」
「エルサさん!」
赤髪の美人魔女、エルサさんは箒を片手にイザベル様を抱えて一息つきます。
見間違いでなければエルサさんは箒で空を飛んでいました。
やっぱりできる魔女は違いますね。
それに引き換え、イザベル様はやっと自分が抱えられていることに気づいたようです。
「げっ、エルサ! なんの用よ! この間1万2千円全額奪ってったじゃない! まだ私から取り立てるつもりなの? こ、この悪徳魔女!」
……それは魔女にとって誉め言葉な気がしますが。
「そもそもイザベル様が真面目に働いて家賃や食費、生活費を折半していれば取り立ても何もなかったはずでは?」
「やこちゃんの言う通り……あ、やこちゃん戻ってたのね。この間はイザベルをバイトに連れ出してくれてありがとう。初めて取り立てに成功したわ。でも、そのせいでやこちゃんの体が壊れちゃったみたいでごめんね」
「いえ、エルサさんが謝る必要は……」
むしろ謝るべきはイザベル様かと。
そのイザベル様はもがいてエルサさんの腕から脱出し、私達を指差しました。
「ちょっと、私抜きで談笑しないで! 私も混ぜなさい! 孤独で死ぬわよ!」
子供ですかこの方は。とてもエルサさんと同じ優秀な魔女だとは思え……ああ、その手がありますね。聞くだけ聞いてみましょう。
「……あの、エルサさん。ゴーレム作れませんか? イザベル様はダメみたいで」
尋ねると、何故かイザベル様が高笑いをしました。
「そんな簡単に作れたら苦労しないわ! 私が天才だからこそ半年で作れたのよ!」
「できるわよやこちゃん。イザベル、ちょっと髪の毛もらうわ」
「話聞きないったああ!? 何!? 何本抜いたの! って、ごっそりいってるじゃない! しもべ、あんた笑ってんじゃないわよ!」
キレるイザベル様を無視してエルサさんは部屋の中から骨と土とその他のゴミを集め、そこにイザベル様の青色の髪の毛を混ぜて手を翳しました。
魔法陣が出現し、一瞬まばゆい光を放ったかと思うと、目の前に土色をしたイザベル様製よりも綺麗な人型の人形が出来上がっていました。
「なっ! ……ど、どうして、天才は私一人のはずじゃ……嘘よ」
魂の抜けたイザベル様を放って、私はさっそくゴーレムの中に入ろうとしますが、エルサさんが待ったをかけます。
「やこちゃん、そのゴーレムはイザベルの髪の毛からできてるから、主人はイザベルになるわ。……なんでこんなダメな子のお世話を進んでするの? 裏があるのかしら?」
「ダメな子……えへ、えへへへ、もう死んじゃおっかな……」
エルサさん? イザベル様が半笑いしながら自らゴミに埋もれに行っていますが。
「……確かに、こんな色々ダメなイザベル様に従うなんて馬鹿ですよね」
「ぐふぁ!」
うめき声がゴミの隙間から聞こえます。まあ、今は埋もれていてもらいましょう。
「でしょ? 折角蘇るなら、もっと他にやりたいことがあるんじゃないの?」
やりたいこと、ですか……。
「――ぶっちゃけ、私は自殺してから色々気づいた質なので。とくには……しいて言うなら、蘇ることがやりたいことです」
なにせ10年焦がれてきましたから。
五感があること、生きていることはそれだけで素晴らしいのです。
「でも幽霊になったってことは未練があるんでしょ。成仏する気はないの?」
詰問するエルサさんの表情に気圧されますが、その答えは決まっています。
「ありませんね」
私は笑顔できっぱり告げます。
以前までは確かに成仏を考えていたのですが。
生身の感覚を覚えた今となってはむしろ未練が……イザベル様のお世話程度で蘇れるなら安いモノです、ふふふ。
エルサさんは片目をつぶって瞳の奥で魔法陣をぐるぐるさせていました。
……え、私魔法で心を覗かれてます? ふ、不純な動機がバレ……許してください!
私の動揺を見透かすように、エルサさんが悪戯に笑いました。
「ふふ、だからイザベルが必要なのね。いいわ、使って。あの子が作ったゴーレムよりも頑丈よ」
「あ、ありがとうございます!」
……どうやら許された(?)ようです。
エルサさんがゴーレムの前からどきます。私は急いでゴーレムの中に入りました。
実に三日ぶりの生身……あ、感動している場合じゃないです。
イザベル様のうめき声が聞こえなくなっています。
「イザベル様―、どこですかー!」
ゴミを片づけながら探しますが、一向にイザベル様の姿が見えません。
見かねたエルサさんも掃除に加勢し、畳が見えるようになっても、イザベル様の姿は見当たりません。
「……もしかしたら何かの魔法が暴発して、異次元に飛ばされたのかもしれない。私、空間魔法で別次元を探してくるわ」
と、掃除で開くようになった押し入れに入っていくエルサさん。
取り残された私は、残りのゴミの掃除に励みます。
折角生身を手に入れたのに、イザベル様がいなくなってしまったら私は……。
ガタッと物音がしました。
四畳半の部屋の中でも、押し入れからでもありません。私は畳を箒で掃く手を止めて、音のしたぼろい台所へと向かいます。
戸棚を開き、収納を確認しますがイザベル様の姿はありません。
ガタッ。また音がしました。
「……まさか、ここから?」
私はおんぼろな部屋に不釣り合いな人が入れるほど立派な冷蔵庫を見上げます。
ありえない。
心の中で否定しながらも、思い切って冷蔵庫の扉を開けてみました。
「そう、ですよね……いるはずないですよね」
空の冷蔵庫にはイザベル様はいません。私はどこか安堵と失望を覚えながら扉をしめ――ガタッ。下段、冷凍庫の方から、物音がしました。
……いやいやいや、こっちの方がありえません!
頑張って入るにしたって難しいです。そんな馬鹿なことが。
「……何やってんですかイザベル様」
冷凍庫を開けるとそこに、胎児のように丸まってイザベル様が収納されていました。
ガチガチ震えていたイザベル様は、私と目を合わせると、ブワっと温かな涙を流します。
「だって、私、駄目な子だわ! 魔女としてエルサより格下だし、天才じゃなかったし! しもべは従わないし! 日本なら魔女ってアニメとか小説とかでちやほやされるって知ってたから、裕福な国って話だから移住してきたのに、そうでもないし!」
どうしようもない理由で日本に来たんですねこの方は……らしいですが。
優しみの目で見下ろす私と対照的に、絶望と悲哀の表情でイザベル様が喚きます。
「もう死ぬしかないじゃない! 閉めて! 私はここで永遠の眠りにつくの! 百年後『大魔女イザベル』として博物館に展示されてやるんだから!」
前向きなのか後ろ向きなのか……。
私はひょいと化石を取り出すようにイザベル様を取り出し抱きしめます。
「え、ちょ、や、やこ! なんで抱きしめるのよ!」
「じっとしててください。温めます。しもべなので」
ゴーレムの体でも、心臓の音がして血が通っているのです。
温められない筈がありません。
「わ、私温めてなんて言って」
「私、イザベル様がいないと嫌ですよ?」
耳元で囁くとイザベル様は面白いくらい真っ赤になりました。
「な、よくそんな恥ずかしい言葉がい、言えるわね……」
当たり前じゃないですか、だって。
「イザベル様が死んだらこの体はどうなるんですか? 幽霊には戻りたくないですよ?」
するとイザベル様がしゅんとうなだれました。
「それ……ゴーレム作れるなら私じゃなくたっていいじゃない。……死のう」
何故か鬱状態に……。
ここはしもべとして元気づけなければ!
「何を言っているんですか。イザベル様位ダメな魔女様しかゴーレムなんて必要としないんです! むしろダメでいてください!」
私の心からのお願いに、イザベル様は顔を真っ赤にしました。
私も告白みたいで恥ずかしいです……。
「あ、あんた喧嘩売ってるでしょ! 誰がダメ魔女よ! あんたみたいなしもべ廃棄してやるわ! 喰らいなさい、火炎弾!」
あ、イザベル様の顔の赤さは怒りの赤でしたか。なんでですかね……。
次の瞬間、イザベル様の手に展開した魔法陣から火の玉が発射されました。至近距離故に避けられず顔面で受ける私ですが。
「あれ? 熱くも痛くもありませんよ?」
そういえば頑丈って言ってました。
なるほど、魔法に対しても頑丈なんですねこの体。
「なっ! しもべのくせにきいい!」
腕の中で暴れるイザベル様は駄々をこねる子供のようで、私は思わず微笑みました。
「何笑ってんのよ! 見せもんじゃないわよ!」
「ちょ、魔法を撃つのは止めましょうイザベル様! 部屋が!?」
夜が明け、エルサさんが帰ってきました。
「……なに、この惨状?」
「ちょっとイザベル様が興奮してしまい……」
エルサさんは荒れ果てた部屋を見回し絶句しています。
ゴミ屋敷から心霊スポットのようなお部屋になりましたから、無理もないです。
「悔しい、なんで魔法が効かないのこいつ、しもべのくせに、うう!」
部屋をめちゃくちゃにした張本人は、私の膝を枕にして力尽き中です。
「そういうことね……イザベル、はい」
エルサさんが、何かの紙をイザベル様に差し出します。
「なによ? 今、私は傷心の大魔女なのよ? 同居人なら、もっと励ますとか慰めるとか――ん? ゴーレム製作費? ……2、20万!? こんなの払うわけないでしょ!」
「それと、この部屋の修繕費ね? たて替えておくとして……計50万くらいかな? しっかり返すのよ?」
「ゴーレムってお高いんですね……」
請求書を覗き込み感心していると、エルサさんが補足しました。
「壊れないように補助魔法かけたのと、その他こみこみの価格ね。これでも同居人としてサービスしてるのよ?」
「はー、ありがとうございます!」
感激している間にイザベル様が無言で台所に向かいます。
おや? ガスコンロを点火して、お腹でも空いたのでしょうか? 青い炎を眺めて……。
「……この請求書と一緒に焼け死ぬしかない。もうだめよ、おしまいよ……うふふ!」
コンロに身を預けようとしたイザベル様を、私は素早く羽交い絞めにしました。
「やめてくださいイザベル様! 焼身自殺する根性があるなら、働きに行きますよ! 目指せ50万です!」
「嫌よ! 人間と一緒に仕事なんて魔女のプライドが許さないわ! 働いたら負けよ! しもべならいい加減命令聞きなさいって! 私の為になることをしなさいよ!」
そうですよね、イザベル様!
「だからお世話を焼くんです!」
「それは大きなお世話――離っ、許してやこぉお!」
「はいはい、職探しにいきましょうねー」
騒ぎ、抵抗するイザベル様を、私はずるずるとお外へ引きずり出すのでした。
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