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自分からテディベアの候補に名乗りを上げてきた男が、実はなかなかの詐欺師だった事に気付いたのは3日目の夜だった。
帰り際、レンは『今やっているミキシングが終わったら帰宅するから、途中で食事を済ませて先に帰っていてくれ』と言った。
レンは、俺達の音のミキシングはもちろん、レコーディングのプロデューサーもしているから、他のメンバーよりもずっと長い時間、スタジオにこもっている。
そして、かなり芸術家肌のレンは、気になるところがあるとトコトンまで突き詰めない限りは、絶対に納得しない男だった。
お陰でその晩、俺は一晩中テレビを見ていた。
レンは、ミキシングに夢中になって帰ってこなかったのだ。
翌日スタジオにやってきた俺を見て、レンはかなり仰天したようだった。
「どうしたんだ、シノさん? スゲェ顔してるぞ?」
眠れない一夜を過ごした俺は、自分でも酷ェツラしてると自覚する程、腫れぼったい顔をしていた。
「誰の所為だよ?」
棘のある返事をすると、レンはますます驚いた顔をしてみせる。
「俺が、帰らなかったから?」
「別にもう、どーでも良いよ」
そのままレンの前を通り過ぎようとした俺を、レンは慌てて引き留めた。
「ゴメン、シノさん。どうしても上手くいかなくてさ」
「電話の一つも、入れたらどうだよ」
「うん。そう思ったんだけど、気がついたら夜中の3時でさ。もう寝てるかなって思ったから…」
俺はレンに、『生きたテディベアがいないと眠れない病』の事を話していなかったから、そう思うのは当然だ。
しかし、俺にはそんな事、関係ない。
俺に、「レンは事情を知らないから、仕方がない」なんて気遣いがあれば、今までこれほどの『女及び男遍歴』を作り上げる事も無かっただろう。
「昨日はその時間、テレビ見てた」
「ええっ! 待ってたのか?」
「別に。…なんで俺が、オマエを待たなきゃならないんだよ」
「俺の携帯に電話くれれば良かったのに…」
「オマエがかけてこないのに、なんで俺がかけなきゃいけないんだよ。面倒くせェ」
「ゴメンシノさん、悪かった。…俺が、悪かったよ」
両手をあわせて頭を下げたレンをそのままにして、俺は不機嫌な顔のままその場を離れた。
責めたって、俺が寝不足である事に変わりはない。
その時間、仮眠でもとった方がなんぼもマシというもんだ。
少なくともこの場であれば、少しは眠れるんだし。
「シノさん、怒った?」
「別に、仕方ないじゃん」
刺のある俺の返事に、レンは困ったような顔をしていたけれど。
でも、もう過ぎた事をいつまでも責めたって仕方がないのは事実だし、俺は面倒くさくなると、自分が被害を被った事でさえ『どうでもよく』なってしまうので、さっさとその場を切り上げてしまった。
しかしその晩。
俺はその昼間の会話を『どうでもよく』終わらせた事を、後悔する事になった。
昼間、日課になりつつあるハルカからの電話は、相変わらず『芳しくない』状況を伝えてきた。
電話口で言い訳がましくなにかを言っているハルカが鬱陶しくて、俺は生返事をして電話を切ってしまった。
言葉なんて、欲しくない。
例え誠心誠意、紛れもない真実の言葉であったとしても、俺の期待している言葉でなければ聞きたくもない。
欲しいのは、俺を眠らせてくれる体温と鼓動なのだから。
ハルカが戻ってこられない事を知ったレンは、『昨夜の償い』と称して今夜も部屋に招いてくれた。
でも。
俺はまたしてもレンの部屋で一人、テレビを見ている。
結局、今日もレンはスタジオに残ってる。
夕方になって、どうにも気に入らない部分があるからと言って、昨日と同じように俺を先に帰らせたのだ。
気付けば、時計はもう深夜に近い時刻である事を示している。
俺はテレビのスウィッチを切ると室内の明かりも消して、そのままレンのマンションを出た。
どうせ、待っていたってあの芸術家は帰ってこないだろうから、もっと人気のある所に行って気を紛らわせたかったから。
電話をかけてくればいいと、レンは言った。
受話器の向こうの声が、何をしてくれるというのだ?
側にいなければ、意味がない。
謝罪なんて、クソ食らえ。
深夜の街を歩きながら、俺は酷く気が滅入ってきた。
本当の事を言えば。
ずっと俺だけを大事にして貰うのなんて、誰にも出来無いって事、俺は知っている。
誰に説教される必要もなく、そんな事はごく当たり前に俺だって理解しているんだ。
でも。
その不可能な望みを叶えると、誓ってくれたから。
それが実はウソだって知っていたけど、俺は騙されたかったんだ。
騙し続けてくれる事を願って、真実を見ないフリしていただけだって…。
本当はみんな、自分の事で精一杯なんだ…。
それなら最初から、ショーゴのように突き放してくれた方がよっぽど親切だ。
半端に期待させて…。
こんな風に、他人の温もりを求めては、俺はどんどんおかしな経歴ばかりを増やしていく。
絶対に他人に理解されない俺の欲求は、そのうち俺達のバンドの致命傷にだってなりかねないのに。
でもそれが解っていても、俺には俺を止める事は出来ないのだ。
そんな自分とか、フォローするフリをして結局はなにもしてはくれないヤツらの事とか、グルグルと考えていたら、俺はだんだん腹が立ってきた。
そして、同時にひどく情けなくなってきてしまった。
繁華街へ向かおうとしていた俺は、それもなんだか空しくなって目的地を変更した。
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