37人が本棚に入れています
本棚に追加
電話が鳴っている。
時間なんて、分からない。
たぶん、まだ深夜だ。
こんな時間に電話を掛けてくるのなんて、ハルカの知り合いに決まっている。
俺は、自分の安眠の為の努力を惜しまない男だ。
それは、安眠を妨害される事をなにより嫌うと言う事でもある。
そして俺は、どちらかというと『話し合い』より『拳』で物事を解決する性質の人間だ。
つまり、俺の事を多少なりとも知っている相手なら、こんな時間に電話を掛けてくる事などしない。
だから俺は、目を開ける事すらしなかった。
コールは、二回程で途切れた。
ハルカが起き出して、応対に出たからだ。
これですっかり邪魔はなくなり、安眠できると油断していた俺を、不意にハルカが揺り起こした。
「なんだよ?」
眠りを妨げられて不機嫌に答えると、ハルカは申し訳なさそうに「ゴメンね」と言った。
「おふくろが、入院した。それで、これから帰らなきゃならない」
「…これからって、この夜中にか?」
さすがに驚いて、俺はようやく身体を起こす。
ハルカはこちらを覗き込むような、少し身を屈めた格好のまま頷いた。
「うん。俺はひとりっ子だから、実家は親父とおふくろだけなんだ。親父は心配するなって言ってたケド、おふくろがいなくて困らないワケないからね。明日には叔母さんを呼ぶって言ってるから、行って様子を見てくるだけだよ。明日の夕方までには、戻るから」
手を伸ばし、ハルカは俺の髪に触れる。
そして返事をしあぐねている俺の唇に柔らかなキスをして、それからジッと俺の瞳を見つめてきた。
その様子から、俺はハルカが本気でこれから出掛けるつもりなんだという事を、嫌でも察してしまう。
「そんなら別に起こす必要なんかないだろ。…せっかく、気持ち良く寝てたのに」
かなり不機嫌な顔をして俺がそういうと、ハルカはほんの少し困った顔をして見せた。
「この時間じゃ電車がないから、俺、車で行くよ。だから申し訳ないけど、明日の朝は電車でスタジオ入りしてねって、それを伝えたかったの。ゴメンね」
ハルカは落ち着いた口調でそう言ったけど、本当はものすごく焦っているって事にも俺は気付いていた。
それは、ハルカを引き留めて『今夜の安眠』と『明朝のスタジオまでの足』を確保するのが絶対に無理だって事で。
猛烈に不機嫌になってしまった俺は、薄掛けを引き寄せるとハルカに背を向けて黙って目を閉じた。
口を開くと、何がなんでもハルカを引き留めようとしてしまうだろうし、しかも絶対に俺が退かなければならない事は火を見るよりも明らかだ。
ハルカを相手に俺が譲ってやるのなんて、まっぴらだった。
「ゴメンね、シノさん。ホントにすぐ帰るから、待っててね」
そんな俺に、ハルカは謝罪の言葉を繰り返しながら薄掛けの上から何度もキスを繰り返し、そして慌ただしく服を着ると部屋から出ていった。
玄関を開閉する音を遠くに聞いて、俺は目を開けた。
人の気配が無くなって、眠れる訳が無い。
時計に目をやると、二時を少し回ったくらいだった。
程良く暖まったベッドから出る気にもなれないし、出たところでこんな時間では暇を潰す手段もありゃしない。
仕方が無く、俺はただベッドの中で不毛な一夜を過ごしたのだった。
最初のコメントを投稿しよう!