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月が東の空に現れる。
大きな丸いお月様だ。
月が天の一番高いところに来た頃、家々のおもちゃ達がゆっくりと目を覚ます。
おもちゃ達は自分達の小さな主人の話を楽しそうに、時に悲しそうにする。
誰が一番気に入られているのか。
そろそろ捨てられるのは誰か。
乱暴に扱われているのは誰で、
今一番大切にされているのは誰なのか。
町の外れの大きな家にもおもちゃ達はいた。
最新のゲーム機から何年もその大きな家にいる古い小さな犬のぬいぐるみまで。
「おい、お前、最新のゲーム機なんだろ?最近、ハヤトはお前ばっかりで遊んでるよな。昔は俺をもって振り回してよくおばさんに怒られていたのに、今はお前ばっかりで遊んで、またおばさんに怒られてるよな」
戦隊モノの剣のような形のおもちゃが、最近ハヤトの家のおもちゃの仲間入りをしたゲーム機に話掛ける。
ゲーム機は素知らぬ顔をして返事をしない。
まるで「お前なんか相手にならないさ」と高飛車な態度をとっているように見える。
「おい、お前、返事くらいしろよ。俺はハヤトにブルーって名前を付けてもらってんだ。いいだろ」
ブルーは得意げに話を進める。
ゲーム機の方は素知らぬ顔だ。
他にもたくさんいるおもちゃ達はその様子をそっと見守っていた。
ブルーはいつも新入りのおもちゃに名前を付けてもらっていることを自慢するから、昔からいるおもちゃ達にとってはあまり珍しい光景ではない。
そして、新しくやってきたおもちゃ達の態度もあのゲーム機と変わらない。
新しくやってきたおもちゃ達は自分たちはいつまでもハヤトのお気に入りでいられると思っているのだ。
クレーン車のラジコンがクレーンをそっと持ち上げながら小さなため息をついた。
「いいよな、入ってきたばかりの奴は、自信満々で、いつまでも大切にしてもらえると思ってるんだ。いつかは忘れ去られて此処に僕たちがいることさえ忘れて、、、僕なんて僕がいるのにラジコンを2個も追加で買ってもらってた」
そういうクレーン車の横にトラックのラジコンがやってきて呟く。
このトラックはクレーン車の後にこの家にやってきたおもちゃだった。
「先月、ショベルカーが廃棄処分になっていたよ。あいつは遊んでもらいたくて、ハヤトの目にとまる場所に顔を出してたんだ。そしたら、ハヤトが『もうこれいらないから捨てて』っておばさんに言ってしまって、、、最後はあっけなく、遊んでも貰えず逝ってしまった」
ラジコンが二つ並んでため息をつく。
ゲーム機が満を持したように張りのある声でそこら中にいるおもちゃ達に聞こえるように言った。
「私は君たちとは違う。色々なゲームが出来て、しかも勉強もできる立派なゲーム機だ。ゲーム機はおもちゃとは違うものさ」
得意げな声を聞き、ぬいぐるみたちは関心したように頷き、乗り物のおもちゃは自分たちの今の状況を想い悲しみ、電池の入ったおもちゃはその自信がいつまで続くのかと自信満々なゲーム機の自信がなくなる瞬間を想像してため息をついた。電池の入ったおもちゃ達は皆一度経験しているのだ。自信をもって「自分は普通のおもちゃではない」と胸を張り、その後思い知るのだ。自分もただのおもちゃだったのだと。
このおもちゃ達の主人は8歳のハヤトだ。
ハヤトの年齢が上がるごとにそのおもちゃの種類は変わっていった。
1カ月で他の家に行ったおもちゃもいるし、ハヤトがいるかいらないかそんな事は関係なくおばさんが捨ててしまったおもちゃ達もいる。
新しいおもちゃが来るとどうしても次に捨てられるのは誰なのか、自分なのかもしれないとおもちゃ達は不安になるのだ。
おもちゃの会話が途切れ沈黙がその場を支配した時だった。
遠くの方からカエルの鳴き声が聞こえた。
おもちゃ達がハッとする。
「そういえば、カエルの魔女の話は本当だろうか?」
戦隊ヒーローのプラスチック人形がカエルの魔女の話を始めた。
その言葉を聞いた途端、そこらじゅうのおもちゃ達がカエルの魔女について話始めた。
「カエルの魔女って昔からよく聞く話だよね。本当にいるのかな?」
「カエルの魔女の食べ物はおもちゃの記憶らしいよ」
「カエルの魔女は、おもちゃの願いを魔法で叶えてくれるらしいじゃないか」
ざわざわと色々なうわさ話が流れる中で誰かがピシャリとそのざわめきを止める。
「そんなどこにいるかも分からないカエルの魔女の話でよくこんだけ盛り上がれますね!そんなものいませんよ」
新しく入ったゲーム機だった。
シーンと静まり返った中から静かな声が聞こえる。
「いや、カエルの魔女はいるんだ。昔ここではない家で一緒のおもちゃ箱に入っていた車がカエルの魔女に会いに行って本物の車になって帰ってきたことがある。僕は見たよ」
一斉に注目されたのは色々な家を渡り歩いてきた人気アニメのキャラクターのぬいぐるみだった。
時々、そのぬいぐるみは近くのおもちゃを捕まえては、カエルの魔女と車のおもちゃの話をしていた。この家の多くのおもちゃ達がカエルの魔女に本物の車にしてもらったおもちゃの車の話を知っていた。皆黙って聞いていた。反論したのは新入りのゲーム機が初めてだった。
「はぁ、バカなんですか?そんなの似た車でしょう。おもちゃの車が本物の車になれるわけないじゃないですか!」
人形は頭を横に振った。
「それが、傷の位置も傷の大きさもおもちゃの赤い車と同じだったんだ。本物になるとこうしてお月様の時間に話をすることも出来ないから、本人に聞いたわけじゃないけど、絶対にあれはあのおもちゃの車に間違いない。僕たちはおもちゃ箱の中から彼の勇気を讃えたよ」
人形は羨ましそうに憧憬の眼差しを宙にむけた。
この話を真剣に聞いていたのは、ハヤトが赤ちゃんの頃からずっと変わらずに傍においているくまのぬいぐるみだ。
くまのぬいぐるみはおもちゃ達の会話に参加することはほとんどない。
しかし、彼女はこのカエルの魔女の話を真剣に聞いていた。
実はハヤトは両親が忙しく、この家に預けられている本当は別の家の子供だ。
ハヤトだけ、おじいちゃんおばあちゃんの家に住んでいる。
世話をしているのは父の姉に当たる人で、ハヤトに対して優しく接してくれているが、母親のいない寂しさはおばさんでは埋めることが出来なかった。
唯一、母親にプレゼントされたくまのぬいぐるみがハヤトにとっての心許せる友人だった。
ハヤトは小さなころからそのくまのぬいぐるみに「チャロ」と名前を付けてなんでも話をしてきた。
ハヤトが本音で話ができる数少ない友達の一人がその「チャロ」だった。
チャロはいつも思っていた。
どうして自分はぬいぐるみなのだろうと。
ハヤトに沢山「大好き」を伝えたい。
ハヤトが寂しくて泣いている夜、ハヤトを抱きしめてあげたかった。
ハヤトが大きくなるにしたがって、チャロの出番は少しずつ減っていった。
寂しさが癒えてきたのかとチャロは少しの寂しさを感じながらハヤトが幸せなら自分も幸せだと喜びを感じていたある日。
ハヤトは自分を抱きしめて泣いた。
ハヤトが幸せになってくれていると思っていた矢先の出来事だ。
ボソボソと話してくれた内容は「父親と母親の離婚」だった。
それまでもあまり仲の良い夫婦ではなかった。
一度も二人一緒にハヤトを訪ねてくることはなかったから、、、
ハヤトは父親のことも母親のことも大好きだった。
それはチャロだけが知る真実。
ハヤトは大人たちにあまり何も語らなかった。だから、父親も母親も一緒に暮らす祖父母もおばさんも、誰一人としてハヤトの本音を知らなかった。
チャロはついに決意した。
カエルの魔女に会いに行き、本物の友達にしてもらうことを。
チャロは茶色のモフモフしたくまのぬいぐるみだ。
ハヤトが力任せに振り回したせいで1度右の腕が取れておばさんが付けてくれた。裁縫の得意ではないおばさんが付けたその腕は少し歪んでいた。
チャロの右足は健在だった。けれど、左足は少し穴が空いていて綿が出始めていた。
チャロは誰にも何も言わず、お月様が天に登るのを待ってハヤトのいる家を出た。
外の世界でのおもちゃの行動は目立つ。
ゴミと間違われて捨てられてしまっては大変だ。
チャロはカエルの魔女を大きな声を出して呼んでみた。
これで返事があるとは思っていないけど、それでも何か情報が入るかもしれない。
「カエルの魔女さん!私は貴女に用があります。どこに居ますか?」
ありったけの大声を出した。
外の世界には何度も来ていた。
ハヤトが小さなころはどこに行くにも一緒だったから。
でもあの時は感じなかった不安や恐怖が月あかりの下一体で佇むことで浮かび上がってくる。
ハヤトのいる家に戻りたくなる。
もう一度チャロは不安や恐怖をかき消すように声の限りに叫んだ。
「カエルの魔女さん!返事をして下さい!」
のっそりと隣の家の猫がやってきた。
「あんた、何をやってるんだ?ハヤト坊やのところからやってきたのかい?」
チャロの泥だらけになった姿をみて、眉をひそめた。
「カエルの魔女を探してるのか、、、」
チャロは隣の家の猫に経緯を話した。
「タマさん、知っての通りハヤトはとっても寂しがっています。両親が離婚することにショックを受けてる。でも強がって何でもない振りをして、、、そんなハヤトを見ているだけなんて、、、嫌。私は本物の友達になってハヤトを抱きしめて私がいるよって、大好きだよって伝えたい」
タマは月夜に光る白い体をゆったりと動かしながら静かにチャロの存在意義を伝える。
「チャロちゃん、あんたはくまのぬいぐるみだ。くまのぬいぐるみだからこそハヤトにとってなんでも話せる存在なんじゃないのかい?あんたがもし喋れる普通の友達ならそもそもハヤトはあんたに寂しい気持ちを話してくれるかい?」
チャロは考える。
ハヤトが人間の友達にどんな話をするのか。
チャロが動くことの出来る本物の友達になった時、ハヤトを抱きしめることが出来るのか。ハヤトは受け入れてくれるのか。
タマはチャロに言った。
「あんたはあんたがハヤトを抱きしめたいという思いによってハヤトの一番の親友の『チャロ』をハヤトから奪うことになるんだよ。ハヤトにとって『チャロ』は掛替えのない親友だ。あたしは小さなころからあんたたちを見てきた。だからこそ分かる。チャロちゃん、あんたはあんたのままでいいんだ。そのままの姿でハヤト坊やはあんたから愛情をうけとってるよ」
チャロは静かに泣いていた。
「私は、このままだとハヤトに大好きって伝えられない」
「大好きって気持ちは十分ハヤト坊やに伝わってるよ」
「私は、このままだとハヤトを抱きしめられない」
「いいんだよ、ハヤト坊やはあんたを抱きしめてる。あんたたちは心が通じ合ってるからハヤト坊やが抱きしめれば心であんたも坊やを抱きしめるだろう。ちゃんと伝わってるさ」
「私は、このままずっと一緒にいられない。ぬいぐるみだから」
「何を言ってんだい!ぬいぐるみだからずっと側に居られるんだろ?人間だったらずっと側には居られないかもしれないよ。あたしは色んな人間の別れの場面を見てきたさ」
チャロは涙を流し続ける。
タマはため息をついた。
「いいかい。あたしはカエルの魔女を知っている」
チャロはハッと顔を上げた。
「カエルの魔女は確かにすごい魔女だ。昔おもちゃの車を本物の車に変えて、しかも、元の家に帰したことがある」
タマは頷きながらカエルの魔女の話を始めた。
「だけど、カエルの魔女はただで魔法を使ってくれるわけじゃない。ちゃんと代償がある。代償は魔法を使う相手の記憶さ。今までの記憶を全て奪われる。あんた、ハヤト坊やとの記憶を失ってもいいのかい?」
チャロの体は震えた。
一緒に眠った夜も、
寂しさで泣いていた日も、
誕生日のケーキを一緒に食べさせてくれた時もあった。
大切なハヤトとの記憶を一つ一つ思い出す。
ハヤトが初めて歩いた時もチャロは横で見ていた。
チャロは何度も何度も首を横に振った。
この記憶がなくなるなんて、、、
そして、タマに言われたことを思い出す。
私はぬいぐるみだからハヤトとこんなに心を通わせることが出来るのだろうか?今の私がハヤトにとって大切な存在なのだとしたら、私は私の欲望のためにハヤトの大事なぬいぐるみのチャロを奪ってしまうことになるのではないだろうか。
私がいなくなったら誰がハヤトの寂しさを聞いてあげることが出来るだろうか?
チャロは誰も思い浮かばないことに気付いた。
ハヤトが誰かに寂しさを訴えてるところが想像できない。
チャロは自分の欲望よりもハヤトとの関係を今のまま、ぬいぐるみと持ち主の関係であり続けることを再び決意する。
チャロはタマを見る。
「タマさん、私やっぱりハヤトのところに帰ります。ぬいぐるみの私だから出来ている事に誇りをもって胸を張って心でハヤトを抱きしめます」
タマはニッと笑って頷いた。
「良かったよ。ハヤト坊やはいい子だからね。彼の大切なものが無くならなくて良かった」
ジッとチャロを見てタマがウィンクする。
「ただ、その汚れた体じゃ、奈美さんが大激怒だろうけどね」
チャロは自分の体を見る。
確かに、泥だらけだ。
チャロはおばさんの怒った顔を思い出す。
確かにキーキー言われるだろうけど、きっと綺麗に洗濯してくれるだろう。
タマがチャロを口に咥えて短い距離を歩く。
夜が明け始めた。
チャロの声も聞こえなくなる。
おもちゃ達の時間は終わりを迎える。
タマはハヤトの部屋のベランダにチャロをそっと置いた。
タマはチャロをもう一度見る。
「本当に良かった。その姿で帰ってこれて。チャロちゃん、あなたはあなたのままでいいのよ。ただ、もし、記憶をなくしてもどうしても人間になりたいと思ったらあたしに声をかけて、私がカエルの魔女のところに連れて行ってあげるから」
チャロはわずかに首を縦に振った。
朝日がベランダを照らし始める。
薄汚れたくまのぬいぐるみは朝日に照らされキラキラと輝いていた。
ベランダの窓が開く、キラキラと輝くそのくまのぬいぐるみに気付いたハヤトが驚いて拾いあげてその胸に包み込む。
「なんでチャロがこんなところに落ちてるんだ。しかもすごく汚れてるじゃないか。なくならなくて良かった。チャロ、お前がいなくなったら、僕は一人ぼっちになってしまうよ」
ハヤトは汚れたくまのぬいぐるみの頭をそっと撫でた。
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