結婚競争曲

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 スタートまで残り一分を切った。緊張のあまり心臓がどっくんどっくんと跳ねている。それほど緊張するのには理由がある。  競技があるのは本日一日限りなのだ。しかも朝八時から午後五時までという制限時間内(これは運営側の勤務時間が関係しているらしい)に相手を選び、結婚を決めなければならない。そりゃ緊張するでしょ、という話だ。   フィーリングが合い、結婚を決め、運よく一億円が手に入ったとしても、離婚したり、それに近い状態になった場合は、賞金を全額返済しなければならない。そんな罰則規定もあったりする。  つまり結婚を決めるということは、一生をともに暮らす、そういう覚悟で臨まなければならないということだ。  中途半端な気持ちで結婚を決めれば、あとで後悔することになる。  だれもが尻込みしそうな条件だったけど、僕に迷いはなかった。  二十六歳の僕に彼女はいない。いまだけじゃない。いままでずっとだ。だから初めての彼女が奥さんであっても問題ないと思った。だって女性のことなんてなにも知らないんだから。無知こそが僕の原動力。おまけにお金がもらえるわけだし。願ってもないチャンスだったというわけだ。  競技時間はたった一日(正確には九時間)と短いけど、僕が本気を出せば、すぐに結婚相手ぐらい見つけることができるだろう。そんな根拠のない自信さえあった。自分で言うのもなんだけど、僕はそんなに見た目は悪くないと思う。性格だって地味だけど悪くはないと思う。いままで本気を出さなかっただけで、僕が本気を出せば、どんな女性だっていちころじゃないかな。  そんな自信を滲ませ、僕が婚活大会に参加することを職場の同僚に打ち明けると、 「おまえ、大会に出るまでに痩せたほうがいいぞ。ネクラなブタなんて、ぜったいモテないって。いますぐダイエットしろ。いいか、深夜にメシとか食ってる場合じゃないからな」  僕の食生活を知る同僚は僕のことをそう言って、いじって(・・・・)きた。  僕はネクラじゃないし。ブタでもない。意味不明すぎて、まったく笑えない。僕はベルトに乗ったお腹をさすりながら気持ちを落ち着かせた。 「モテるかどうかは相手が決めることだから。それによく誤解されるんだけど、僕はべつに太ってなんかないから。あと深夜にメシを食べるなって言ったけど……」  僕は食べることと寝ることが大好きだ。朝、昼、夕、晩、深夜の五回。僕はごはんを食べる。そうでないとストレスが溜まるし、気持ちよく寝れない。いっぱい食べていっぱい寝る。だから僕は昼休みの昼寝だって欠かさない。  ただ同僚が言うことも一理あった。たしかに深夜のメシは不健康かもしれない。だから深夜に食べるときは、あっさりした塩ラーメンだったり、唐揚げにはポン酢をかけるなどして、なるべくあっさりしたものを食べるように工夫していた。  そんな感じで、ちゃんと健康管理している食生活をいますぐやめろ、だなんて乱暴すぎる。僕の胃袋がかわいそうだ。そんなことするぐらいなら死んだほうがマシだ。だから僕は断言した。 「……ぜったい無理。やめない」 「だめだこりゃ」  同僚はあの有名なコメディアンの口真似をしてズッコケる。それが言いたかっただけだろ、と僕は心の中で突っ込む。心の中だけにしたのは、もし口に出しでもしたら、同僚はますますいじって(・・・・)くると思ったからだ。  というわけで僕はいまの生活スタイルでもオッケーと言ってくれる女性を見つけ結婚しようと思っている。  スタートまで残り十秒。僕は胸につけたゼッケンで手のひらの汗を拭った。  時間が限られているので、各自の胸と背中につけたゼッケンには、名前、年齢、好みのタイプ、職業、年収、趣味、長所と短所などが紹介されている。会話を交わさなくとも、それを読めばあらかたわかるようになっていた。それだけでも無駄なコミュニケーションが省ける。  いよいよ係の人がピストルを掲げた。  全国から集まった男女一万人が一斉に息を止めたかのようにフィールドが静まり返る。  ぜったいに制限時間内に結婚相手を見つけるぞ。気合は十分だ。
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