英雄(えいゆう)

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 男と私の、ちょうど中間付近で座り泣く女児……私は男よりも先に駆け出した。一瞬遅れて駆け出した男よりも早く、私はみさきちゃんの横を抜け、男の真正面に立つことが出来た。  無力な幼女を 凶刃(きょうじん)にかけようと狙っていた男は、私に怒りの視線を向けて刃物を振りかざし、突進して来る。  武器をもって駆け込んで来る相手とは、一定の距離を (たも)つこと……私は動画で学んだように、ギリギリの間合いを待ち、身を横に避けた。背後にみさきちゃんが座ったままだが、大丈夫! 男の狙いは今、目の前の『 正義漢面(せいぎかんづら)した男=私』に定まっている。  案の定、男は向きを変え、私に向かって刃物を振り回す。日本刀のような 長物(ながもの)ならまだしも、30センチ程度の刃物なら『叩き斬る』ことは出来ない(……はずだ)。  私は冷静に男との間合いを保ち、左右に身を避け、男が疲れるタイミングを狙う。  ついにその時が来た。男は刃物を『振る』攻撃から『突く』攻撃に変えて来た。訓練を受けたプロなら、最初から 致命傷(ちめいしょう)を与える『突き・刺し』を狙うだろう。 素人(しろうと)無駄(むだ)に疲れた後で、ようやく攻撃方法を変えるものだ。 「クソがぁ!」  シチュエーションは『あの動画』通りだ。刃物を持つ 暴漢(ぼうかん)を正面に 見据(みす)える。男が右手に握る刃物を突き出して来た! 私は冷静にその刃の 軌道(きどう)線中(せんちゅう)』を 左半身(ひだりはんみ)でかわすと、男の手首辺りを、 左肘(ひだりひじ)で軽く (はじ)く。そのまま右手で、男の右手を上から掴む。  刃物の ()ごと男の右手親指を掴んだ私は、男の手首をグッと前方に曲げ、男の右腕を外側にねじるように回す。 極自然(ごくしぜん)の流れで、私は男の手から刃物を ()ぎ取る技を成功させた。  勢い余った男は、つんのめって前方に転がる。  すぐに私は刃先を男に向け、抵抗を制する。凶器を奪われた男は観念したのか、路上に 両膝(りょうひざ)を付いてガックリとうなだれた。 「動くな! 武器を捨てろ!」  背後から (きび)しい 口調(くちょう)の男性の声が響く。その段階で、私はようやく周りの 喧騒(けんそう)に気が付いた。  周囲の建物の窓や外階段、また、路上で遠巻きに見ている野次馬の数は驚くほどだ。そして、赤色灯が回るパトカーと、3人の警察官……私に向けて拳銃を構えている?! 「お巡りさん! その人じゃないよ! 座ってるほうだよ!」  どうやら、遅れて現場に着いた警察官が、私を犯人と間違えているらしい。そのことに気付いた人々が、状況を説明してくれたようだ。  確かにこの姿だけを見れば誤解されても仕方が無い。  状況を理解してくれた警察官達が、ようやく私への敵意の視線をやめて近づいて来た。もう大丈夫だろうと判断出来る距離で、私は刃物をゆっくりと道路に置き、男に再び (うば)われないよう、警察官の方向へ足で ()(すべ)らせた。 「いや、すみませんでした! お 怪我(けが)は御座いませんか?」  警察官2人に連れられ、パトカーへ乗せられる男を見送る私に、もう1人の警察官が申し訳なさそうに語りかけて来た。  その後、誰かが ()っていた動画が 拡散(かくさん)し、ニュースにも取り上げられ、警察やPTAからの感謝状までいただくことになった私は、 一躍(いちやく)、時の有名人となってしまった…… ◆   ◆   ◆   ◆ 「じゃあねー!」  いつものように、登校有事に備え「脳内シミュレーション」を繰り返しつつ、今朝も無事に校門前へ着いた。息子は友人を見つけたのか、元気に走り去って行く。 「あら、お父さん。おはようございます」  校門で登校する子ども達を迎えていた女性教諭が、にこやかに 挨拶(あいさつ)をしてきた。  やはり今日も白のブラウスか……  無事に息子を学校に送り届けた私は、彼女に笑顔で応じた。大丈夫……たとえどんな事件が起こっても、私がいれば対応出来る。子ども達も彼女も安全だ。  相手が複数の場合は、あのパターンで……万が一、拳銃を持ってる場合はやはりあの方法か?  有事に備え、シミュレーションを繰り返しながら、私は通勤駅へ向かい歩み続けた。
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