夏の終わりの雨

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「え? 別れたい? なんでまた急に……」  切り出された話。こんな場所で、心づもりもなかった急展開に、葵は混乱し、戸惑うばかりだった。  上野沙耶という会社の人間がいる奇妙な状況で、唐突に重人はなにを言っているのだろう。  重人の言葉に、訳も分からず、葵は聞き返した。    葵の隣で、日替わりランチを食べていた上野沙耶が顔を上げた。そっとノートパソコンを閉じて、葵と重人の二人の顔を困惑した様子で、交互に見比べている。 「いや、話は早い方がいいから。……俺たち、そろそろ潮時だろ。俺さ、お前との結婚とか、真剣に考えてこなかったし」 「急に言われても、何が何だか……」 重人の結婚願望は強いとはいえない。でも。―― 「お願いします」 そのとき、葵の声を押しのけるように、沙耶の声が響いた。普段は控えめな沙耶には、不似合いなほどの思いつめた態度だった。 だが、その射るような沙耶の眼差しに、葵は全てを(さと)ったのだった。 「お願いします、北沢チーフ。どうか、滝村主任と別れてください」 「つまり、そういうこと。……これで葵もわかっただろ?」 「ちょ、ちょっと待って。そういうこっとって?」 重人は『そういうこと』で終わらせたいらしい。 「だから、そういうことだって」 「あ、あの……、私」 途切れ途切れの沙耶の声。 「お、お、おなかに赤ちゃん、いるんです」 とうとう絞り出すように、上野沙耶が(ささや)いた。 「えっ?」 まさしく青天の霹靂(へきれき)だった。驚きのあまり、葵は声も出ない。 「というわけだから」 かさなる重人の声。 葵は大慌てで、隣で小さくなって座っている上野沙耶へ、視線を移す。沙耶は慌てて(うつむ)いた。 「にらみつけるなよ。怖がっているじゃないか」 「にらみつけてなんかいないけど?」  思わず苛立った声が出る。 「にらみつけてたぞ」 「してないわ」 言い合いになり始める。 「ごめんなさい!」 再び、二人の会話を上野沙耶が遮った。 「本当にごめんなさい」 もう一度言うと、沙耶は俯いたまま、ぽつりと涙を零した。 「ごめんなさい」 次から次へと涙は零れ落ちはじめ、沙耶は手の甲で拭っている。 「ほら見ろ。泣いちゃったじゃないか」  膝の上の小型のバックから、沙耶はハンカチを取り出して、顔を覆うと体を震わせて嗚咽(おえつ)し始めた。  呆気に取られて、葵は目の前の重人と隣の沙耶を見比べる。だが重人の視線は、沙耶にしか注がれていなかった。 「葵、あのさ。……女子社員同士の人間関係が難しかったらしいんだよな。俺が、ずっと相談に乗ってやっていたんだよ」 「ええ?」  慌てて沙耶を見る。沙耶が(うなず)いた。  相談なら、上司でもある自分がきちんと乗ってきたはずだ。問題ないか、何度も尋ねている。その度に、何もないと、上野沙耶から返事をもらってきた。 「気になったし、心配だったし、フォローしてやらないといけなかったし。……それで、だんだん俺たちは距離が縮まって行ったんだ」  沙耶が、何度も首を縦に振った。 「相談って? 重人が? なんで?」
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