月曜日の湯

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月曜日の湯

 山間の静かな温泉地の清流沿いに建ち並ぶ数軒の老舗旅館の間に埋もれるように佇む鄙びた共同温泉はかつてはたまに一人きりの貸し切り湯になった穴場である。土曜か日曜日の週一回程度に通うその湯は今でも比較的訪れる人のさわにはなくても入り替わり立ち代わりに人の途切れることもなくなって来た。一度に十人はゆったり浸かれる湯船を一人独占して昔の殿様気分もさにやあらむと悦に入り過ごす贅沢はもう期待できそうにない。この湯は温泉町に二つある市営温泉の一つで入浴料は二百円と格安で二つだけの洗い場には石鹸もシャンプーも置いていない。脱衣所には湯上りに寝転がって休める場所もコーヒー牛乳の販売もない。鏡のついた簡易な洗面台は一つあるもののドライヤーも用意されていない。本当に湯に浸かりさっと引き上げるための施設である。しかしながら湯船の縁の上部には幅広の檜板の使われ浴室の腰から上の高さの壁も檜か杉の板張で川側の壁に二つ設けられた平行に組まれた細長い磨ガラスの小ぶりなルーバー窓を開けると差し込んで来る筋状の光の立ち昇る湯気を照らし出し川のせせらぎの音も流れ込んでくる。  この湯に入浴する人の比較的に少ないのは別にもう一つある入浴料の倍額の男女それぞれに複数の浴槽も広々とした畳敷きの休憩室も売店もある施設設備の整い立派で大きな市営温泉の人気を集めているからだ。ほかにも旅行雑誌などに掲載されネットの書き込みも多そうな雰囲気も設備の良い温泉施設にもいつも多くの車の駐車場に止まっている。ただこの穴場の湯の数台分の駐車場にも時々は県外ナンバーの車を見かけるからこの湯のこともネットで発信されてはいるに違いない。願わくばこの山間の鄙びた風情の湯の里の人知れぬ湯はこのまま密やかなままにあり通いたいものだ。  この湯に通うのはいつも土曜日か日曜日の午前中である。ありがたいことに長年の仕事を竟にリタイアした今は平日にも行けるのに習慣化した生活の余波なのかそういう気分の沸いて来ない。湯は何曜日でも滾々と湧き出している。泉質だって変わらない。ただ曜日によって湯に浸かりに来る人の数も違えば人も違う。たぶん湯に通う人には何曜日という決まった日の定まって行く傾向のある。というのも土曜日か日曜日の午前中に通う湯で一緒に湯船に浸かるか擦れ違うのは同じ人であることも稀ではない。今のところは折角の穴場の湯に喧しい話し声の響き続けることも過度に混み合うこともないから曜日を変えずに通い続けているけれど若しもそうでなくなり同じ人たちと同じことを繰り返したくなくなれば違う曜日の湯に浸かってみることになるだろう。  あれはどうしてだったのだろう。週末に立て続けの用事の入って二三週間続けて行けなかったからだったか月曜日の湯に浸かりに行った。湯船に浸かりながら今日は月曜日の湯という表題のような言葉だけ繰り返し浮かんで来る。月曜日の湯。確かにそうだけれどそれに何らの意味の見出しようはない。湯は滔滔と流れ湯船からの湯気のルーバー窓から差し込む陽光の高さまで達すると筋状に光り輝きながら天井へと立ち昇って行く。思考は完全に停止している。ただずっと内に秘めた希望を呼び覚まし今それを期待させる名曲のタイトルのようになぜか魅かれ続けている。この穴場の湯に期待するとしたら一人きりの若しくは思うまま欲するままの完全貸し切りの湯。気分次第で人払いもできたし望むままに混浴もできたであろうその昔のお殿様のような入浴風景。しかし月曜日の湯は一人ではなかった。月曜日の湯にも浸かりに来る人はいた。意外ではあったけれど一人ではなかったことは残念には思えなかった。むしろほかにも湯に浸かる人のいたことに安心し嬉しくさえあった。本来そんな自分ではないはずなのに。たまに誰も人のいない一人だけの時に湯船を独占して昔のお殿様の気分もこんなものかと悦に入っているのに。他者との同舟はどこか遠慮して委縮し伸びやかな気分で楽しめない性質なのだ。湯船でたまたま居合わせた誰とでも気軽に会話の弾みいかにも楽しげな人も良く目にする。まさに旅は道連れ世は情け。袖振り合うも他生の縁に素裸のまま怖れもなく身を投じて行ける人は羨ましい。湯に先客の居る場合や一人で浸かっている時に後から誰かの入って来た時はまるで呉越同舟積年の敵にでもここで出会ったのではないかと怖れ慄き身構えてしまうことだって実は常なのだ。  湯に浸かるただそれだけのことに心配したり不安や怖れを抱くこともないだろうにと思ってはみてもどうにも祓い清めたまえない。今日は月曜日の湯。一人きりを想像し期待していた月曜日の湯に浸かっている先客とはいったいどういう人なのだろう。定年退職して毎日の休みの人とか自由業の人。あるいは月曜日の休みの人。もし三択のクイズだとしたら正解はどれだろう。最初に除外されるのは定年退職の人かな。長年の職業生活で身に染み付いた習性から湯に浸かりに来るのは退職前の休みの日を選択しがちなはずだ。この習性の抜けてしまうまでには相当の時間とその間の激しい葛藤を要する。終生その習性の修正されない場合も稀ではなくかえってそんな人は幸せな人生だったと感謝を口にしたりする。そしてそんな人の休みは土曜日か日曜日の多数派を占めるだろう。そうすると自由業か月曜日の休みの人。自由業の人ならわざわざ月曜日に湯に来る理由は弱い。もしかしたら他の人の都合に合わせて日曜日にゴルフに行ったので疲れを癒しに翌月曜日に湯に浸かりに来たかもしれない。しかしそうだとしても月曜日に来たのはたまたまでやはり月曜日の休みの人よりは可能性は明らかに小さい。それに自由業という言葉の響きからもどうも月曜日の湯という感じはしない。自由業なら猶更月曜日は今週の仕事の段取りに取り掛かる大切な日ではないのだろうか。やはりファイナルアンサーは月曜日の休みの人だろう。  多分正解だろうから次に進もう。月曜日の休みの人というのはどんな人だろう。一番先に思い付くのは散髪とかの理美容業の人。人数的にも多そうだしこれでほぼ決まりだろう。距離を置いて湯船に浸かっている人のことを勝手に決めつけてやれやれやっと一息つけたとふっと気持ちの緩む。なんでだろう。自意識過剰は昔からだけれどつくづく嫌になる。だから誰かと一緒になるのは嫌なのだ。ああ。また始まった。こうやってずんずんすり替えと誤魔化しの欺瞞瞞着の底なし沼に嵌り込んで行く。この先決して気分の晴れないことは何度も繰り返し経験して良く分かっているのに。いや。待て。月曜日の休みならトヨタ自動車の販売店も確か定休日だったはずだ。ほかに月曜日の休みの職業はなんだ。いや。月曜日の仕事の休みの人に限るのは早計かもしれない。もしかしたらデパートとかスーパーの人かもしれない。土曜日や日曜日はお客さんも多いので交代で休むなら月曜日ということは十分にあり得る。負のスパイラルに引き込まれた時は無駄とは分かっていてもとにかく意味のないことでも考え続けるしか抵抗する術はない。もしかしたら昼間の休みの人かもしれない。例えば居酒屋とか夜に警備の仕事にしている人。しかし夜遅くなるのなら昼間は家でゆっくり休みたいだろうからこちらは可能性は薄いかな。なにしろここの湯は鄙びた山間にあるから一番近い町からでも車で三十分はかかる。また今夜も仕事という人の今頃わざわざ湯に浸かりに来ているだろうか。そうか。もしかしたら地元の人?そうだ。一番大きな可能性を忘れていた。地元の旅館で働いている人だってこの湯に浸かるかもしれない。今ならちょうど宿泊客を送り出して一息ついている頃かもしれない。なるほど。しかし表の駐車場に一台止めてあったのは誰の車だろう。地元の人なら車で来ないのではなかろうか。もしかしたらあの車は女湯の客のものかもしれない。それに地元の人だって少し離れたところなら車を使うかもしれない。湯に浸かってそのままどこか他所へ出かける予定ということもあるだろう。待てよ。そもそも仕事と言う前提条件で考えることに意味はないのじゃないか。どんな仕事の人かよりもどんな人なのか。そう。確かにそうだ。じゃあ月曜日に湯に浸かっているのはどんな人なのか。男か女か。これは明らかに男。年齢は。歳の頃は五十台くらいだろうか。湯に入る際にちらと見かけた湯船に浸かった後ろ頭とその時交わした短い挨拶の言葉の感じからは少なくとも若者ではなさそうでかといって老人でもない。可能性としては三十台後半から六十台くらいまでの広い幅には収まるだろう。ほかには・・・・・どんな人かとなると・・・・・良い人あるいはそうではない人。優しい人。きつい人。頭の良い人。それほどでもない人。顔や容貌はどうだろう。足の長い人なのだろうか。英語を話せる?髪は地毛だろうかそれとも・・・。音楽は好きだろうか。コンサートや美術館にはよく行く人なのかな。誰と暮らしているのだろう。犬や猫は飼っているのだろうか。どこから来たのかな。どうやって。車もしかしたらバス。いや歩いて来たのかも。車は何に乗っているのだろう。お金持ちだろうか。そうだとしたら仕事は何をしているのだろう。今日は月曜日なのに。あれ。また振り出しに戻ってしまった。  一体どうして同じところをぐるぐる回るようにこんなことを考え続けるのだろう。礼節には欠けるかもしれないけれど一人の先客のことは忘れてしまえないものだろうか。いや。この場合忘れてしまっても礼を失することにはならないだろうし第一それほど義理堅い人間でもないのに。そう。義理堅く生きていない分こんなところで浮世のしがらみに縛られるのかもしれない。もしもこんなところで礼を失したらいよいよこの世間に身を置いているというもともと脆弱な実感さえ覚束なくなってしまう。せめてこんなところで密かに心を通わせ合えれば片隅にでもこの世界に絡まりかろうじて存在しているといみじくも感じられるではないか。そんな気持ちのあったのならさっさと話しかけてみたらどうなのろう。しかしそれはちょっと躊躇してしまう。もしも話しかけて迷惑そうにされたら嫌だし逆に話好きの人で長話に付き合わされることになるのも気の進まない。だから勝手気儘な想像の湯で一緒になった人とのささやかな触れ合いであったと後で自分を欺瞞する羽目になったとしてもできることならば想像するだけに留めておきたい。おそらく先客は先に湯を上がるだろう。それまでの束の間想像を馳せ巡らすままにさせておいてくれないだろうか。  そう思いつつ気になる先客の方に多分わずかに顔を向けてしまったのだろう。向こうの方から話しかけれてしまった。 「やはり月曜日の湯は人の少ないですねえ。」 当方の気にしている素振りを察知させて気を使わせてしまったに違いなかった。話し方は穏やかでにぎにぎしくもなく強引さも些かも含まれていない。 「そうですね。やはり少ないですね。」 おうむ返しの即答をしながら「やはり」というのは月曜日に来ることは始めてとか稀であるのかそれともいつも通りという意味のどちらなのだと思った。 「月曜日にはよく来られるんですか。」 「いえ。大概は土曜か日曜日ですね。」 「そうでしょうね。」 「月曜日にはよく来られんですか。」 「そうですね。割と来て居る方でしょうね。」 そうか。じゃあ理美容関係の人で決まりかな。 「もしかしたら理美容関係の仕事をされているんですか。」 「いえ。車の販売会社に勤めています。」 そっちだったか。なるほど。 「そうですか。トヨタですか。」 「いえいえ。日産です。」 え!そうなの!確か日産は月曜日には店を開けていたように思うけれど。 「日産も月曜日店休日なんですか。」 「いえ。店は営業しています。週末はフェアをやったりとかそうではなくても土曜日や日曜日はお客さんも多くて休めないので振替で休みを取っているんですよ。」 「ああ。そうなんですか。」 成程そうだったのか。 「月曜日の湯というのもゆっくり出来て良いですよ。最近はすっかり気にいってしまってよく通っています。」 「そうですね。」 確かに月曜日の湯も悪くはない。混み合うことはないし程よく心に残る旅は道連れ世は情け袖振り合うも他生の縁。それはもしかしたら水曜日以外の何曜日でもこの湯の穴場であり続ける間は同じことかもしれない。なぜなら水曜日は定休日だから。
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