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カムチャッカ半島。
……なんて響きの良い言葉なんだろう。
カムチャッカ半島。
……語感か艶やかで、気持ちが良い。
カムチャッカ半島。
カムチャッカ半島。
カムチャッカ半島。
何度でも繰り返していたい。
夜の帳が夕焼けの空を押し込み始めた頃。冬の澄んだ空気の向こうに星の光が届き出している。身を切るような寒さに嫌気は差すが、この頃合いの時刻に帰宅につけることも稀なため、久々に拝む黄昏の陰影に僕は数瞬息を飲む。
しかし、そんな感嘆符は頭の中で繰り返されるカムチャッカ半島という単語に即座に上書きされ、目の前の景色なんて、その鮮烈に快楽的な単語の響きの前では何ら意味を成さなくなった。
最寄り駅から自宅に戻る家路の最中、頭の中でカムチャッカ半島という単語が幾度となくこだまする。ついさっきまで乗っていた電車の吊り下げ広告に、カムチャッカ半島という単語を見かけた時から僕の自律神経は潰え、単語の反芻が止まらない。
何の宣伝だったかなんてもう忘れたが、とにかくもう、カムチャッカ半島という単語の響きが気に入り過ぎて、頭の中にカムチャッカが溢れて自宅までの帰り道すら脳内からこぼれ落ちそうになる。蠱惑的な単語の響きに僕の自意識は脅迫的に支配され、他の事は何一つ考えられなかった。
カムチャッカ半島に出会うまでは、明日の遠方への出張を思い、心が重かったはずなのに、もうそんな些細なことを気にするほどの余白は、僕の頭には無い。
少々面倒な仕事のための出張で、昨日の午後あたりから弱音や億劫な気持ちで押し潰されていたはずの僕の頭の中は、繰り返し脈動するカムチャッカの響きで、綺麗に染まってしまっていた。
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