一章     5

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 ウェスリーは謎が深まっていくのを実感した。事件の全容はおろか、ベイビーの風変わりな見た目にも、二人は何の説明も与えられなかったのだ。ただ一つの可能性を潰しただけだった。 「ゲノムの解析はメンデルがやっておいてくれる。俺たちは捜査を続けよう」  パトスはすっかり夢中になっており、自分がいつの間にか良いように乗せられていることにも気がついていなかった。  ウェスリーはパトスの勧めでフォークナー教授の自宅に戻ることにした。教授のパソコンの中には未発表の原稿が山ほどあるらしく、その中に今回の謎を解き明かす手掛かりがあるかもしれなかった。 「車を玄関にまわすから、お前は前で待っていてくれ」  ウェスリーは抱いていた赤ん坊をパトスに預けると車の鍵を受け取った。  ウェスリーは二人そろって駐車場に行くつもりにはなれなかった。  パトスから生物の講義を受けることにいささかうんざりしていたし、ベイビーの前では煙草を吸うこともできなかったからだ。  人の体を気遣って煙草を吸わなかったのもウェスリーにとっては久しぶりだった。  パトスと別れると、ウェスリーはつかの間の解放感を覚えた。そして、自由な思考を取り戻すと早速今回の事件について考えを巡らせた。パトスと居るとどうも自分なりの捜査ができないのだ。  エレベーターを待つ間、ウェスリーは病院と、ペットショップに現れた男のことを思い出した。地区内のチンピラであれば、住所や名前はおろか、体内を駆け巡る薬物まで把握しているが、あんな男は見たこともなかった。あの男はチンピラや何でも屋ではない。その道のプロだった。だがその正体も、誰に雇われて何をしようとしているのかも、皆目見当がつかなかった。  やってきたエレベーターに乗り込むと、ウェスリーは待ちきれずに煙草を取り出した。身体が化合物を待ち望み、内臓がごろごろと音を立てていた。  類人猿総合研究所の駐車場には四人の男が待機していた。  新聞を器用に畳んでエレベーターを待つ男。丸顔で気の弱そうなこの男は昨晩妻と喧嘩をした際に、ヒステリックになった妻に皿を投げつけられ、左手の指先を切っている。そのため絆創膏を巻いているのだが、ときどきそこを撫でては、虚しそうにため息をついた。  エレベーター付近に停めた車の運転席で、詰まらなさそうに煙草を吸う男は厳格な顔つきに四角い眼鏡をかけている。お世辞やヘリ下ることが得意で、四人の中では最も官僚制度に適した人物だった。そしてその官僚制度に適するという性質は、多くの才能を差し置いて、多くの権限や恵まれた待遇をもたらす。ウェスリーが未だに現場にいるのも結局はそこだった。  後部座席に座り、その機会を伺う二人の男。狂犬じみた二人の男は血に飢えた肉体を抑えるのに苦労している。忙しなく貧乏ゆすりをしたり、コートの下のマシンガンに触れてはその位置を確かめたり、彼らは一分を途方もない長さに感じ、一刻も早く自分たちの凶暴な本性が満たされることを望んでいた。
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