一章     4

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 ウェスリーとパトスは掛け声とともに教授の死体をひっくり返した。死体は重く、一人では到底裏返すことはできなかった。  ウェスリーとパトスはコートのポケットや、財布の中を調べた。 「お前平気なのか?」  ウェスリーはパトスが淡々と死体に触れていることに驚いた。死人に対する畏怖の念は理屈ではない。慣れない人間は死体に触れることを本能的に嫌悪するのだ。 「ジャングルでは死は生よりも身近だったよ」  パトスはため息をついて、ズボンのポケットからパスケースを抜いた。 「この街もそうだ。木は一本だって生えちゃいないが」  ウェスリーは調べていた財布をベッドに放った。 「そうだ。網膜が必要だったんだ」 「なんだって?」 「眼球の内側にある組織なんだが、指紋のように個人が固有の形質を持ってる。研究所は館内のセキュリティに網膜を採用している。入口の機械に目をかざして、入る権利を持つ個人であることを証明するんだ。パスカードだけじゃ、偽造される可能性もあるからね」  ウェスリーは内容を理解することはできたが、教養を持つ者がする独特の回りくどい言い方に頭がおかしくなりそうだった。 「分かった。分かったよ!! 言葉をこねくり回すんじゃねえ! つまり、こいつの目がいるってことだろ?」  ウェスリーは台所に向かうと、大きなスプーンを持ってきた。 「おい、それどうするつもりだよ」 「目をすくえばいいんだろ?」 「よせ!! ぐちゃぐちゃになるだろ」 「死人が痛がるか?」 「おい、誰が痛そうなんて言ったんだ? 誰がかわいそうだからやめろと言ったんだ?」  パトスは腰抜け呼ばわりをされたような気がして、無性に腹が立った。ウェスリーは余計な一言で他人を不愉快にさせることに関しては、才能と呼べるほど手際が良く、むしろ今まで二人が仲良くしていたことが不思議なくらいだった。 「眼球が必要なんだろ? まさかこのまま研究所の前まで持って行くか?」 「俺はやることが荒っぽいと言いたいんだ。頭を使え、頭を」  パトスはそう言うと、台所に行きナイフを持って現れた。 「お前の道具立てだってそう変わらんだろ」 「まあ聞けよ。眼球は筋肉によって固定されているんだ。穴にはまってるだけじゃないんだから、そう無暗にすくえばいいってもんじゃない。こうやって目の横に刃を入れて、こうやってちょいと切ってやって……、ちょっと顔を下にして後頭部を二三発叩いてみろよ」  ウェスリーは死体を返すと、教授の後頭部をぼんぼんと叩いた。 「ほら出てきた。あとは視神経を切れば……、いっちょあがりだ」  フォークナー教授の眼球は手のひらを転がり、明後日の方向を表情なく見つめた。 「おい、おっさん、ビニール袋持ってきてくれ。こら!! モンロー、これはおもちゃじゃないんだ」  ベッドの横で大人しく立っていたモンローはパトスの手のひらで転がる球が気になるようで、おもむろに手を伸ばした。パトスは咄嗟に手をモンローから遠ざけたが、その拍子に眼球はコロコロと転がり、ぽたりと床に落ちた。  モンローはそれを摘み上げ、興味深そうに見つめた。 「おいモンロー、それはブドウじゃないんだ。返してくれ」  モンローは首をかしげて、眼球の様子を確かめるみたいに、唇を尖らした。  次の瞬間、モンローはそれを口に放り込んだ。パトスは驚きのあまり声が出なかった。  パトスは舌の上の眼球と目が合った。眼球は吸い寄せられるように奥へと引っ込んでいき、モンローの舌の動きに合わせて、黒目や、眼球から細く伸びる視神経を覗かせた。  モンローは食感を楽しむみたいに口の中で眼球を転がしたあと、台所から帰ってきたウェスリーのもとにすり寄った。そして、ウェスリーの反応を試すかのように、舌先に乗せた眼球をベーっと見せびらかした。ウェスリーはびくんと身体を震わせた。 「おい! 猿にやってどうするんだ」 「わざとじゃない。床に落としたら食べられたんだ。それと、この子は猿じゃなくてモンローだ」 「何がモンローだ。おい、人の話を聞いてなかったのか? 研究所に入るには目玉がいるんだ」  ウェスリーは腰の高さほどのモンローに向かって人差し指を突き立てた。モンローはまるで取ってみろと言わんばかり、舌に眼球を乗せたままウェスリーを見つめている。 「おっさん、今だ! 眼球をさっとつまみ上げるんだ」 「何? 俺に猿の口に指を突っ込んで、眼球を拾い上げろってか?」 「突っ込むなんて大袈裟だ。もう見えてるじゃないか」 「目玉はもう一個あるんだ。それはこいつにくれてやれ」  猿の口に手を突っ込むなど考えただけで寒気がした。 「くれてやれだって? この子が目玉の味を占めたらどうするんだ。あっちこっちから目玉を拾い歩いて食うようになったら、この子の人生はどうなるんだ」 「知ったこっちゃない。俺はお前と猿を育てようって言うんじゃないんだ。とにかく、俺は事件さえ解決すればそれでいい」 「そうはいかない。この子は最後の許可を待ってるんだ。ここで俺たちが、目玉を食うことを許したら、あんたが寝てるうちに、あんたの目玉をくりぬくかもしれないぞ」 「クソ!! 何がこの子だ」  ウェスリーは恐る恐る指を近づけ、モンローの口からさっと眼球を摘まみだした。 「モンロー、よく我慢したな」  パトスはウェスリーが目玉を摘み取ったのを確認すると、モンローに走り寄って、大げさに彼女を褒め称え、頭や背中を愛撫した。モンローは得意げにキーキーと鳴いた。  ウェスリーは眩暈を覚えて、目頭を軽く揉んだ。
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