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一章 5
類人猿総合研究所は都市の中心部にあり、警察署からもそれほど離れていなかった。駐車場に車を停めると、二人はフォークナー教授の目玉とパスカードを使って、中に入った。
「俺たち浮いてないか?」
ウェスリーは落ち着かなかった。
すれ違う人々は真っ白な白衣を着ていたし、ゲージに入れられた猿たちも良好な環境で育ったことが伺える綺麗な毛並みをしていた。一方、ウェスリーのシャツは染みだらけだったし、パトスの服装は幾分教養を感じさせるものの、その場所には似つかわしくなかった。二人が連れた兄弟のような子どもたちも、モンローは何故か毛を短く剃られていたし、ベイビーの目には目やにがついていた。
「猿を連れてるんだから、研究者にしか見えないはずさ」
二人は行き交う人々にぶつかりそうになりながら、実験装置の並ぶフロアを進んだ。
「お前はここに来たことがあるのか?」
「教授を訪ねて一度だけね」
ガラス張りの実験室の中で気難しそうに画面を見つめる男がいた。
その人物は脂肪を蓄えた身体を器用に畳んで、隣の部屋から送られてくる動画を見ていた。オラウータンの知能測定の経過だった。
その人物はたるんだ顎を手でなでていたが、そこで、ふとガラス窓の向こうを歩く不審な二人を見つけた。ボノボを連れていることから関係者であることは容易に想像がつくが、通常猿たちはゲージに入れられて運ばれることが多く、やはりその姿は異様だった。
その人物は禿げた人相の悪い男を訝しげに見つめた後で、その奥を歩くやせ細った男を見つめた。
そして、ボノボを抱いた青年が誰であったかを思い出すと、顔に満面の笑みを浮かべて実験室を飛び出した。
「おい、パトスじゃないか!! どうしたんだ、こんなところで」
フロア全体に響くような図太い声を出して、その人物はパトスを慌てさせた。
「メンデル!! 元気そうじゃないか」
パトスはその人物をメンデルと呼び、猿を片腕で抱きなおし、空いている手で彼と熱い抱擁を交わした。
「どこに隠れてたんだよ? 帰って来たとは聞いていたけど、誰もお前の居場所を知らなかった」
「誰にも言ってなかったからな」
メンデルは大学時代の友であり、その時期はパトスにとってもっとも穏やかな日々だった。そのときのパトスはまだ罪も穢れも知らなかった。彼との再会はつまるところかつての輝かしい過去との再会であり、パトスの頬は自然と緩んだ。
「帰ってきたら真っ先に飲もうって言ってたじゃないか」
「そうだっけ。忘れちゃったよ」
パトスは咄嗟に嘘をついた。メンデルとの約束を覚えていたが、ジャングルから帰ったばかりのパトスは到底人に会える状態ではなかった。そして、その過去について包み隠さず話すことができるようになるまでは、旧友に心苦しい嘘をつき続けなければならなかった。
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