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「おっさん、モンローを影武者扱いするな」
「何がモンローだ。モンキーの間違いだろう?」
「モンキーと類人猿は違うぞ。類人猿はモンキーによく似ているが……」
パトスの長ったらしい講釈をメンデルは遮った。
「いいじゃないか、誰だって今にボノボの知性に気がつくさ。さ、実験に取り掛かろうじゃないか」
メンデルは率先して、実験室を使わせてもらえるよう頼みに行った。たとえ職員であっても、実験室を使うにはあらかじめ予約を取らなければならないものだが、メンデルは持ち前の明るさと冗談のセンスで、割り込ませてもらったようだ。
そして、実験器具を揃えるところまでを済ませると、今度はパトスの番だった。パトスは気持ち悪い猫撫で声を出して、ベイビーに毛を一本くれるよう頼み込んだ。毛根に付着した細胞から核を取り出すのだ。
「なあ、良いだろお? そんなにたくさんあるんだから。お兄さんに一本だけくれよお」
パトスはウェスリーの周りをくるくると回った。ベイビーをあやしながら毛を抜くためだったが、他の男が誰かに取り入ろうと猫撫で声を出すほど、見ていて気持ちの悪いものはない。それが自分の周りを意味もなく旋回するので、ウェスリーはよっぽど蹴り飛ばそうかと思った。
ウェスリーが不愉快だったのはそれだけではない。実験器具から、実験の手順、結果を表した映像まで、そこはウェスリーの人生において無縁なものばかりだった。それを自分より二十は若い青年が当然のように扱っている。じっとしているとウェスリーは自分がゆっくりと死んでいくように思えた。
ウェスリーの生きる場所は清潔で潔癖な実験室ではない。ちょうど、都市がゴリラの生きる場所ではないのと同じように。
ウェスリーにとってそこは落ち着ける空間ではなかった。だが、彼は結果が出るのを辛抱強く待っていた。手伝えもしないくせに、実験室の中を動き回れば、余計に笑われると思ったからだ。
「やっぱりか」
「俺は最初から疑わなかったぜ」
パトスがため息をつき、メンデルはパトスの肩を叩いた。どうやら結論が出たようだった。
「だけど、期待しなかったわけじゃないだろ?」
「期待はしてたさ。チンパンジーと人間の間で子どもが出来るなら、俺は彼らと結婚するね」
「俺はせめてボノボが良いな」
椅子に座って小さくなっていたウェスリーは腰を浮かせた。
「おい、小僧、何が分かったんだ?」
「ああ。この子の染色体の数は四十六本。それだけで見れば、この子の両親はどちらも人間と言うことになる。塩基配列を比べれば、この子が具体的に他の人間とどう違うのか分かるかもしれないが、それには時間がかかる」
「そうか」
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