二章     1

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二章     1

 未来創造地区の中心、数十メートル上空。ひときわ大きいトルーマン署長のオフィスからは極めて不愉快な光景が広がっていた。それはトルーマン署長の気分を反映したものではない。街を見下ろして不愉快になることはあっても、その逆はあり得なかった。  見る側の気分がどうであれ、その光景は常に人々にある種の疎外感を与えた。一部の人類が身に余る大金を抱える一方、その他大勢の人類はただ積まれていくだけの資本のために搾取されている。人類が作り出したシステムは人類をシステムの一部として奇形化していき、最後には当人でさえ手が付けられない怪物となった。そして、程度の差こそあれ、ほとんどの人間は搾取され、飼いならされていた。  署長とて例外ではなかった。  未来創造地区を上空から見下ろせば誰もが同じ結論に至っただろう。 放っておいた傷口が膿み、黄ばみ、白濁した液体をにじませながら炎症を広げていくように、未来創造地区は年々その領域を広げていった。そして、それに伴い、署長のオフィスから僅かに見えていた地平線の向こうの緑地も、今ではがれき同然のありさまだった。 「はい……。いえ、こちらからは何の指示も出しておりませんが、いえ。それどころか、奴の情報はほとんど入ってきておりません」  署長は恐縮しきった様子で、煮え切らない台詞を口にした。 「一度家に帰って、地下倉庫街に行ったところまでは報告があがってきているのですが、それ以降の足取りが掴めませんので」 「いや、そういうわけではないのですが、私自身まだ何の報告も受けておらず……。いえ、違います。彼は断じてそのような目的を持っているわけでは」  署長はハンカチで、こめかみから垂れる汗を拭った。臆病がゆえに失敗を回避し、誰よりも早く昇進を果たした署長も部下の行動までは手が回らない。それが部下の部下であればなおさらのことだった。 「いえ、そういう報告は上がっておりません……。いや、それじゃあまるっきり嘘を言えというんですか?」  署長は口に手を当て、下卑た様子でうなずいた。 「はあ、はあ。分かりました。失礼します」  署長は通話が切れたことを確認するとため息をつき、がっくりと肩を落とした。  そして、精神が落ち着かないときの癖として、いつものように腕時計を撫でた。  若い世代からはほとんど時代遅れと笑われる旧式の時計だった。それでも手首を締め付ける感覚と、金属の無骨な手触り、耳を澄ませば聞こえてくる針の動く音、それら全てが署長を安心させた。  署長はダニエル警部補に内線をかけると、すぐにオフィスに来るよう指示し、返事も聞かずに電話を切った。  煙草に火をつけた署長は少し吸って、すぐに灰皿の底で揉み消してしまった。一口分もない化合物を肺に入れただけだったがそれで満足だった。  署長は秘書を呼び、隣の部屋で作業をしていた彼女に、事務局に行ってウェスリー・フォードの勤務記録を貰ってくるように指示した。
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