二章     1

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 秘書から原稿を渡されたのは、会見が始まる十分前だった。ダニエル警部補は緊張のあまり洗面台で二度えづいた。胃液がわずかにせり上がってくるだけで、出るものはなかったが、耐えがたい不快感があった。  水で口をすすぎ、髪に櫛を通して、トイレから出た。会見場の舞台袖で原稿を読み始めたのは、会見の三分前だった。  原稿を読むうちにこの記者会見が署長が言うほど簡単なものではないことに気がついた。全身の毛穴が開き、汗がどっと噴き出した。ダニエル警部補はぺろりと唇を舐めた。口が酷く乾いていた。 「時間ですよ」  署長の秘書は感情なく冷たい口調で言った。ダニエル警部補は頭が真っ白になった。そして、自分が酷く不利な役回りを背負わされたことに気がついた。 彼は原稿を忌々しく握りしめ、会見を始めた。 「えー、警察署、地方・交通局のダニエルです……。昨晩発生した警官による不当な発砲事件とそれに関わるいくつかの事件について確認が取れましたので、発表させていただきます」  一斉にフラッシュが焚かれた。記者たちは眼鏡の奥に人間性を潜め、神経質な表情でレンズを覗いていた。 全く、とんだ茶番だ。ダニエル警部補は怒りを感じた。  今やクリアな写真を撮るのにフラッシュは必要なかったが、それでも記者たちは好んでフラッシュを焚いた。カメラを向けられたものが、萎縮し、バツの悪そうな表情をするのを知っていたからだ。  そして、そうやって取られた写真は如何にも追及に困り果てた悪人に見える。  ダニエル警部補は閃光に目を細めながら続けた。 「強姦事件の被疑者を射殺したのはフォード・ウェスリーという地方交通局の巡査部長ですが、現場検証に当たった結果、射殺に至る正当性は見受けられませんでした。犯人は真後ろから撃たれており、無防備だったことが伺えます」 「ウェスリーは以前から問題のある刑事でした。過去に何度も職権濫用で告発されています。彼は今捜査を離れ、行方をくらませていますが、昨晩から今日にかけて起こったいくつかの事件の容疑者として、現在指名手配の手続きを行っています」  会場がわずかにざわついた。 「昨晩、パトロールで外に居たウェスリーは、通報を受けて現場に駆け付けた後、強姦事件の容疑者を射殺します。狂暴な衝動に身を任せた行為だったと思われます」 「その後、彼はジャック・ランド記念病院に現れ、新生児室から赤ちゃんを誘拐しています。目的が何なのかは分かりませんが、その際、止めに入った職員を殴りつけ怪我を負わせました。彼は朝まで行方をくらませた後、開店準備をしていたペットショップに押し入り、マシンガンを連射。警察署に戻ることなく、店員を人質に逃走を続けています」  ハッキリ言って、その原稿には真実が書かれているとは言えなかった。ただ上層部にとって都合が良いように捻じ曲げられ、ウェスリーは余計な容疑まで擦り付けられていた。
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