二章     1

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 実際はほとんどの捜査が追いついておらず、事件の全貌は闇の中だった。だが、そんなことを公表すれば警察の面子を汚すことになる。  仮説を丁寧に検証することは上層部にとって優先するべき事柄ではなかった。  だが、ウェスリーが署に戻っていないというのは仮説でもなければ言葉の綾でもない。真っ赤な嘘だった。  現にダニエルは署に戻ったウェスリーと口論をしている。だが、真実を順序良く説明するほど、ダニエル警部補は口達者ではなかった。 「彼の行動は最早狂人の領域です。これ以上被害が出ないためにも一刻も早く居場所を特定し、逮捕に臨みます」 「会見は以上です」  ダニエル警部補は途中何度か、言葉に詰まりながらも、なんとか会見を終わらせた。あらかじめ予想されうるいくつかの質問は、原稿に模範的な解答が書き込まれていたが、記者からの質問は予想以上に手厳しいものだった。  記者たちはペンやレコーダー代わりの端末を、刃物のように突きつけた。ダニエルは記者たちの顔が見られなかった。ずらりと並ぶ不気味な鉄塊から目を離した途端、それが喉に突き刺さるような気がしたからだ。  ダニエルはしどろもどろに質疑応答を終え、逃げるように会場を出た。控室に戻ると遭難者が力尽きるように、ソファーに崩れ落ちた。屈辱的な気分だったし、多くのものを失った気がした。  廊下にも控室にも秘書の姿は既になかった。労わってもらえることを期待したわけではないが、会見が終わるまでいるものだと思っていた。  ダニエルは尻尾切りとなったのはウェスリーではなく、自分だったような気がした。そして、例え尻尾が誰であろうと、トルーマン署長でも、刑事局の上層部であっても、結果は同じだと思った。  組織は常に存続のために犠牲者を出す。中身は作り替えられ、本質がどこにも存在しなくとも、一秒でも生き延びようと構成する人間を搾取する。誰であってもいずれ同じ目にあうのだ。ダニエルはたまらなく愉快になった。  署長にもいずれそのときがやってくる。そして、それは社会的な重圧を署長に課すだろう。気の小さい男だ。追及をやり過ごす根性があるかも怪しいものだ。彼は署長室で、あの灰色の街を背景に首をくくるかもしれない。  署長はガラス窓から目から飛び出た眼球や、口から這い出た舌を世界中に晒す。ダニエルはそんな想像をしながら、火照った身体が冷めていくのを待った。
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