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朝に目を覚ますと、隣で田部君が昨日とは違った体勢で眠っていた。時計の針は八時五分前を指していた。私は眠るのが遅かったとしても、寝坊することはないし、夜中にふと目を覚ますようなこともない。そして、朝に目を覚ますと、「おやすみ」と言ったときの寂しさはすっかり消えている。我ながら都合の良い体質だと思う。
田部君を起こさないように、そっと布団から抜け出し、朝食の準備をする。カーテンから外をそっと覗くと、まだ柔らかい日差しが差し込んだ。
「おはよう」
朝食ができあがる頃、田部君は目を擦りながら起きてきた。田部君は大学までスポーツを続けただけあって体格がいい。だから、本人には言わないけれど、のそのそと歩く姿は冬眠から目覚めた熊のようだと少しだけ思う。
「もうちょっとでご飯できるよ」
「ありがとう」
田部君はそう言って、テーブルの前に腰を下ろす。テーブルは一人暮らしを始めた頃に買ったものだから、二人で座るのがやっとの大きさだ。そろそろ新しいものを買っても良いのかもしれない。何かを買い換えるということは、何かを捨てるということだ。私にはそれらを変える決心は、まだついていない。
「何作ってるの?」
田部君は私の考えていることなど、何も知らず私の背中にそう問いかけてくる。
「目玉焼きと、サラダと、トーストだよ」
私は田部君を振り返りながらそう答え、良き恋人を演じる。田部君が一緒に暮らそうだとか、結婚しようだとか、そういった関係を前進させる言葉を私に投げかけたことはない。それが私にとっての、唯一の救いだった。
窓から風がそよぎ、カーテンが揺れ、私は目を覚ました。隣では、田部君が相変わらずの寝相の悪さで眠っている。暑いからか、左足は完全に布団から出ていて、大きないびきをかいていた。出かけるつもりが、居眠りしてしまったのだ。田部君と一緒にいるとこういうことが多々ある。喉が渇き、そっと布団から抜け出そうとすると、「奈々?」と珍しく声をかけられた。田部君の隣に起こしかけていた体を横たえる。
「怖い夢見たんだ。奈々がいなくなる夢」
田部君は真顔で私の顔を見つめていた。
「まさか。いなくなったりしないよ」
私はそう言って田部君に笑ってみせる。彼は「だよな、だよな」と安心したように呟いてから、軽く私の髪を梳く。体は大きいくせに田部君は少しだけ臆病なところがある。私はその部分も含めて田部君が好きだった。
そして、今なら言える気がした。
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