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「なるほど。それはとても奇妙な話ですね」  俺は白を基調とした清潔感のある部屋でソファに座り、低いテーブルを挟んで対面で同じようにソファに座る先生と会話を交わしていた。  先生は若い男で眼鏡をかけスーツ姿で、部屋に入って来るときは右手に杖をついていた。今は座っているので杖はソファに立てかけてある。  俺は戦争が終わってから定期的にこのカウンセリングを受けている。戦争という極限状態にいた兵士たちは、精神的な苦痛によってトラウマを抱えてまともに生きることすら難しくなることがある。俺自身にはそういった自覚は薄いが、念には念を入れてこの部屋に通っていた。  俺は先生の名前をど忘れしてしまった。尋ね直すのも気まずいので先生がつけている名札を確認しようとしたが、光の加減で上手く読めなかった。確かこの国の人間の名前のようにも、外国人の名前のようにも思える名前だったのは覚えているのだが、先生の見た目はこの国の人間のようにもそうで無いようにも見えた。  そして今日、彼が話した奇妙な戯言について俺が悩んでいることを先生に明かした。先生は真摯に俺の話を聞いてくれた。先生はにこやかに微笑んだまま話を促す。 「俺はこの食い違いが分からないんです。どうしても気になってずっと心に引っかかるんですよ。彼の戯言には何か意味があるんじゃないかって」  俺はどうしても謎の解明を諦めきれなかった。藁にもすがる思いで先生に相談したのだ。 「そうですね、あなたが納得いくかどうかは分かりませんが、二つ程の仮説を思いつきますね」 「!分かるんですか?」 「あくまで、仮説ですが」  俺は先生の言葉を待った。 「まず一つ目。  彼の話が現実と食い違っているというのなら、どちらかは嘘ということです。そして嘘の可能性が高いのは彼の話の方でしょう。  つまり、彼は嘘をついていた」 「それは俺も考えました。でもなぜ彼はそんな作り話を?」 「こんな話があります。  ある男が戦場で、俺には故郷に待っている恋人がいて戦争が終わったら結婚する、と仲間に幸せそうに話します。すると直後に戦闘が始まって、話した男は命を落としてしまう。  幸せそうに結婚の話をすると死んでしまうというのは戦場では有名なジンクスでしょう?彼はきっとそれを逆手に取ったんですよ。  まず、結婚する、と話す。しかしその後に、結婚したくない、と続けたり悲劇的な内容にすることによって自分の死を遠ざけようとしていた。  どうでしょうか?」 「確かにそう考えれば自然かもしれません……。でも俺は納得いきません。それを話すときの彼はあまりにも哀しげで、とても作り話をしているようには見えなかった」 「では二つ目。  彼が嘘をついていなかったなら話は簡単です。彼の話はすべて真実だった。ただそれだけです」 「……そんな馬鹿な、少なくとも彼の弟は確かに生きていた」 「ええ、ですから彼はおそらく過去の方を変えたんでしょう」  過去を変える。俺は先生の言葉は理解したが、先生が何を言っているのか分からなかった。そんな俺をよそに先生は続ける。 「人間は、時に理解を超えた超常的な能力を発揮することがあります。そしてそういったものは往々にして極限状態の中で発揮されると言います。まさに戦場はその極限状態と言えるでしょう。  過去に大事な人を喪った彼は、戦場の極限状態の中で過去改変を起こすことに成功した。それによって彼の弟は生き返り彼女と結ばれることになった。彼の願い通りに」  あまりに突飛な発想に俺は呆気にとられた。 「……流石にそれは馬鹿馬鹿しい意見だと言わざるを得ません。第一、過去を望むように変えられるならなぜ彼は死んでしまったんですか?」 「それが改変した結果だとしたら?」 「え?」  先生の眼から、笑みが消えた。 「彼の行動によってあなたは助かった。  それが彼の起こした改変だとしたら、あなたは本当はもう死んでいるのではないですか?」  俺が?死んでいる?  ぼぢゅり。  俺の顎が床に落ちて、音を立てた。  ああ、そうだった、あのときの手榴弾の爆発で顎は吹き飛んでいたんだった。  頭が思い出した途端、身体が一斉に傷口を思い出した。身体中の肉や骨を手榴弾の鉄片が切り裂いて砕いて千切って吹き飛ばし、俺に死が与えられる。耐え難い激痛が全身を走り、やがて意識が遠のいて――― 「うわあぁぁあああああっっっ!!」  気がつくとソファからずり落ちていた。自分の顎を触って確かめる。顎は落ちていないし全身に傷口も痛みも無い。  今の光景は夢などでは無い、そう感じた。まるで、過去に本当に体験した出来事のように現実感があった。腋の下を冷や汗が流れる。 「どうですか?納得できる答えは得られましたか?」  目の前で先生がにこやかに微笑んでいた。 ―――――  俺はこれ以降この件について悩むのを辞めた。余計なことをすると、恐ろしいことが起きそうだったからだ。  ただ、今でもふとした瞬間に彼のことを思い出す。そして、悲しい結末にならない物語を彼に話してもらいたいと思った。
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