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一
叢雲のかかった月明かりだけが照らす薄暗い部屋。
一見ごく普通の貴人の部屋に見えるが、その実態は貴人を閉じ込めておくための檻。
その中だけで生きていけるように設備の整えられている、閉じられた世界。
でも私は、閉じ込められているのだとは思えない。
むしろ、守られているような気さえしてしまう。
そんな事は有り得ないと、私が一番よく知っているはずなのに。
寝台に腰掛けて、ある人物がやって来るのを待ち続ける。
……私に、この部屋を与えた人を。
いつかは必ず、その待ち人の訪れは途絶えてしまう。
それはきっと、近いうちに。
もしかしたら昨晩限りで、もう二度と、来てはくれないかもしれない。
それでも私は、彼を待ち続ける。
そして、かたん、と。
小さな物音に、今晩も来てくれたと安堵するのだ。
でもそれは、決して気付かれてはいけない。
喜びも、愛情も、彼に向ける好意は、全て。
彼は私のことが嫌いだろうから。
知られたら今度こそ、完全に拒絶されてしまう。
そうなれば間違いなく、私は耐えられない。
だから、この想いは心の底深くに仕舞って、作りものの表情という仮面で蓋をする。
気付かれないように、そして、これ以上育ってしまわないように。
やがて、微かな衣擦れの音とともに姿を現したのは、精悍な顔立ちの男。
肩甲骨あたりまで伸ばされた暗めの赤い髪は後ろで一つに結われ、深い金色の瞳は相対する者を鋭く射抜く。
まだまだ歳若いにも拘わらず、ただならぬ覇気をその身に纏っているこの青年こそが、私の待ち人。
そんな彼が馬を駆り、戦場を塗り替えていく様はまさに、神話に描かれる戦神のようで。
たった一度だけ目にしたその光景が、あまりにも美しくて。
どうしようもなく焦がれるこの感情に気付かれてしまわないかと不安になりながら、その視線を受け止めた。
ふと、彼の顔が憎々しげに歪む。
けれど私にはそれが、今にも泣き出しそうなほどに苦しげな表情に見えてしまって、いつかの、押し潰されてしまいそうな彼と重なった。
すぐにでも駆け寄って、大丈夫だと抱きしめてやりたい衝動が私を襲う。
分かっている。
彼はもう、私に手を引かれるような小さな子どもではない。
守ってやらなければいけない存在では、決してない。
どれだけ重いものでも、持たされたものは放り出さずにその役目を全うしようとする、そんな人。
その肩にのしかかる、大きな、大きすぎる重責を押し付けてしまったのは、私なのだけれど。
ただ、笑っていて欲しかった。
彼が心穏やかに過ごしてさえいれば、それで良かったのに。
私は、彼の重しにしか、ならなかった。
ゆっくりと歩み寄った彼に、肩を押される。
私はそれに抵抗することなく従う。
武人らしい、武器を持ち慣れて少しかさついた手が夜着をはだけていく。
露わになったわき腹を、その手でするりと撫で上げられる。
「んっ……は……」
たったそれだけで、彼という存在を刻み込まれた身体が沸き立つ。
金色の瞳がす、と細められ、情欲の光が小さく燈る。
浅ましくその熱を求めて、期待に震える身体。
首筋から胸元へと辿っていく唇と、そこから漏れる吐息の感触。
どんなに些細な刺激も残らず拾おうとするかのように、触れられる端から肌が敏感になっていく。
貴方が、貴方に与えられるもの全てが、愛おしい。
それなのに、私は貴方に何も返せないどころか、重荷を背負わせてしまった。
その手を汚させて、尻拭いまでさせて、本来その責を負うはずだった私は、ここでのうのうと生き延びている。
死ぬことは許さないという、貴方の言葉を免罪符に。
私にできるのはもう、この身を差し出すことだけ。
一時だけでも貴方の心が楽になるのなら、慰みもので構わない。
下手に孕む心配がない、都合のいい処理相手で構わない。
……なんて。
思いながら結局は、貴方に触れられたいだけ。
どこまでも真っ直ぐな貴方に対して、私はどこまで汚いのだろう。
だから。
「……兄上」
縋るように、呼ばないで。
私の可愛い、愛しい弟。
私自身が求められているのだと、勘違いしてしまいそうだから。
過去に一度、貴方にそうやって救われているからこそ、余計に。
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