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嗚呼(ああ)、嫌、嫌!」  目の前で、きらきらしく着飾った女が(わめ)き散らしている。 「これはもう駄目よ、もっと良い物を持って来てちょうだい!」  女は鏡台の上にある化粧道具を勢い良く払い落とす。  けたたましい音を立ててぶちまけられた化粧道具は割れ、溶かれた(べに)白粉(おしろい)が床を紅白に染め上げる。  部屋の隅には、怯えきって震えている侍女たち。  呼んでいるというからわざわざここまで来たのに。  辿りついてみれば長時間待たされた挙げ句、涙目の侍女に案内された先にはこの惨状。  身支度の途中、化粧の具合が思わしくなくて癇癪(かんしゃく)を起こした、そんな所だろう。  ともすれば漏れそうになるため息をぐっと(こら)える。 「こんなのわたくしじゃないわ、わたくしはもっと美しいの。美しくなければいけないの……」  己に暗示をかけるように、鏡に向かってぶつぶつと呟く女。  ふと、鏡越しに目が合う。 「何を笑っているの、わたくしをかしら。何がおかしいの、わたくしがかしら!?」  くるりと振り返り向き合った女に詰め寄られる。  私が笑みを浮かべていたのが気に(さわ)ったらしい。  やはりこの女は、私のことなど見ていない。  見ていたならば、私がいつも笑みを浮かべていると気付くだろうに。  この、作り物の薄い笑みを。 「母上はいつもお美しいですよ」  心にもないことを(うそぶ)く。  教えられた人の言葉を(さえず)るという鸚鵡(おうむ)のように。  それしか出来ないのが、”翡翠の君”という人形だから。 「お黙り! お前に何がわかるというの!」  激昂した女が掴みかかってくる。  首をぎりぎりと絞められ、女の力とはいえ息が苦しい。  それでも私は笑みを浮かべ続ける。 「えぇ、えぇ、そうよ! お前にはわからないわ! だってお前は美しいもの! いつまで経っても変わらない! いつまで経っても美しいまま!」  美しさが何だと言うのだろう。  どれだけ容姿が優れていようと、中身がこれでは無駄でしかない。  見目(みめ)が良いぶん、(かえ)って中身の醜悪(しゅうあく)さが浮き彫りになっていることに気付いていないのだろうか。 「男のくせに! お前に美しさなんて要らないの! どうせわたくしから奪ったのでしょう!? 返してちょうだい!」  そう、要らない。  好かれたい相手に効かないのなら、そんなもの持っていたって意味がない。  この見た目に釣られて寄ってくる者は()いて捨てるほどいるけれど、その中に肝心のあの子はいないのだから。  余計な者しか寄ってこないのなら、こんなもの、私だって()ててしまいたい。  そうこうしている間にも、じわじわと息苦しさが増していく。  中途半端に首を絞められるのも、案外苦しいものなのだな、と呑気(のんき)にも頭の片隅で思った。 「ねぇ、お前が奪ったの! わたくしから! お前はわたくしの言うことをきいていればいいの! さぁ、返しなさい!」  全身の血が脈打つ音が、心臓の鼓動が、耳元でうるさい程に響いている。  視界一面でちかちかと白黒の光が(またた)く。  これ以上首を絞められていれば、気を失ってしまいそうだ。  もはや女が何を(わめ)いているのかすら聞こえない。  あと少しで意識が暗転する、というところでようやく、突き飛ばされるように解放された。 「……っ、けほっ……」  一気に流れ込んできた空気にむせる。  息が圧迫されていた為か、がんがんと痛む頭。  よろめいて体勢を崩しそうになり、咄嗟(とっさ)に近くの(たく)(つか)まった。 「何処(どこ)ぞへ消えて! 顔も見たくないわ、早く出ていってちょうだい!」  女の金切り声が痛む頭に響く。  渦を巻く視界と狂った平衡(へいこう)感覚を切り離し、その他の感覚だけを頼りに立ち上がる。  幸いと言っていいかはわからないが、”翡翠の君”は規則的な動きしかしないため、普段通りに身体を動かせば問題ない。  礼を()り、部屋を、そして女に与えられている皇后の宮を後にした。  あの子に会いたいと、今日も想いを(つの)らせながら。
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