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二
「嗚呼、嫌、嫌!」
目の前で、きらきらしく着飾った女が喚き散らしている。
「これはもう駄目よ、もっと良い物を持って来てちょうだい!」
女は鏡台の上にある化粧道具を勢い良く払い落とす。
けたたましい音を立ててぶちまけられた化粧道具は割れ、溶かれた紅と白粉が床を紅白に染め上げる。
部屋の隅には、怯えきって震えている侍女たち。
呼んでいるというからわざわざここまで来たのに。
辿りついてみれば長時間待たされた挙げ句、涙目の侍女に案内された先にはこの惨状。
身支度の途中、化粧の具合が思わしくなくて癇癪を起こした、そんな所だろう。
ともすれば漏れそうになるため息をぐっと堪える。
「こんなのわたくしじゃないわ、わたくしはもっと美しいの。美しくなければいけないの……」
己に暗示をかけるように、鏡に向かってぶつぶつと呟く女。
ふと、鏡越しに目が合う。
「何を笑っているの、わたくしをかしら。何がおかしいの、わたくしがかしら!?」
くるりと振り返り向き合った女に詰め寄られる。
私が笑みを浮かべていたのが気に障ったらしい。
やはりこの女は、私のことなど見ていない。
見ていたならば、私がいつも笑みを浮かべていると気付くだろうに。
この、作り物の薄い笑みを。
「母上はいつもお美しいですよ」
心にもないことを嘯く。
教えられた人の言葉を囀るという鸚鵡のように。
それしか出来ないのが、”翡翠の君”という人形だから。
「お黙り! お前に何がわかるというの!」
激昂した女が掴みかかってくる。
首をぎりぎりと絞められ、女の力とはいえ息が苦しい。
それでも私は笑みを浮かべ続ける。
「えぇ、えぇ、そうよ! お前にはわからないわ! だってお前は美しいもの! いつまで経っても変わらない! いつまで経っても美しいまま!」
美しさが何だと言うのだろう。
どれだけ容姿が優れていようと、中身がこれでは無駄でしかない。
見目が良いぶん、却って中身の醜悪さが浮き彫りになっていることに気付いていないのだろうか。
「男のくせに! お前に美しさなんて要らないの! どうせわたくしから奪ったのでしょう!? 返してちょうだい!」
そう、要らない。
好かれたい相手に効かないのなら、そんなもの持っていたって意味がない。
この見た目に釣られて寄ってくる者は掃いて捨てるほどいるけれど、その中に肝心のあの子はいないのだから。
余計な者しか寄ってこないのなら、こんなもの、私だって棄ててしまいたい。
そうこうしている間にも、じわじわと息苦しさが増していく。
中途半端に首を絞められるのも、案外苦しいものなのだな、と呑気にも頭の片隅で思った。
「ねぇ、お前が奪ったの! わたくしから! お前はわたくしの言うことをきいていればいいの! さぁ、返しなさい!」
全身の血が脈打つ音が、心臓の鼓動が、耳元でうるさい程に響いている。
視界一面でちかちかと白黒の光が瞬く。
これ以上首を絞められていれば、気を失ってしまいそうだ。
もはや女が何を喚いているのかすら聞こえない。
あと少しで意識が暗転する、というところでようやく、突き飛ばされるように解放された。
「……っ、けほっ……」
一気に流れ込んできた空気にむせる。
息が圧迫されていた為か、がんがんと痛む頭。
よろめいて体勢を崩しそうになり、咄嗟に近くの卓に掴まった。
「何処ぞへ消えて! 顔も見たくないわ、早く出ていってちょうだい!」
女の金切り声が痛む頭に響く。
渦を巻く視界と狂った平衡感覚を切り離し、その他の感覚だけを頼りに立ち上がる。
幸いと言っていいかはわからないが、”翡翠の君”は規則的な動きしかしないため、普段通りに身体を動かせば問題ない。
礼を執り、部屋を、そして女に与えられている皇后の宮を後にした。
あの子に会いたいと、今日も想いを募らせながら。
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