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「君と結婚したいんだ」
彼は私の肩を両手のひらでガッシリと力強く掴み、真剣な眼差しでしっかりと私の目を見ながら告げた。
私はというと、好きで好きでたまらなかった彼にそんなことを言われたものだから、体は発火しそうなほど熱が高まり、熱でボーっとする頭にはドクンドクンと心臓の音が鳴り響いていた。
それでも彼に答える為、喜びと緊張で小刻みに震える体に精一杯力を込めて彼に抱きつこうと腕を伸ばす。
だが力は入らず腕はうまく動いてくれない。腕がいつもより重く感じる。
プロポーズされると女ってこんな風になっちゃうのね。
心の中で冷静に分析しながらもモタモタと思うように動かない腕に焦りだす。
返事!そうよ、早く返事しなくちゃ!
私は大きく口を開けた。
彼にこの頭から足の先までビリビリと電流が駆け抜けて体がジンワリと痺れてくるほどの感激を伝える為、フワフワと天にも昇りそうなほどの幸せを伝える為に。
大きく開いた口を大きく動かして
『愛してる!貴女が愛しくてたまらない!結婚しますっっ!』
そう言おうとしたのになぜか腕と同じく口が思うように動かない。
力一杯口を動かしているのにまるでスロー再生されているかのようだ。
声を出そうと必死に口を動かすが声は出ず、パクパクと口だけを必死に動かし出ない声で何かを訴えてもがく。
そんな私の形相を目の当たりにしている彼はドン引きしているのかもしれない。
今の私の瞳は血眼で、顔からは汗があぶりでているような気がしてならない。
嫌な予感がぬぐえない。
あぁ、これできっと愛想つかされる。
そう感じた時、彼との数々の想い出が走馬灯のようにかけぬけていった。
貴方だけを十年以上も想い続けてきたけれど、さすがにプロポーズされただけでこんなに取り乱す女、いくら仏様のように優しく心が広い彼でも嫌だろう。
幻滅された。嫌われたかもしれない。
どうすればいいかわからず目から涙が滲みはじめる。
その時スッと私の目尻は暖かい何かに触れられる。
彼の手だ。大好きな大きくて暖かい手
その手が優しく涙を拭いながら包み込んでいる
私は正気にかえったようにハッとして彼の目を見た。
いつもと変わらぬ優しい眼差しがこちらを見つめながら微笑んでいる。
いや、微笑んでいた口元は少しずつ歪み、「ぶふっ!クックック」ともうこらえきれないとばかりに笑いだしたのだ。
突然の出来事についていけずあっけにとられていると彼は
「ふふっ。ごめんごめん、あまりに面白くてさ。君の百面相が(笑)」
などと言いながらまだ笑っている。
私もなんだか馬鹿馬鹿しくなってきて、楽しそうに私を見ながら笑っている彼に嬉しくなってきて、一緒に笑いだす。
あぁこれだ。この大好きな感覚。彼と一緒になんでもない日常を過ごす時に感じる幸せな気持ち。
今なら伝えられそうだ。これからもずっと貴方とこの幸せな日常を過ごす為に。
もう震えは止まっていた。
「結婚、します!こんな私ですが、どうぞ宜しくお願いします!」
言えた!そして、今こそ彼の胸の中に飛び込もうとしたその時、全身の力が抜けてフワフワと体が宙に浮いているような錯覚に陥る。
えっ?何これ?
背中から今まで感じたことのない気配を感じる
ブワァサァっっっ!
私の背後から凄まじい音がした。驚いて後ろを振り返る。
沢山の羽が目に映った。
背中から翼が生えていたのだ。
それはそれは大きな翼であった。
美しい真っ白な純白の翼、それはまるで幼い頃から憧れたウェディングドレスのようだった。
その純白の翼をまといて、私は、飛び立ったのだ。
愛しい彼が凄い目で、羽を撒き散らしながら羽ばたく私のことを凝視している。
それでも、私は飛んだ
「うぅ、う~ん」
うっすら目を開ける。回りは暗くてテレビの画面だけが光っていた。
私はボーっとする頭を働かせながら辺りを見回す。
あれ?彼はどこ?
おかしなことに彼の姿が何処にも見当たらない。今だ現状が理解できず、ただその場にたたずむことしかできない。
しばらく呆けているとテレビの音が耳に入ってきた。
目を向けると画面には彼の映像が映し出されていた。
『いやぁ~本当にびっくりしましたね!まさか俳優の○○○○さんが結婚するなんて!突然過ぎますよー。週刊誌にも撮られてないですし。ま・さ・に、電撃結婚!本当におめでとうございます!」
テレビのアナウンサーの声が響く。
私はまだ呆然としたまま、思い出してはいけない記憶の扉を開いてしまう。
そうだった。私は家に帰宅後、夕方のニュース速報で私の大好きな○○○○さんが電撃結婚した事を知ったのだ。
ファンになって今年で十七年目だった。
親に言ったら芸能人が結婚したくらいで落ち込むなんてアホか!とののしられそうだが、私にとっては現実の失恋と同じくらい、もしかしたらそれ以上の悲しみなのだ。
あまりの喪失感にギャグ漫画のような涙が滝のように目から流れ出る。
そうして絶望しているうちに疲れ果て眠ってしまったらしい。
あぁ、思い出したくないことを思い出してしまった。
真っ暗な部屋でテレビの光に照らされながら、涙をボタボタと垂れ流している山姥のようにボサボサの頭の女が鏡に写った。
私だった。
とにかく全ての現実から逃避する為に
よし、とりあえず酒を飲もう。
今日は、いや今日からしばらくは失恋のショックの為眠れそうにない。
推しが結婚した日
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