危険な女

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危険な女

 その女性が俺にアクセスしてきた時から、感じていたんだ。  こいつはヤバいって。こういうタイプの女は、有害でしかないって。    少なくとも、俺にとってはな。  待ち合わせのホテルのロビーに現れたその女性(ひと)は、どこにでもいる冴えないサラリーマン風のスーツと眼鏡姿の俺のことを、さも昔から知っているかのように一発で見つけ出した。 「ライオネル・フィッシャーさんですよね。初めまして。ご連絡させていただいたアリーシャ・ペレスです」  そう言って、鮮やかな笑みを浮かべて手を差し出した。 「よくわかりましたね」 「素敵な男性だなと思って声をかけただけですわ」  恐らく俺のことを色々調べ上げているのだろうな。警戒しつつも彼女に従ってエレベーターへ移動する。 「ここではなんですから。お部屋をとってありますので」  この女は全て計算しているようだ。どんな角度で微笑み、どんな角度で首を傾げ、どんな角度で男性(あいて)を見つめれば、己の魅力が最大限に生かされるかということを。  そして、透き通るように美しいブロンドの髪をかき上げると、ふわりと妖艶な香りがエレベーター内をいっぱいにした。 「ご依頼したいことについて、単刀直入に申し上げますわ。くれぐれも内密にしていただきたいのですが……我が社は、A社に敵対的買収をかける予定です。つきまして、それに関する手続きを個人投資家であるあなたに代行していただきたいのです」 「なぜわざわざ俺に? お宅の企業にはいくらでもそんな人材がいるだろう? あるいはお抱え証券会社に頼めば済む話だろう」 「資金の提供は確約します。もちろん手数料ははずみますよ」 「答えになってないぜ」 「……あなたが適任だから……でしょ」 「社長秘書のあなたが直接こんなことを依頼してくるのもおかしな話だ」 「それは、社長直々に秘密裏に行って欲しいとの依頼でしたので。なんでも、今回の企業は社長にとって個人的に思い入れのある会社だとか」 「やっぱり俺は断らせてもらうぜ。どうもきな臭い。俺はこう見えて用心深いんでね」 「そうですか」  立ち上がった俺の行く手を塞ぐように、女がいきなり抱きついてきた。やわらかい肢体に反射的に欲情しかける。    そうなるよな。  この女、最初から手段を決めてきているのはわかっていた。いわゆる色仕掛けだ。  俺は無表情のまま女を見下ろす。こういうタイプの女はプライドが高いからな。俺がなびかないとなれば、そのうちヒステリーを起こすだろうな。  その魅力で多くの男を蟲惑してきたような女は、それでも己の欲望を満たしきれていないのだろうか。なんとなく哀れの気持ちが湧いて、女を見つめる瞳が柔らかくなってしまったかもしれない。  だが、このチャンスを逃すことはできない。俺はスラックスの後ろポケットに手を這わせた。 「ふふふ」  その時、女の右手が俺のスーツの左ポケットから、車の(キー)を取り出した。  そして、鮮やかに笑いながら、自らの胸の谷間に落とし込んだ。 「さあ、鍵を取りに来て」  俺の左手を掴むとそのままベッドへと誘う。  本来なら、この右手を引き抜いて、銃口向けるだけ。  簡単なことさ。それで依頼は The End。    内部機密を持ち出した秘書を始末してくれたら一億。破格の値段には、それなりの理由があるはずだ。この女を始末しなければ、俺も共に追われる身になることは明らかだ。  なのに……なぜか俺はそれができなかった。  目の前の獲物が魅力的過ぎるからか。抱かずに殺すのが惜しいと思ったのか?  違うな。そんなんじゃない。  俺にとって、こいつは危険な女。己の腕一本で生き抜いてきた殺し屋(おれ)にとって、同族意識を感じて反吐がでそうなくらい反発していても、どうしても突き放せない何かを感じてしまうんだ。  多分、これは滅びへの道。  でも、もうどうでもいいか……  女の挑発的な顔から、急に笑みが消えた。これが、本来のこの女性の顔なのだろう。泣きそうな、でも己を鼓舞し続けるような決意の籠った瞳。    俺は嚙みつくようなキスをした。  ピクリと反応したアリーシャと名乗る女も、むさぼるように返してくる。  飢えた愛を求めるように、何度も何度も互いを攻め合った。  何度も絡め合って快楽を極めた後、横で眠る女の顔を改めて見つめた。  涙の残る頬を撫でて柔らかな髪に指を絡ませる。  それでも起きないほどに、幸せそうな顔をしていた。  今まで恐らく、望まぬ男に抱かれ続けてきたのだろう。手段のために。  自分の家族を陥れたやつらへの復讐のためだけに生きてきたような女。  家族のことなんか捨てて、己の幸せに生きれば良かっただろうに。  復讐をせずにはいられなかった哀れな心に、俺はどうしようもないシンパシーを感じてしまった。  俺がこの仕事(殺し屋)になったのは、別に家族のためなんかじゃない。生きるために、これしか道が用意されていなかっただけさ。  物心ついたときには、家族はいなかった。 「ねえ、あなたの本当の名前は何て言うの?」  いつの間にか目を覚ました女がそう聞いてきた。 「俺の本当の名前、そんなものはない。俺を拾った人は俺のことをブレイド()って呼んでいた」 「そう……」 「そういうお前は?」 「ルミリア……光の絆って意味よ。笑えるわよね。おかげで日陰の人生よ」 「さらに暗闇を歩く覚悟はあるか?」  ルミリアはふっと大胆な笑みを浮かべた。 「それは私の言うセリフよ。社長(黒幕)を殺して。金は倍払うわよ」  そういって、二本の指をたてた。            fin
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