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時間がもったいないから恋をしよう!
「時は金なりって言うでしょ。だからさっさと仕事終わらせて飲み行くわよー」
大きな声ではっぱをかけているのは、隣のシマの東雲愛主任。
美人でメリハリボディの持ち主だけれど、私生活は謎。でも飲みに行くのが好きで、暇な若手を誘っては、毎日のように飲み歩いていると言う噂だ。
仕事は厳しいけれど、責任は全部取ると豪語してくれるから、本当にカッコイイ女性だと思う。
そんな隣の美人主任をこそっと見ながら、今日もモチベアップしているのが、俺、宅間優。入社四年目だけれど、まだまだ一人前には程遠くて、何よりこの大人しい性格のせいで、NOが言えない。うちの主任は東雲主任と違って、仕事は下に丸投げ。課長のご機嫌伺いに精出している感じだ。
お陰で俺の机は仕事が山積み状態。今日も残業確定だ。
そんなことをしている間にも、隣のシマは一区切りつけたようで、みんな帰り支度を始めているようだ。羨ましい。
「お先に」
「御疲れ様です」
口々に言いながら帰っていく人たちの背中を見送りながら、俺は思わず伸びをした。もう同じフロアには、他に三人しかいない。
今日も終電かな。
「宅間君、まだ終わらないの?」
「あ、東雲主任。お疲れ様です!」
「沢田主任と金山君は?」
「今日は出先から直帰です」
「なら、あなたも帰ったら」
「そうしたいんですけれど、明日のプレゼンの資料作りがまだで」
「宅間君さあ、なんでもかんでも引き受け過ぎだよ」
「いえそんな、要領が悪いだけです」
「……資料作り、どこまでできているの?」
「あ、後コピーしてホチキス止めするだけですから」
「何部?」
「百部です」
「……よし! 手伝ってあげる」
「でも……」
「別に、ホチキス止めくらい手伝っても問題ないでしょ。人海戦術よ」
「さあ、時間は無限にあるわけじゃ無いんだからね。さっさとやっつけちゃうわよ!」
「あ、ありがとうございます!」
東雲主任が女神に見えた!
それに……二人だけで作業をするって、俺にとってはドキドキの状況で、単純作業で良かったと思った。頭を使うような仕事だったら……ポンコツ確定だったかも。
それくらい俺は舞い上がってしまった。
「どうしたの? 宅間君、顔赤いけれど、熱でもでてきちゃった? あなた頑張り過ぎだよ。いつもさ、あのいい加減な沢田君の下で良くやっているなって思っていたんだよ」
フロアに人がほとんどいないからか、東雲さんが大胆発言をしている。
同期の悪口ともとれることを言っちゃって大丈夫なのかな。
「たまにはできませんって、ちゃんと言いなよ」
「ありがとうございます。すみません、心配おかけして」
「別に、いつも一生懸命やっているなと思っていたからね」
「え?」
自分の仕事だけでも大変だろうに、俺なんかのことまで気にしてくれていたんだ。
東雲さんって、本当に優しい女性だ……
「終わりました! ありがとうございます」
深々と頭を下げた俺の肩を、東雲さんがポンと励ますように叩いてくれた。
「じゃ、帰れそう?」
「はい、後は机の資料を片付けて俺も帰りますので、東雲さん、お疲れ様でした」
「ねえ、一緒に帰ろうか」
「へ!」
俺は驚いて変な声をあげてしまった。
も、もしかして、飲みに誘ってもらえたのかな?
「よ、よろしいんですか!」
「よし、そうと決まれば、さっさと片づけてきて」
「は、はい!」
二人で会社を出て駅へ向かって歩く。街の光の中、二人で肩を並べて歩けば、東雲さんは思ったより背が高くないと気づく。俺の肩より少し頭の先が出るくらいだ。
それなのに、普段は物凄くエネルギッシュ。
実はうちの会社は、まだまだ男女平等が進んでいなくて、東雲さんはその先駆けとして突っ走ってきた女性の一人だ。女性管理職、少ないんだよな。
きっとたくさんの偏見と闘ってきたんだと思う。
そんな苦労を軽々と超越したような、飄々とした雰囲気だけれど、本当は東雲さんこそ、無理をして頑張ってきた女性なんだろうな。
俺は改めて尊敬の念を抱いた。
「ねえ、寄り道してく?」
「はい!」
そう言った東雲さん、居酒屋にでも行くのかと思えばおもむろにコンビニに入っていく。一体何をしようと言うのか?
缶チューハイを二本とつまみを買うと、そのまま近くの公園へと俺を誘った。
夏の夜の公園。街灯の真下のベンチにトンと座ると、「はい!」っと俺に缶チューハイを渡してくれる。プシュっとタブを開ければ泡が溢れた。
「あ、しまった。振っちゃった」
てへぺろッという感じで舌を出した東雲さんは、年上とは思えないかわいらしさ。
俺のドキドキはMaxになる。
「急にごめんね。でも……宅間君見ていたら、どうしても伝えたくなっちゃって。頑張り過ぎないようにねって」
心配そうな顔で言ってくれた。
「そんなに、俺テンパっているように見えますか?」
「ううん、見えない。だからだよ。じっと忍耐強く頑張っているから。だからどこかで発散したほうがいいよって。我慢してると癖になってしまって、我慢の逃し方が分からなくなっちゃうからね」
「そうですね。我慢の逃し方か……」
「なんか、趣味とかないの? そういうの思いっきりやった方がいいよ」
「趣味……ドライブが趣味なんですけれど、一緒に行ってくれる人いないからな」
「……」
急に静かになった東雲さん。どうしたんだろうと思って振り向くと、チューハイを一気飲みして真っ赤な顔している。あれ? 酒豪っていう噂は?
「あ、あの……い、一緒に行く人がいないって、本当なの?」
「はい」
「そ、それはつまり、か、彼女はいないってこと」
「はい」
「……よしっ」
「?」
彼女の小さな呟きを、聞き間違えかなと思いながら振り返れば、東雲さんもこちらを向いていて、視線が鉢合わせする。
「宅間君!」
「はい!」
「時間がもったいない。だから若いうちにどんどんドライブに行こう!」
「はい?」
「おばんさんと一緒じゃ嫌かもしれないけれど」
「おばさんって誰ですか?」
「……」
東雲さんは人差し指で自分を差していた。
俺は天地がひっくり変えるほどの衝撃を受ける。
東雲さんが俺とドライブに行ってくれるなんて!
「東雲さんはおばさんなんかじゃないです。素敵な大人の女性です!」
思わず勢い込んで本音を言えば、ますます真っ赤になっている。
「三十路過ぎたおばさんだよ……」
「年齢は関係ないですよ。俺が若いっていったら若いんです!」
「ぷふっ」
東雲さんが急に笑い出した。
俺変なこと言ったかな?
「それくらい、仕事でも言えるようになるといいね」
「あ……」
「でも、物凄く嬉しかった」
ずいっと近づいた東雲さんの顔。潤んで赤くなった目元が色っぽい。
「お酒、本当は弱いんじゃないですか?」
「毎晩飲み歩いているっていうのは事実じゃ無い。単なる噂。でも、お酒が強いのは……本当だよ。だから酔ってなんかいないからね」
艶やかな唇は、レモンサワーの味がした。
宅間優二十六歳。
今夜五つ年上の彼女ができました。
fin
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