朝を拒む

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 朝方、目が醒める。見飽きた天井が視界いっぱいに広がって、思わずため息が漏れる。  また今日も、生きている。  上半身を重力に逆らって起こす。全身に渦巻く疲労と倦怠感が煩わしい。いくら生を拒んだとて、目が醒めてしまうのは何故だろうか。  始まりは一ヶ月前、昼休み、学校の屋上。  教師がたまたま鍵を閉め忘れていたらしい。親友から、屋上に入れるから来てみろと電話があった。  お前に見てほしいものがある、なんて言って、あいつは有無を言わせず電話を切った。  身勝手なやつだ。いつもそうだった。けれど、そんなあいつの生き様に惹かれていた。傍若無人で弁えないやつだけど、優柔不断な僕の手をいつも引いてくれたのは、あいつだったんだ。  屋上に着くと、曇天の空の下で親友が座っていた。だらしない姿勢でコンクリートに尻をつけていたそいつは、扉の開く音を聞くなり振り向き、僕を見てわらった。  その笑顔がいつもと違って見えた。でも多分 気のせいだ。 「よー。待ってたぜ」 「なんなんだよ急に」 「こういう時じゃないと入れないだろ。ここ」  にい、といたずらっぽく笑う表情はいつもの彼だ。また何か企んでいるな、こいつ。  彼は僕の方に歩いてきて、こっちこっち、と腕を引く。そのままどんどん端の方へ向かっていくので、何かがおかしいと思って掴まれていた腕を払った。 「おい、そっち柵だぞ。行き過ぎだろ」 「ンなことねーよ。ここが目的地」 「はぁ?」  いつの間にか親友は笑うのをやめていた。柄にもなく表情がない。猛烈に嫌な予感がする。 「どういうことだよ」 「俺さあ、めんどくさくなっちゃったんだ」  吹き付けてきた風が冷たい。寒気がしたのは風のせいだろう。そう思い込みたかった。だから、何が、とは聞けなかった。 「なんだろうなぁ。別にこれが嫌、ってワケじゃないんだけど。俺、ほんとはさ。こんな性格じゃなかったんだよ」 「おい、」 「もともと引っ込み思案でさあ、小学校の頃はいじめられてたんだ。で、中学からは明るい方がいいと思って、こういうキャラにして。でも高校じゃこういうのウケないのかなあ。聞いちゃったんだよね、陰口」 「おまえ、」 「俺どうすりゃいいのかわかんなくなっちゃって。嫌われないようにキャラ作ったのに、結局嫌われてる。けど今更変えるのもむずいしさ、もうどーでもいいかなって」  ぽつぽつと語られていくのは、僕の知らない親友の本性。人目を気にせず自由に生きる性格は、人目を掻い潜るための被り物だったと? じゃあ僕の信じてきた友人は、僕の手を引いてきた彼は、一体なんだったのだろう。  突然のことで僕の心には余裕がなかった。だからだろう、唐突に怒りが込み上げてきたのは。 「騙してたのか」 「え?」 「騙してたのかよ! 僕のこと!」 「そんなつもりじゃ……」 「そういうことだろ! 友達だとか言っといて、僕にもずっとほんとの顔見せなかった! 信じてたのに、なんなんだよいきなり、キャラ作ってたってさぁ!」  自分でも理解ができない感情に流されるまま、言葉のナイフを突き立てる。もっと早くこいつの本質に気づいてやれなかったのは僕の責任だ。無意識のうちに彼を追い詰めていたのはきっと僕も同じだ。けれど認めたくなくて、全てを目の前の親友だったものになすりつけた。 「……お前のこと、友達だと思ってたから、お前だけ呼んだんだけどなあ」  ぽつり、と。僕の怒声の裏に呟かれた小さな声が、嫌というほど大きく響いた。口を閉じた時にはもう遅かった。  視線がかち合う。彼の目はただ虚に見えた。 「ごめんな。俺のせいだよ」 「まっ……ちが、」 「いいんだ。元から死ぬつもりだったしさ。……でも、な」  彼が柵を乗り越えるのを、ただ見ているだけで。僕の身体は動かなかった。 「ちょっとだけ。止めてくれるかなって、思っちまったんだ」  それだけ言って、彼は雲の海に身を投げた。僕を見据えたまま、背中から落ちていく。視界から彼が消える。  状況を理解するよりも先に、物々しい破裂音が耳に届いた。  あれからというもの、学校には通えていない。親や担任に心配されているけれど、どうしても行く気になれない。もっと正しくいえば、生きること自体が嫌になっていた。  もともと僕は明るくない。将来への展望もないし、これといった趣味も特技もない。それでも今までは、少しだけ楽しかった。あいつが引っ張ってくれていたときは、結構楽しくやれていたんだ。  思っていたよりも、僕が彼に依存していたことを知った。挙句僕が彼を殺した。彼は自殺だ。けれど決断をさせたのは僕だ。  あの時僕が彼を止めていたら? 僕が本当の彼を受け入れていたら? 彼を否定しなかったら?  結末はきっと違ったのだろう。  けれど現実はどうだ。何故、何故、何故! 何故僕はあの時彼を責めたんだ! 責められるべきは彼だったのか? 違う! 彼の優しさに甘えるだけで、彼を助けようとしなかったのはどこのどいつだ!  あの時目を背けた自責の念が、今になって僕を突き刺してくる。もういっそ死んでしまいたい。けれど僕には、彼のように自らを殺すほどの勇気もないのだ。それで結局、惰眠を貪って生きている。  瞼を閉じたまま、明日がやってこないなら。  暗闇の中に永遠に閉じ込められたなら。  そうだったらどれほどよかっただろう。  これが最後のおやすみなさいでありますように。  そんなふざけた願いをほざいて、僕は今日もまた、眠りに落ちる。
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