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光が射し込む窓辺に、小鳥が集まり囀っている。それを聞きながら、莉衣は体を伸ばし、大きくあくびをした。
追加の依頼――ロベルトからの「お願い」のために、クルスと莉衣もミアたちとは別の宿屋で一泊した。おばあさんが待つ、あの家に帰らなくて大丈夫なのかと心配になったが、クルスは特に気にする様子はない。こういうことはよくあるのか、慣れているのかもしれない。
顔を洗っていたクルスが、タオルを首にかけながら莉衣の顔を覗き込む。
「チビ、調子はどうだ?」
「……ゥ、グゥ……」
「お、おい、大丈夫か? 変な声出して……どっか苦しいのか?」
「ふきゃん!」
「お……なんだ……? 元気……か? ならいいけど」
こっちの気も知らないで――莉衣は精一杯元気に鳴いた。
年頃の女子が、同じく年頃の男性と一晩共に過ごす意味をわかってもらいたい。クルスからすれば、女子と言ってもただの仔犬だ。抱き上げて一緒のベッドに眠るのに何の抵抗もないだろう。
(でもこっちは緊張しまくりだっての……!)
心臓が爆発しそうなのでベッドの下に潜り込んで眠ったけれど――当然ではあるが、犬扱いでしかないのが妙に腹立たしい。
「さて……気は進まねぇが、ロベルトの話聞きに行くか……」
ああ、嫌だ……そんな心の声が聞こえてくるようだった。
それに反して、莉衣の尻尾はふりふり揺れる。自分の意思ではなく、無意識に。脳裏に浮かぶのはミアの顔。不思議と、彼女に会えるのが嬉しいと感じるのだ。どうしてだろう――とてもいい匂いがするからだろうか。犬の嗅覚でしかわからない何かがあるような気がした。
足取りの重いクルスの後を、莉衣は軽やかについていった。
ミアとロベルトが泊まっている宿屋は、クルスたちの宿屋から五分ほどの場所。その隣にレストランがある。わいわいと賑わいを見せる中を進むと、隅の方でロベルトが座っているのが見えた。ミアの姿はないようで、クルスがホッとしたような表情をしたのを、莉衣は見逃さなかった。
「おはようございます、クルス殿」
「ああ……」
「お嬢様はまだ眠ってますよ。昨夜遅くまで作業してましたから」
「……あっそ」
ロベルトも見逃さなかったらしい。にこりと微笑まれ、クルスは居心地悪そうに目を逸した。
それにしても、作業とは何の作業だろう。莉衣は首を傾げる。
「さて、何か食べますか?」
「そうだな……」
モーニングと、莉衣にはシリアルを頼み、クルスは改めてロベルトに向き合った。妙な緊張感が漂い、莉衣も何となく居直す。
「まず最初に確認しておきたいのですが……クルス殿はお嬢様が唱刻師であること、なぜ気づいたのです?」
「なぜって……そりゃ、宝環具もなしに精霊石使ったろ。しかも虹虫……緋猿みたいに人間好きなら応えてくれることもあるだろうが、虹虫はほぼ対話が不可能と言われている。だが、あいつは命令もせず簡単に虹玉を扱いやがった。唱刻師でも、虹虫と通わせられるやつはそういないってのに」
「……ええ。お嬢様にとって、精霊との対話は幼い頃から当たり前のようにしてきたこと。私は精霊と繋がる感覚が苦手なので、精霊石を使うことはほとんどありませんが……人々に精霊石は必要不可欠。その精霊石を作れるのは唱刻師だけ……あくどい連中に狙われやすいのです」
注意深く聞いていた莉衣は、ほうと息を吐いた。何とか理解しようと頭を働かせるが、すでにいっぱいいっぱいだ。だが、なるほど。納得はできた。
あの赤や虹色の石は、精霊石と呼ばれているらしい。それを作れるのが、唱刻師であるミア。遅くまで作業していた、というのは精霊石を作っていたということだろう。話の流れ的に、緋猿や虹虫とは、おそらく精霊の名前だ。莉衣は噛みしめるように、頭の中で繰り返し、整理する。
「お待たせしましたー」
料理が運ばれてきた。少しだけ、空気が変わる。皿に入ったシリアルは、ナッツやフルーツが混ざっていて美味しそうだ。犬のように食べるのに慣れてきた莉衣は、はぐはぐと口に含む。
「……緊急事態でしたから、虹玉を使ったのは仕方ありません……。ですが、クルス殿……貴方はその前からお嬢様が唱刻師だと気づいていた……そうですよね?」
「……ま、そうだな。気づいてたってか、その可能性があると思ったくらいだ」
「それはなぜ?」
「巡礼は金持ちの道楽って言ったろ。遺跡への護衛の依頼がわりと多いんだよ。その中には、身なりは整えて綺麗だが、実際は手持ちの金さえも尽きかけてる奴らも多い。事業に失敗しただの、騙されただの、理由は色々だろうが」
「……精霊頼み、ですか」
「ああ。意味なんてないがな……それでも藁にも縋るってやつだろ。そんな連中はだいたいわかる。それしかないって顔をして、他人任せな目で遺跡に赴くからな。けどあいつは……ミアの目は確かな意志があった。行かなければならない……同じ言葉を放っても、意味が全然違った」
ロベルトがふと表情を和らげた。そうですか、と頷く声が優しい。
「やはり、貴方は信頼ができます」
「いらねーよ、そんなん」
「まあまあ、そう言わずに。クルス殿の言うように、巡礼はウソです。本当の目的……それは精霊たちとの契約のために遺跡を巡っています。当然、精霊石を作るためです。次の遺跡への護衛……お願いできますか?」
「他を当たってくれ」
「お金ならいくらでも」
ドン――テーブルの上に出されたアタッシュケース。まさか、それにお金が詰まっているのだろうか。あんなの、ドラマでしか見たことない。莉衣は驚きで目を丸くさせた。クルスも何とも言えない顔をしている。
「いくら何でも、簡単に出す金額じゃねぇだろ……」
「お嬢様が色々とご迷惑おかけすると思いますから、その分上乗せを。私は他にやることがありますので、お嬢様のこと、よろしくお願いします」
「……はあ!?」
クルスが素っ頓狂な声を上げた。その間も、ロベルトはちゃちゃっと手荷物をまとめている。
「ちょっと待て! よろしくって何だ! 主を置いてあんたはどこ行くつもりだよ!」
「野暮用……ですかね。私はすぐ出発しますので、お嬢様によろしくお伝えください」
何だそれは――と、クルスは突然のことに理解が追いつかないようで、口をぱくぱくさせている。
「あ、それとひとつ。ミアお嬢様は、子どもが嫌いだと口にはしますが……本当はそんなことありません。お優しい人ですから」
クルスの眉がぴくりとつり上がる。
ロベルトは微笑むと、では、と丁寧に頭を下げ身を翻した。
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