傭兵とお嬢様

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 重い空気のまま、山道を歩いている。街を出て約二時間――ただ黙々と進んでいる。声をかけたくとも、言葉を発することができない莉衣にはどうしようもなかった。ケガのせいで自由に動くこともできない。  山道は先ほどとは違い、莉衣がよく知る風景と変わらなかった。見たことないカラフルな小鳥や、ちょろちょろ動き回る耳と尻尾が異様に長い小動物はいるが。記憶がなくとも、知らないということはわかる。その感覚が少し不思議だった。  莉衣はクルスを見上げた。顔色を変えず、莉衣を抱く腕は優しく。真っ直ぐに進んでいる。その後ろにミアが続き、ロベルトは後方に気を配っていた。ミアには明らかに疲労の色が見える。長いこと山道を登っているのだ。当然だろう。背中に大剣を背負ったロベルトが、心配そうにミアに声をかけた。 「お嬢様、少し休まれますか?」 「だ、大丈夫よ。このくらい……!」  誰が見ても強がりであるとわかる。ちらり、クルスがミアに目を向けた。 「疲れたなら言え。休憩する場所を探す」 「……! だ、大丈夫って言ったでしょ。休んでるヒマなんてないんだから……」 「お嬢様にはこの程度の山道も過酷なようで。倒れて周りに迷惑かけることも厭わないのなら、このまま進みますけど?」 「あなたって、本当に意地が悪いのね!」 「く、クルス殿。休息を取りましょう。私も少々疲れましたので」  疲れた、なんて嘘だろう。息ひとつ乱れていない。従者ってのは面倒だな、と呟いたクルスは、辺りを見渡した。莉衣をそっと地に下ろし、短剣を手に横道に入っていく。茂る草木を掻き分け、切り落とし、踏みならして進んでいく。  開けた空間が見えた。土は平らに、緑は空間を避けるように。ぽっかり穴が空いているようだ。自然にできたとは思えないが……。 「クルス殿、これは……」 「山の主の憩いの場、ってとこか」 「……それ、大丈夫なんですか?」 「ああ。今の時期は食料が豊富な向こうの山にいるからな。人が立入って怒り狂うようなヤツじゃないし、問題はない」  そうですか、とロベルトはホッと安堵の息を吐いた。騎士のようにミアの手を取り、中へと踏み入れる。莉衣もゆっくりと後に続いた。 「クルス殿。あとどのくらいで到着できそうですか?」 「このペースじゃ、夜になるかもな」 「そうですか……」  クルスとロベルトが今後について話をしている。  少しだけ二人を見つめ、莉衣は端の方でじっと座っているミアに視線を向けた。顔色がよくない。心配になって、そっと近づいた。 「……あら、どうしたの?」  ミアは微笑んだ。 「……くぅん」 「もしかして、心配してくれてる?」 「ふきゅ」 「あなたは優しいのね。あなたのご主人はあんなに意地悪なのに」  ご主人ではないけれど――莉衣はさらにミアに歩み寄った。不思議と、落ち着くような気がした。温かいニオイがする。優しく撫でてくれる細い指が心地よくて、するりと擦り寄った。くすぐったそうに笑うミアは、とても魅力的だ。きっと、こちらが本当の顔なのだろう。怒っているようにずっと眉をつり上げ、ぴりぴりしているのは勿体ない。そんな思いを込めて、鼻先をミアに押しつける。 「ふふっ、なに? どうしたの?」  くすくすと、ミアは笑った。その方がいい。クルスもあんなに穏やかに笑えるのだ。きっと、仲良くできるはず。 「お嬢様、よろしいでしょうか」 「ロベルト」  ロベルトが声をかけると、ミアは立ち上がった。 「今日はここで一晩過ごし、明朝出発することになりました」 「……え? な、なんでよ! 私なら大丈夫よ!」 「このままでは夜になってしまいますから……移動はより危険になります」 「でも……!」 「お嬢様」 「……わかったわよ」  渋々、ミアは頷いた。  莉衣は周りを見回し、ふんふんと鼻を鳴らす。クルスの姿がない。捜していることを察したのか、ロベルトが膝をついた。 「クルス殿は焚き火ようの枝を探してくるそうです。あなたのことは、私が任されました。何かあるようでしたら遠慮なく言ってください」 「ロベルト、ブラックドッグの言葉わかるの?」 「いいえ」 「あ、そう……」  ロベルトは意外に冗談好きなのだろうか。莉衣の体から力が抜け、その場にへたり込んだ。自分で思っていたより緊張していたらしい。ミアとロベルトの会話を聞きながら、目を瞑った。 (クルス、早く帰ってこないかな――)  眠気に襲われて、莉衣は意識を手放した。 *****  ふ、と目を開ける。顔を上げ、耳を澄ます。気持ちのいいそよ風と、心が落ち着く焚き火の音。見上げれば、濃紺の空と、瞬く星々。そして、大きな月――それは、知っているものとは違っていた。太陽よりも大きな白い月。ミアの髪色に似ていた。そして、その月に寄り添うように、もう一つの小さな赤い月があった。鮮血のような赤いそれは、禍々しくもあり、神聖さを感じさせるようでもあった。  あんなの知らない――莉衣は空を見上げたまま呆けた。空に月はふたつもなかった。あんなに大きくなかった。真っ赤な月などなかった。  ドクン、と心臓が波打つ。 「起きたのか」  優しい声が降ってきた。クルスの空色の瞳が月明かりに照らされ、きらきらと煌いて見えた。 「お前、何も食ってないからな。腹減ってるだろ。何でか回復が早いみたいだし、りんご、すりおろしたもんなら食えるか?」  差し出されのは、小さなカップ。甘い匂いに、急にお腹が空いてきて、莉衣はゆっくりと舌を伸ばした。恥ずかしいのも、もう今さらだ。甘酸っぱい味が広がり、じんと心が締めつけられる。涙が出そうなほど美味しかった。けれど――知っている味とは少し違った。このりんごは、複雑な味がする。他の果物が混じったような、美味しいけれど奇妙な味。 「うまいか?」 「……きゃふ」 「お前、変な鳴き方するよなぁ」  ハハッ、とクルスはおかしそうに笑った。それが、なぜだか嬉しくて。莉衣も笑った。犬だから、笑えているのかわからないけれど。  お話してみたい――そんな思いが込み上げてくる。  わたしは人間なんだよ――そう言えたらいいのに。 「お……流れ星。チビ、見えたか?」 「……きゅ」  わたしの名前は莉衣――伝えられたらいいのに。  願い星。叶えてくれるだろうか。  夜空の輝きは、ただ美しく瞬いていた。
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