傭兵とお嬢様

6/7
前へ
/7ページ
次へ
 山の主である巨大な猪を包んでいた炎が鎮まると、辺りも落ち着きを取り戻したようだった。鳥たちが戻り、小さな獣たちもこちらの様子をじっと伺っている。 「はぁ……ふたつも使っちゃった……」  大きなため息を吐きながら、ミアはその場にへたり込んだ。  ふたつも――とは、虹色の石と、クルスの短剣の鍔に嵌め込んだ赤い石のことだろうか。木が生えたり、炎が巻き起こったり。あれは一体何なのだろう。訊ねるための言葉を持たない莉衣は、くぅとただ小さく鳴いた。 「お嬢様、おケガは」 「私は大丈夫……。それより、早く戻りましょう」 「お嬢様……」 「私がやらなきゃいけないことだから……ね」 「…………」  相変わらず、ミアの顔色は悪かった。強い意志でここまで来たのに、そんなに長い時間居たわけではない。目的がわからなかった。クルスが巡礼と言っていたけれど……それは無理をしてまで、しなければならないものなのだろうか。  莉衣は視線をミアからクルスに移す。クルスは、じっと猪を見つめていた。山の主であるあの猪のことを、クルスはよく知っているのだろう。悲しみのようなものが伝わってきた気がして、莉衣はそっと足元に寄り添った。 「クルス殿」 「ん、ああ……戻るのか」 「ええ……慌ただしくて申し訳ないのですが……」 「構わねーよ。お嬢様にも理由がある、だろう?」 「……はい」  クルスは猪の目に刺さったままの短剣を引き抜いた。多少汚れているが、輝きは失われていない。軽く拭って腰に差すと、猪の亡骸に手を合わせ、祈る。 「じゃ、行くか」  声色は明るく、振り返ることもなく。クルスは来た道を辿った。  登りはあんなに時間がかかったのに――帰りはあっという間。死霊が出ることもなく、順調に進めた。途中、一晩過ごした場所で休憩を挟み、また黙々と下りていくと、やがて麓が見えてきた。  莉衣はミアの様子を見る。顔色は悪いままだが、足はしっかりと地を踏みしめている。心配なのは変わらないが、少し安堵した。 「おい」  クルスが振り返り、睨むようにミアを見る。 「何よ」 「これ、返す。使った分は報酬から差し引いとけ」  クルスがミアに差し出した、炎を巻き起こした赤い石――緋玉、と言っていた。 「……あげるわ。あと数回しか使えないと思うし……。あなた、使いこなせるみたいだしね。助けてもらったお礼……ということにしておいて」 「……くれるってんなら、貰うけど」  意外そうに、クルスは目を丸くさせた。返せと言われると思ったのだろうか。緋玉を見つめ、また前を向き、歩き出す。  ――少しは、お互いを知れただろうか。莉衣はクルスとミアを交互に見る。二人の間に、何かがあったのだろう。けれど、相容れないわけではないはずだ。二人とも、とても優しい人なのだから。  街に戻ると、一気に疲れが出てきたのか、莉衣は脚から力が抜けその場に伏せた。クルスに抱きかかえられ、ふきゅ、と高い声で鳴く。 「お嬢様、宿で休みましょう。消化のいいものを頼みますので……」 「やることやってからで大丈夫よ」 「いえ、まず先に食事を」 「……わかった。言う通りにします」  断固譲らない。そんなロベルトの意志を感じたのだろう。ミアは大きなため息を吐いて、頷いた。  ――空に木霊する笑い声が近づいていた。駆ける足音が響き、莉衣の耳がぴこぴこ動く。聞こえてくるのは、ミアが差し掛かろうとしている路地で――あ、と思う間もなく、飛び出してきた子どもがミアと勢いよくぶつかった。ミアはロベルトに支えられ、子ども――重量のある少年は尻餅をついた。  ミアは少年を見ると、きっと眉をつり上げる。 「ちょっと、いきなり飛び出してきたら危ないじゃない!」 「ひっ……ご、ごめんなさい……!」 「謝って済む問題じゃないわ!」  大声で叱りつけるミアに、少年は萎縮したように目に涙を浮かべた。その後ろには、数人の子どもたちもいて、同じように身を縮こませている。それほど、ミアの形相は迫力があった。  どうしたのだろう――らしくない。あんな風に、子どもに接するなんて。 「あいつ……また……!」  クルスが舌打ちをした。また、とはどういうことか。  少し乱暴に、クルスはミアの腕を掴んだ。 「おい、子ども相手に何してんだ。お前だって不注意だったんじゃねーのか」 「あなたに関係ないでしょ! 私はこの子に言ってるの!」 「怖がらせて何になるんだよ」 「……私が、あの子より小さな子どもだったらどうするのよ。身重の女性だったら? 足の悪い老人だったら? あなたは同じこと言えるの?」 「今ぶつかったのはお前だろーが。子ども嫌いなのか知らねーが、上から抑えつけるように叱ることが正しいとでも思ってんのか」  睨み合うクルスとミア。莉衣は助けを求めるようにロベルトに視線を送った。しかし、ロベルトはただ黙って二人を見つめているだけだった。止めようとも、宥めようともしない。なぜだろう――莉衣は小さな肉球を、クルスの顔に押し当てた。  ミアは緩んだクルスの手を振り払うと、くるりと背を向ける。ほんの一瞬、ミアの表情が曇ったような、そんな気がした。宿屋に入っていくミアの後ろ姿を睨んでいたクルスは、ハアと息を吐き、縮こまっている少年に手を差し伸べた。 「ケガはないか? 悪かったな、怖い思いさせて。あの女の言うことは気にしなくていい」 「……で、でも……ぼくより小さな子とか、赤ちゃんがいる女の人とか……足の悪いお年寄り、が……」  少年の顔が青ざめていく。自分の体型のこともあるからだろう。もし、を想像してしまったようだ。クルスはふと笑って、少年の頭を撫でた。 「なら、次から気をつければいい。できるな?」 「…………うん」  少年はほっとしたようだった。彼の友人たちも駆けつけ、ぺこぺこと頭を下げる。  クルスは、元気になった少年達に手を振って見送った後、解放感を味わうかのようにぐっと伸びをした。食事にするか、と背中を撫でられると、ゆるゆる、莉衣の尻尾が揺れる。 「クルス殿」 「ん?」  クルスに声をかけたロベルトは、神妙な顔をしていた。 「お願いがあるのですが」 「……お願い?」 「はい。追加の依頼です」 「…………」 「ハハッ。そんな嫌な顔しないでください。明朝、私の所に来てほしいのです」 「それ、断ってもいいやつか」 「お嬢様のこと、知ったにも関わらずそのことに触れようともしない……信頼ができます」 「面倒なだけだ」 「あれを知れば、お嬢様を利用しようとする者は多いでしょう。だからこそ、態度が変わらないあなたなら……と。戦闘力も申し分ないですしね。私には……お嬢様を任せられるくらい、信頼できる人間が必要なのです」  ロベルトは深々と頭を下げた。真剣な様子は、どこか気迫を感じる。とても丁寧な「お願い」のようで、有無を言わせない圧力――莉衣がたじろいでしまうほどのものがあった。しかし、その圧もクルスには効果はないだろう。関係ないと、断ることもできたはず。 「……ハァ。とりあえず話を聞くだけな」 「ありがとうございます」  そう、クルスは優しいのだ。莉衣は誇らしく、嬉しげに尻尾を揺らした。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加