二話 くらい家

1/2
前へ
/36ページ
次へ

二話 くらい家

 バスを降りて少し歩いた先に、パン屋「るぱん」が建っている。その前にあるベンチに、あさきは一人座っていた。脇には学生鞄と買ったばかりのパンが置かれ、手には、ソフトクリームが握られていた。「るぱん」には、たくさんの種類のソフトクリームが売られていて、あさきは「るぱん」を利用し始めてから、貼られた広告の左から順に頼んでいるのであった。今日は巨峰だった。ブドウ味に、牛乳を足したような味だった。 あたりは強い西日が射して、赤と黄色の光が、くらい陰を作りだしていた。  さっきから、学生たちが、何人も前を通り過ぎていく。あさきと同じ制服の子が大多数であったが、違う制服の子達もちらほらいた。二人から三人座れるベンチを一人で占拠し、足を投げ出したいつものスタイルで座っているあさきを、何人か興味深げに見ていく。しかし当のあさきは、彼らの残像を視界に流していくのみで、何の関心も払っていなかった。ソフトクリームはなぜ溶けてしまうのだろう、だから、食べなければならない、そんな事を思っていた。  通り過ぎてくはずの陰の内の一つが、手前で躊躇いがちに揺れて、それから小走りに駆け寄ってきた。内緒話をするようなそぶりだった。その見慣れた動きと気配に、あさきは反応し顔を上げた。 「あさき」  少しかがみ込んで、小声で話しかけてきた少女を見て、予想通りだと思う。見上げるあさきの無表情に、ほんの少し色がついた。 「さな」  あさきが呼ぶと、早愛は隣に座って問い返すように首を傾けた。脱色したての明るい金色の髪が、くらむように輝いていた。  彼女――小野田早愛(おのだ さな)は、あさきの幼なじみだった。二人は同級生でもあり、先ほどのラインを送ってきたのも、早愛だった。 ――遠いところで、ふたりで、やりなおそう――  あさきの手を取って、早愛が言ったのはもう一年も前のことになる。その言葉のとおりなのか、あさきと早愛は家から片道一時間半かかる、東峰高校に入っていた。 「電車、乗らないの」  小声で、確かめるように早愛は尋ねる。ソフトクリームが溶けだして、一筋コーンに軌跡を作った。あさきは、ソフトクリームのコーンを噛んだ。水分とブドウ牛乳味を吸って、やわらかくなっているそれを一口飲み込んだ。ソフトクリームは一度溶け出すと、一気に収拾がつかなくなる。しばらくソフトクリームを処理していたが、早愛が自分を見ていることがわかったので、あさきは一言、 「帰りたくないの」  と返した。早愛の眉がハの字に下げられる。あさきはまた一口コーンを噛んで含んだ。 「でも」  早愛が言いたいことはわかった。何度も二人の間でなされたやりとりだったからだ。早愛は何か言いたげに、口を開いて、両手を胸の前でもぞもぞと動かした。右手の指を左手でつまんでぐいぐいとのばしたりしごく。あさきは、ソフトクリームを全て流し込んでしまうと、もう一度口を開いた。 「まだ帰りたくない。早愛は帰りな」  西日は傾いてあたりは暗くなり出していた。早愛は視線をうろうろさせたが、あさきの膝元に、手をやると、口を開いた。 「沢谷って、最低だよね」  さっきより幾分、低くはっきりとして艶がのり、強い声音だった。あさきは、早愛を横目で見るが、また視線を戻した。 「あさきにあんな言い方するなんて。私も体育委員にさせられちゃったし――あいつ、本当に気持ち悪い。見た目も、しゃべり方も」  早愛は、堰を切ったように話し続けた。 「でも、クラスの皆も、大したことないね。皆ださいし、ブスばっかだし、本当、めいっちゃうよね」  ね、早愛はあさきの、ソフトクリームに取られていない方の手を取った。あさきの手を両手で広げるようにふにふにと握った。 「高校来たら、いいことがたくさんあると思ったのに。がっかりだよね。あさきもそれでいやなんだよね?」  あさきは、コーンを口の中に放り込んだ。口をもぐつかせつつ、べとついた指を口に含む。 「べつに」  あさきは咀嚼の途中で、一言返した。次につながるような間を持っていたので、早愛は黙った。 「変わらないよ」  どこだって別に。  飲み下すと、早愛の方を向いた。早愛は、すこし傷ついた顔をしていた。あさきは目を伏せると、立ち上がった。早愛は、首を傾げてあさきを見ていた。あさきは学生鞄とパンの袋をひっつかむ。 「帰るよ」  そこで、早愛は、あさきの行動に合点がいったらしい。あわてて自分も立ち上がる。春の夜の冷気とソフトクリームで少し身体が冷えていた。 「本当に、何であさきも私も、こんな目にあうんだろうね」  早愛が、あさきの隣に並び、歩きながらつぶやいた。 「本当に、あいつのせい。あいつがいなかったらよかったのに」  あさきは答えなかった。今度のは、自分ではっきりと選択した無言だった。  
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加