#4

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 カメラマンは青葉幹也と名乗った。立花が彼の遅刻を平身低頭して謝っているのに、当人はへらへらと頭をかいている。まるで母親と素行の悪い生徒だ。  実際、彼の外見もまた不良生徒のようだった。身長はやや小柄で、短く刈った髪をグレーに脱色し、耳にはシルバーのピアスがいくつも並んでいる。ここへ来る前に一服してきたのか、メントール系のタバコの匂いがする。彼が学生だったら、速退学だ。  予定より十分以上押したものの、取材は滞りなく進行した。学校の概要と特色を一通り紹介し、二人を伴って校内を一通り見て回った。立花は空き教室で自習をしている生徒に話しかけ、青葉がその様子をカメラに収めている。なんの変哲もない、平凡な取材にるはずだった。  二人についている間、赤川は冷や汗が止まらなかった。青葉から目を離せない。彼が何か言ったり視線があったりするたびに、心臓がビクッと引き付けを起こしそうになった。 (似ている……)  豹のようなすらりとした体型、彫りの深い甘い容貌、深く響く声、全てを見透かしているような、余裕めいた冷ややかな眼差し――青葉のどの特徴をとっても、夢の中の男にそっくりだ。微かにまとうメントールの香りにさえ、覚えがある。  ただ似ているだけか。そう思ったが、彼の右腕のタトゥーを見た時には飛び上がりそうになった。  右手の内側に彫られた、瞳のタトゥー――間違いない、彼は毎夜赤川をいたぶっている男だ。だが、なぜ夢の中の住人が現実に?  赤川は、額の汗を拭った。  これも条件反射というのだろうか、男のそばにいると、身体が火照って仕方がない。スラックスの下で股間が熱をもち、現実には触れられてもいない肉襞が疼いてくる。  パシャリ――青葉が、立ち話をする生徒たちに向けてシャッターを切った。カメラを構える彼の手は、指が細く、関節がごつごつとしていて、甲から肘にかけて色っぽい血管が這っている。  あの手で触れられたら、どんなに気持ちがいいだろう――夢の中のように、この身体を酷く扱って欲しい。後ろを奥深くまで抉って、音が鳴るほど強く尻を叩いてほしい。髪を掴んで、舌を引っ張り出して、それから―― 「先生?」 「――っ!」  すっかり妄想に浸っていた赤川は、呼びかけられて悲鳴をあげそうになった。青葉が、不思議そうに首を傾げている。 「大丈夫ですか? ぼうっとして」 「……すみません、少し考え事を」    赤川は咳払いをして青葉から目を逸らした。先生、なんて呼ばないでほしい。夢の中の彼は、そう呼んで背徳感を煽るのが好きだった。 「お手洗い行きたいんですけど、どちらですか?」 「それでしたら、この廊下をまっすぐ行って、右に――」 「あー、できたら案内してもらえます? ほら、俺って方向音痴だから」  わざとらしく肩をすくめる青葉に、赤川は渋面を作った。遅刻の時といい、図々しい男だ。なんとなく、幻滅する。  赤川は生徒と話す立花に断りを入れ、トイレへと向かった。人通りのない廊下を曲がり、立花たちから姿が見えなくなったところで、青葉にぐいっと腕を掴まれた。 「ちょっ――なんですか?」 「やっぱりだ、……あんただろ?」  青葉の言葉に、息が止まった。とっさに視線が泳ぐ。 「……何のことですか?」 「とぼけるなよ、あんたも俺を知ってるくせに」  ぐっと背中を壁に押しつけられ、赤川は顔を歪めた。さっきまで澄ましていた青葉の目は、興奮で色づいていた。 「見た瞬間分かった。あんた、毎晩俺の夢に出てくる男だろ?」 「は……?」    まさか、という言葉が喉元まで出かかった。自分が、彼の夢に? 信じられない。 「あ、あなたも、あの夢を見るんですか?」 「も? てことは、あんたの夢には俺が出てくるのか?」 「すごい、すごいぞ!」と青葉は今にも飛び跳ねそうなほど興奮している。一方、赤川は目眩を感じ、立っているのもやっとだった。  夢の中の男が、まさか実在しているなんて――ということは、彼は赤川の痴態を知っているのか? あの醜く、いかがわしい姿を――  昨夜の淫らな夢の記憶がよみがえり、全身が羞恥に染まった。 「なあ、あんた。今日この後空いてる?」  青葉は、ぐっと顔を寄せた。白い八重歯をむき出しにするその顔は、さながら生肉を前にした肉食獣のようだった。 「え……何が?」 「何がじゃないよ。せっかくこうして会ったんだ、やることは決まってるだろ?」  ちらり、と彼の唇から、真っ赤な舌がのぞいた。 「ずっと、現実であんたを犯したいと思ってたんだ。あんたのいやらしい尻を、可愛がってやるよ」  かーっと頭に血が上った。目の前が、一瞬で怒りに塗りつぶされる。 「な、何言ってるんですか! やるわけないでしょう、馬鹿馬鹿しい!」 「は?」  青葉は、きょとんと目を見開いた。まるで赤川の方が、非常識だと言わんばかりに。 「あ、あんなものはただの夢です。今日会ったばかりのあなたと、なんであんなことを……」 「何言ってるんだよ、先生。俺とあんたは何度も会ってるじゃないか……夢の中で」  耳元に甘く囁かれ、ざわっと腰の奥が揺らめいた。  彼の吐息は麻薬みたいだ。正常な思考が、ぐずぐずに溶け出しそうになる。すぐにでも屈服したい。赤羽の本性が、そう叫んでいた。 「先生、あんたは俺の理想の男だ……あんたみたいに綺麗で、泣かせ甲斐のある男に、俺は会ったことがない。あんたといるだけで、ほら、こうなってる」  青葉は赤川の左手を股間に押し当てた。細身のジーンズの下で、硬く、熱を持った塊が息づいている。感触だけでも伝わってくる猛々しさに、赤川は息を飲んだ。 「あんたもそうだろう? 先生、あんたの夢を現実にしてやるよ――」  彼の手が、熱を持った股間に触れた。その瞬間、「やめろ!」と赤川は手を振り払った。 「ば、馬鹿なことを言うな! あんなこと、するわけないだろう……」  絞り出した声は、怒りと羞恥、そして恐怖とで震えていた。彼を欲しているのと同じくらい、強い怯えが全身を包み込んでいる。  ここは夢の中でもなければホテルでもない。職場、それも神聖な学び舎だ。こんなところを生徒に見られでもしたら、赤川の教員人生は終わる。教壇から追放され、社会での居場所を失うだろう。 「夢の中では、何をしたって構わない。でも、現実では駄目だ。あなたと妙な関係を持って、誰かに知られでもしたら……私は、ここにいられなくなる」 「……はあ、」  青葉は、心底落胆したようにくしゃくしゃと頭をかいた。さっきまでらんらんと輝いていた瞳が、暗くうち沈んでいる。 「がっかりだ……せっかく、夢の中の男と会えたのに」  軽蔑が混じった青葉の視線に、胸がちくんとした。臆病者――彼から言外に、そう罵られているような気がした。 「夢の中のあんたは、もっと素直で、自由だったよ。そういうとこ、すごく好きだったのに……」 「…………」  程なくして、立花が呼ぶ声がした。青葉は冷ややかな眼差しを残し、彼女の元へ向かった。
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