【10:東雲勇介は他人の心が見えない】

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【10:東雲勇介は他人の心が見えない】

 その日は朝からかなり熱っぽかった。 「どうする? 今日は学校休む?」  母さんにはそう言われたけど、学校に行ってるうちに熱も下がるだろうと思って、登校することにした。  だけどかなりボーっとしていたから、教室に入るまで俺は違和感(・・・)に気づいていなかった。 「あら、おはよう東雲(しののめ)君。相変わらず朝から、パッとしない顔をしてるのね」  自分の席に座ろうとしたら、今朝も隣の席の無表情な伏見から、いつもとまったく同じセリフで迎えられた。  うるせぇよ。  俺は毎日この顔だ。  まるでルーチンのごとく、俺は心の中で言い返して着席した。  そして一時間目の国語の教科書をカバンから取り出す。  隣の伏見には興味がないふりをして、教科書を開いて目を通す。  ──んん?  今日は伏見のヤツ、静かだ。  あ、いや本物の伏見はいつも静かなんだけど、ホログラム……つまり伏見の心の中は、いつもはワーワーキャーキャーうるさくてかなわない。  まあ今日は俺も体調が悪いし、静かにしてくれているのは助かる。  そうは思ったけど、授業が始まってもずっと伏見は静かなままだった。 「じゃあこの、小説を読んで人物の心情を読み取る問題だが……」  国語教師が配ったプリントを手に、何か言ってる。 「選択肢1から4のどれが正解か、隣の者とディスカッションしてくれ。選んだ理由も、ちゃんとディスカッションするんだぞー」  はぁっ?  ディスカッション?  隣の者と言えば……伏見京香。  チラッと横を見たら、伏見が冷静な顔で俺を見てる。  だけどいつもなら聴こえて来そうな、いやーん勇介君とお話ができるー、なんて声が聞こえない。  とうとう伏見は、俺に冷めてしまったか?  ちょっと焦って伏見をよく見たら、いつも隣に立ってるホログラムがいない。  なんで?  どこかへお出かけか?  ──なんてバカなことを考えたけど、教室内を見回したら、誰のホログラムも見えない。  も……もしや……  他人のホログラムが──心の中が見える能力がなくなった!?  うっわ!  やっべぇ!  マジか!? 「何をキョロキョロしてるの、東雲(しののめ)君?」 「あ、いや……別に」 「じゃあ早くディスカッションを始めましょう」 「そ、そうだな……」  そうだ、落ち着け、俺。  これが普通の状態だ。  今までが異常だったんだ。  でもここ数日、ずっと他人の心が見えてたから、急に見えなくなるとめちゃくちゃ不安だ……  特に伏見京香。  コイツは表面上と心の中が凄まじく乖離している。  コイツの心中が読めないとなると、特に不安が大きい。 「まずは選択肢だけど、東雲(しののめ)君は何番が正解だと思うのかしら?」  伏見は、さも自分はわかってるような態度だけど……  今までのパターンからすると、きっとなんにもわかっちゃいねぇに決まってる。  この問題は、ある小説の一節を読んで、登場人物の心情を推察するっていう、まあよくある問題だ。  主人公の男の子が発したちょっとしたセリフから、彼がヒロインの女の子に対して抱く感情はなんなのか、っていう問題。  1から4番の選択肢に、それぞれ主人公の心情が書かれてる。  その中で、どれが主人公の心情として正しいのか? 「そうだな……4番だ。百パーセント間違いない」  伏見は片眉をピクっと上げて、口を開きかけたけど、何も言わない。  コイツにとっては、意外な答えだったのか?  いつものパターンから伏見の心中を察すると……  うっわー、すっごーい、私全然わかんなーい!  ──ってとこかな? 「ふーん……間違ってると思うわ」 「へっ?」  ──意外だ!  極めて意外なリアクションだ。  ちょっとマジな顔で、伏見に否定された。 「じゃあ伏見は、何番だと思うんだ?」 「そうねえ……それは言えない」 「なんで?」 「だってすぐに答えを教えたら、東雲(しののめ)君のためにならないもの」  おおーい!  お前は俺の家庭教師かよーっ!  それに今まで、俺はお前のポンコツな不出来を、どんだけ助けたと思ってるんだよ!  伏見の顔をじっと見たら、ふふんと鼻で笑ってる……ような気がした。  うーん……  今まで見えてた心の内が見えないと、こんなに不安が大きいとは…… 「でもさ、伏見。お前の意見も聞かないと、ディスカッションにならないだろ?」 「えっ? そ……そうね、おほほ」  やっぱりコイツ、ポンコツだ。  何も考えてなかったに違いない。 「わ……私は2番だと思う」 「なんで?」 「だって……2番の答えが、この男の子が女の子に対して、一番優しい気持ちだもの」 「へっ?」 「この男の子は、優しい子だって設定でしょ?」 「あ……ああ、そうだよ。だけど伏見……」  それは一番みんなが引っかかる、間違いの答えだ。 「それは違う。正しい答えは4番だ」 「なぜ?」 「こういう問題は、この人物はこういうキャラだから……って深読みをしちゃダメなんだ。問題に出てる文章で、必ず根拠となる記述があるものを選ぶ。それがセオリーだ」 「セオリー?」 「そうだ。伏見の選んだ2番が主人公の心情だって裏づける記述はないだろ? でも俺の言う4番は、ほら、ここの文章から、間違いないとわかる」 「……」  俺が根拠となる部分の文章を差す指先を、伏見は無言のまま見つめてる。  俺は文章問題から目線を上げて、彼女を見た。  なんだか泣きそうな顔で、唇を結んでる。  いったい、どうしたんだろう?
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