6人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
人間×天使
1日目
「ちっす、天使です」
「は?」
***
深夜もど深夜。高層マンションから見下ろせる夜景には、都会故にこの時間でも煌々ときらめく明かりもいくつか見えるが、もうほとんど闇に呑まれてしまっている。職業柄この時間に帰宅するのはそう珍しくない。
佐渡樹(さど いつき)、27歳。テレビや舞台、様々な場面で俳優を名乗ってもう長い。
長年キープしているハーフアップの長い黒髪は色っぽく、つり目がちな一重の瞳は雄々しい魅力を爆発させるとどこかの雑誌は謳った。ちなみに写真特集が組まれたその雑誌は即完売だった。そんなこんなで世間様にそこそこの知名度を得ていると樹は自覚している。ドラマにCM、バラエティまで、佐渡 樹という男を見ない日はないと言われるほどだ。
国民的彼氏との異名もいつからか使われだしたが、ここ十数年休みらしい休みもなく働き続けていたためかスキャンダルを恐れすぎたがためか…実際のプライベートではパートナーと言える人物の影かたちもなく、毎日静かな部屋に「ただいま」を響かせるだけだ。
だから今日も樹は「ただいま」をピカピカに磨き上げられた床に染み込ませ、服を脱ぎ捨てシャワーを浴び寝巻に腕を通した。
そうして日が昇り始める前にそろそろ寝るかと腰をあげたところだった。
「よ…っと」
明らかに自分ではない人間の声が耳に入ったのだ。
思わずバッと樹は振り返った。
街並みが一望できる大きな窓のすぐ手前に立っていたのは、
Tシャツにジャージのズボンというとんでもなくラフな格好をした若い男だった。
咄嗟に樹はスマホを手にし、24時間対応の警備会社に連絡を入れようと構えた。
そこでやっと視線に気づいた若い男が顔をあげて、両者の視線が交差する。
「あ」
「………」
「ちっす、天使です」
「は?」
「あ、もしかして通報しようとしてます?やめてくださいよ~」
「………」
「無視はつらいっすね」
とんでもない男の登場に眉をしかめたまま動かなくなった樹。
そんな彼の手元を指さして不法侵入者(仮)はぺらぺらと喋る。
「そもそも通報してもどうにもできませんよ。俺、天使っすもん」
「だから、それが…」
「だって、ここ何階だと思ってんすか?」
さも樹の方が困ったちゃんかのように「やれやれ」といった表情で男が言う。
それにむっとして樹は思わず言い返す。
「そうだ、23階だぞ。どうやって来たんだ。窓も閉まってるっていうのに」
「も~しかたないっすね~」
てってれ~とふざけた効果音を口で奏でながら、男が背後に回した手をごそごそと動かし、両手で抱えられる程の物体を取り出してきた。
ごつごつとした金属がむき出しで鈍色に光りいかにもメカ的だ。
「飛行装置『誰でもぐんぐん飛べる君』~」
「…そこは翼とかじゃないのか」
「お、意外と天使って話信じてくれてるんすね」
「そうじゃない」
「『誰でもぐんぐん飛べる君』はですね~、こう、このベルトを腰に巻き付けて~」
天使と名乗りながらあまりにちぐはぐな装置の登場で口を滑らせた樹。
飄々とした表情でそれを指摘してくる男にこれでもかと顔をしかめて否定するが、そんなこと知ったこっちゃないとでもいうように男は装置の説明を始めている。
とはいえ、そんな付けただけで空を飛べるような装置は樹の知る限り存在しない。空を飛べるのは現状鳥か飛行機か…男が言うようなものが開発されていたら大ニュースだろう。
「現代にそんな便利なものはないぞ」
「だから天使って言ってるんじゃないすか」
「そんな本物かどうか分からないものだけで信じろという方が無理があるだろ」
「なんすか、なんすか。そんな子供に対するみたいにして」
思わず床に向かって大きなため息を吐くと、今まで飄々として表情を変えなかった男がぷくっと頬を膨らませて不満を露わにしてきた。呆れた態度が気に食わなかったらしい。
もうっしょうがないっすね!とひとりでぶつぶつと言いながら、男はスタスタと樹の元に近付いてくる。
なんだ?と眉根を寄せる樹の横で立ち止まったかと思うと、回れ右をして唐突にストレッチを始めた。ますます困惑を深めた樹は物理的に男から距離を取る。
「いくっすよ!」
ストレッチが終わったらしい男が、そう叫ぶと、なんと窓に向かってすごい勢いで走り出した。
「おいっ!」
反射的に樹は精いっぱい手を伸ばし、裏返った声を上げる。
ぶつかる…!そう思って目を剥いた樹。
するり。
男は何事もなかったかのように窓の外のベランダに立っている。
目を見開いて全てを見ていたはずの樹は何が起こったのか分からなかった。
心持ち胸を張った男が『窓をすり抜けて』また部屋の中に入ってくる。
あの全力疾走要らなかったんかい、なんてツッコむ余裕は樹にはない。
「俺、天使なんすよ」
「…わかったよ…」
最初のコメントを投稿しよう!