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心のダイナミクス性がSubだと分かったのは七歳の時で、一般的には少し早いが、早すぎるということもなかった。
子どものころのPlay欲求などかわいいもので、おすわり、と言われてその場に座り込み、良い子良い子と頭を撫でられれば幸せで、十分満たされた。
変化が訪れたのは、中学二年のときだった。
ちょうどDomとSubの性分化が顕著にあらわれてくる年頃で、不安定な子どもも多く見られる時期だった。
クラスにコントロールの効かないDomの男子生徒がいて、Subの女子生徒に脱げというCommandを使った。
同意なくCommandを行使するのは、強姦と同じで違法行為だ。
まして教室という公衆の面前で辱められた年頃の女子生徒が平常心を保てるはずがない。
心は、ショックのために何もない空間を見つめて茫然自失としている彼女を見て、怒りで眼前が真っ赤になった。
信頼関係もなく強引にCommandを使用されたりGlareを浴びせられたSubは、強い疲労感や虚無感に襲われSub dropという状態に陥ってしまうことがある。
彼女の状態はそれに近かった。
心は線が細くてきれいな容姿のわりに喧嘩が強く、小学校からずっと悪ガキたちの中心的な存在だった。
その男子生徒も、その日までは心の取り巻きのひとりだった。
しかし彼は制御できなくなったGlareを撒き散らし、心に対してもCommandを発令した。
そして動けなくなった心を見ると、急に顔つきが変わった。
心は一方的に、気を失うまで暴行された。
学校では、Dom性とSub性は対等で、どちらかに優劣があるものではないと教える。
そして誰もがいつか、おとなになれば信頼のおけるパートナーと出会えるのだと夢を見た。
しかし現実は違うということを、その日、心は思い知った。
Subは支配される側でDomは支配する側だ。
選ぶのはSubかもしれないが、Domはそれを無理やり行使しようとしまえばできてしまう。
そしてSubはそれに抗えないときがある。
信頼関係が成り立つはずなど、ない。
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