第四章 龍と人

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「あ…… あの者…… 竜巻まで起こせると言うのか。野分と(いくさ)をせいと言うのか」 「家康様! 早く!」 「何だ、まだおったのか。さっさと逃げれば良いものを」 「この本多平八郎忠勝、生きるも死ぬも家康様と一緒と誓った身! 蜻蛉切でせめて蜂の一刺しでもくれてやらねば気が済みませぬ」 「彼奴にはどんな名刀や名槍だとうと、効きはせぬよ。大砲や投石機(かたぱると)も意に介さん」 「ならもう逃げるしか!」 「我が死んでも、秀康に秀忠がおる。そうさな…… 秀康は我と同じで聡明だ、家臣からすれば色々と(まつりごと)に口を出して鬱陶しいかもしれん。将軍にするなら秀忠だな、あれは家臣の言いなり操り人形となる」 「こんな時に何を!」 「この家康、龍と戦って死んだと言うても御伽噺にしか思われないだろう。後世には『鯛の天麩羅(てむぷら)』に当たって死んだと言うことにして貰おう。その方が後世も笑ってくれるだろう」 「家康様!」 「まぁ、こんな笑い話でも伝える後世があるかどうかは分からんがな」 その時、龍が動き出した。その真紅の瞳は天守閣にいる家康を睨みつけ、浮き上がったままゆっくりと前に進み始めた。 「一気に炎や雷で江戸の街を消し去ればいいものを…… 遊ばれておるな。戦上手(いくさじょうず)と言われたこの徳川二郎三郎家康も舐められたものだ」と、苦い顔をした瞬間、一羽の伝書鳩が家康の肩に止まった。家康は足筒より手紙を出す。 「ほう、紀尾井坂にて手筈が整ったか」と、言いながら家康は口角を上げ、白い狼煙を上げた。白い狼煙は「よしなに」の合図である。紀尾井坂の上にて待機中の武士(もののふ)達は合図を確認し、横一列に並べられた多くの大八車の上に重量のある樽を乗せていた。 「まさか、金山から金より欲し集めていたものが役に立つとはな。備えあれば憂いなしとはよく言ったものだ」 家康は予てより江戸の街に臥龍丸が攻めてきた時の戦い方を考えていた。海上に現れた臥龍丸に向かっての大砲と投石機(かたぱると)の波状攻撃で終われば幸いと考えていたのだが、九牛の一毛に過ぎなかった。それに困惑を覚えながらも江戸の街に入り込まれた後の籠城戦に考えを切り替えていた。それも予てより考えていたことである。 龍は進軍を重ね、紀尾井坂の真下へと辿り着いた。その刹那、真下に設置していた数え切れない程の筒より火球が打ち上がる。火球は花火。蒼穹を泳ぐ龍に大輪の花が一斉に襲いかかる。江戸の街の花火大会で行われる見て楽しむ類の花火ではなく、火薬の量を増やし作り上げた「当てて殺す」ことを目的とした花火である。
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