夜を渡る者

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夜を渡る者

『夜渡り人』とは俗にいう吸血鬼だ。 彼らは陽の光を浴びるとその身は焼かれ、灰になって消えてしまう。 夜を歩き、夜を渡る。 人の血を啜り薔薇の香りを好む、人とは違った生き物。 彼らは自分たちを高貴な存在だと信じ、人を食料として見ていた。 彼らはその美しさと不思議な力で人を魅了し、人の血を啜り生きてきた。 ずっとずっと長い時間そうやって生きてきた。 それは永遠に続くのだと思っていた。 だけどある男によってあっけなく終わりを告げる事となった。 夜渡り人は人を食料としてしか見ていなかったが、その脅威を充分に理解していた。 この関係は一方的なものではなく、幾つかの決まり事が存在していた。 血を貰う代わりにその代償を支払うのだ。 そして、ひとりに執着しない。人を夜渡り人へと変異させる事を禁ずるもの。 相手がいる者に性的な事は決してしない。人の敵意を煽らない為。 もらう血の代わりに渡す見返りは、金品や人の力ではどうにもできない病気や怪我を治したりなどだ。 それに加え魅了で夜渡り人への人々の嫌悪感や恐怖心を畏怖の念へと変えていた。 それがあるからこそあり得た共生だった。 なのにある夜渡り人がひとりの人間の女に恋をした。互いに想い合う関係であっても問題なのに、その女には事故で視力を失った恋人がいた。 夜渡り人は女の耳元で囁いた。「私ならあなたの恋人の失ったものを完全に取り戻す事ができますよ。あなたが私の物になると言うならね―――」と。 女はそれが決まり事に反する事だと分かっていた。自分の身を犠牲にする事への抵抗も愛する男の為ならと一瞬も迷う事なく夜渡り人の手を取った。 ある夜、男は不思議な気配と首筋にちくりと刺すような痛みを覚えた。が、虫か何かだろうと思いそのまま寝てしまった。 翌朝目覚めると、世界が明るく見えた。失ったはずの視力が戻ったのだ。 男は大喜びで愛する女の元へ駆け出した。 だがどこを探しても女を見つける事はできなかった。 男は昼夜を問わず女を必死に探した。歩き回り靴がボロボロになっても探し続けた。 そうやって半月が過ぎた頃聞こえてきた女の行方。 女はある夜渡り人の情婦になったという話だった。夜渡り人に騙されたのだ。 たとえ男の視力を戻したとしてもそれは一度の吸血のみでよかったはず。 夜渡り人は決まりを破って女を手に入れたのだ。 男の大事な大事な恋人だった。結婚する約束をしていた。 こんな眼なんかの為に恋人に犠牲になんかなって欲しくはなかったのに。 こんな眼が見えないくらいなんだと言うんだ。愛する恋人と比べるべくもないのに。 どうして、どうして?という想いとそれ以上に女を騙し、自分から愛する人を奪った夜渡り人への憎悪が激しく灯る。 ―――――男は夜の世界を壊した。 夜渡り人が陽が沈むまで潜む館に陽を入れ、夜渡り人たちを灰へと帰した。 光の中で舞う灰を見つめながら男はぎゅっと拳を握りしめていた。 夜渡り人はこんなにも弱い存在だった。 なぜもっと早くこうしなかったのかと男は悔いたが、共生関係にあり沢山の恩恵を受けてきたのだからしょうがない話だった。 男はこれでやっと恋人が自分の元に戻ってくると思っていた。傷つき苦しむ愛しい恋人を自分が癒し愛すのだ。 だが――――恋人もまた灰となって光の中に舞って消えていった。 夜渡り人と情を交わし、人から夜渡り人へと変えられていたのだ。 項垂れ嘆き悲しむ男の耳に聞こえて来たのは赤ん坊の泣き声だった。 夜渡り人と人の子か、夜渡り人に変化した後にできた子かは分からなかったが、その子が彼女の子であると男には一目見て分かった。笑った顔が彼女によく似ていた。 ――――それが僕。 僕は最後の『夜渡り人』だ。 男はその事を隠し、村の外れで僕と二人だけで暮らした。 だから僕は知らなかった。自分がどうして生まれたのか、父親だと思っていた男が僕の両親を殺したのだという事を。 それから月日が流れ、男は老いていくのに自分の姿は変わらない。その事に違和感を覚えたがそれを男に相談する事はできなかった。 そしてその頃からなぜか人々が男の目を盗んで僕の元を訪れるようになった。そしてその首筋を晒し願い事を言うのだ。 子どもの僕に到底できそうもない願い事。 そして口にした『夜渡り人』の事。母と、父と思っていた男の事。 ああ、そうか。だから僕は男にちっとも似ていないし、男の時折見せるどこか責めるような視線に胸がざわざわと騒ぐのか。 初めての吸血はその男だった。歳を取り筋張ったその首に牙をたて、血を啜る。男は苦しむでもなくどこか慈愛に満ちた顔で僕の事を最期まで見つめていた。 結局僕は10代の子どものままの姿で成長は止まり、永劫の時を生きている。 仲間などいない。あの男が殺してしまったから…。そして僕もあの男を仲間にせずに殺してしまった。 幸いにも僕は陽の光を恐れない。そういう意味では本当の『渡り人』とは言えないかもしれないが、どちらにしても人とは違う生き物である事は確かだ。 容姿は美しく年を取らないからひと所に居続ける事はできないが、たまの吸血衝動をうまくやれば人に紛れて生きていく事ができた。 僕はそうやって生きてきた。これまでも、これからも。 僕はひとり。ずっとずっとひとりぼっち。 どんなにお節介で自己犠牲が強くてもお前はではない。 なぁ、そうだろう?伊吹。
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