はじまり

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はじまり

月の光に照らされて、上半身裸の僕の薄い唇には飲み零した赤い血が僕の唾液と混ざり合い、固まる事なくテラテラと輝いていた。 僕の瞳は片方だけが赤く染まり、その中にそれよりも更に真っ赤な薔薇が一輪浮かぶ。吸った血が僕の身体を巡り、花を咲かせるのだ。 辺りにたちこめる血と薔薇のむせ返るような甘い甘い香り。 それは鼻腔からだけではなく毛穴のひとつひとつからも僕の中に入って来てゾクゾクとした快感が全身を駆け巡っていく。 はぁああああ……たまらない。 恍惚とした表情を浮かべる僕を見つめるあいつに、わざと赤い舌を見せ唇をゆっくりと舐める。 その間もあいつから目は離さない。 あまりの事に動けないで固まったままでいるあいつに、挑戦的な態度でニヤリと笑ってやった。 さぁ本性を見せてみろよ。 お前だってこんなところ見たら――――。 ***** 「そう言えば聞いたか?最近●●公園に不審者が出るらしいぞ。ヒースは男だけど綺麗な顔してるんだから気を付けた方がいいな。そいつが捕まるまで暗くなってからの一人歩きは止めとけ。もし、どうしても用事があるなら俺に言えよ。俺が何とかしてやるからさ」 と、まるで父親のように子どもに言い聞かせるみたいに言うのは、高倉伊吹(たかくらいぶき)。クラスメイトで親友で、幼馴染みという事に男だ。 伊吹の家は両親が共働きで忙しく、家の事は長男である伊吹が全てやっていて、中学生の双子の弟の面倒もずっと伊吹一人がみてきたらしい。伊吹は確かに長男だけど弟たちとは三歳差で、そんなに年齢が離れているわけではない。だけど性格なのか長男としての責任感からなのか今でこそ高校三年生と何でも一通りの事ができる年齢だが、伊吹が小学生の頃から家の事や弟の世話をやっていたというのだから苦労もあったと思う。 だけど、その事を言うと伊吹は決まって、 「別に苦労なんてねーよ。弟たちはそりゃあ手はかかるけど俺は兄貴なんだから弟の面倒みるのなんか当たり前の事だし、兄ちゃん兄ちゃんって懐いてくれて可愛いしさ、両親が働いてるのだって俺たちの為なんだから長男の俺がやれる事やるのってなにもおかしな話じゃないと思うけど?まぁでも、心配してくれてありがとな」 って笑って僕の頭をぽんぽんと優しく撫でるんだ。どこまでも保護者気取りかよ、と内心ムっとするがいつもの事なのでにへっと笑ってすます。 それを見て伊吹は一瞬変な顔をするけど、すぐに何事もなかったように別の話題を振ってくる。 僕は伊吹の事が苦手だ。 こいつの世話焼きは筋金入りでさっきの家族の話もそうだけど、目を離すとすぐ誰かの世話を焼いているそんなヤツだった。 こいつを知る人間はみんながみんな「伊吹はそのうち『月とうさぎ』に出てくるうさぎになるんじゃないのか」って言う。『月とうさぎ』、簡単に言えばお腹を空かせた老人に食べ物を用意する事ができないうさぎが、自身を火に投じて食料になるという話。その後がいい話なんだけろうけど、この際そこは問題ではない。 伊吹はまさにそれだと言いたいのだ。他者の為には自分のどんな犠牲をも厭わない。 だけど僕は内心そんなの嘘だって思っていた。 誰だって自分の事が一番可愛いし、どんなに綺麗事を言ってみても最終的には自分の為に動くんだ。 だからきっと伊吹だって何かがあった時、自分を優先させるに決まっている。 そう、たとえば弟たちと一緒に居る時に出会ってしまったなら、あんなに可愛がっている弟たちでさえ置いて自分一人で逃げる―――――伊吹だって例外ではない。 そう思っていた――――。
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