ろくでもない人生と、ろくでもない幸せ【短編】

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◇◇◇  辞書で調べた『幸せ』の定義。  ①運が良いこと 「災難だったな」 「災難?」 「引っ叩かれたんだろ?」 「あぁ。でももう赤くないから平気」 「商売道具なんだから気をつけないと」 「うん、ごめんね」  道生(みちお)の頬の腫れは確かにひいているようだが、触れると右頬に比べて左頬は少し熱を持っていた。  道生は長いまつ毛を瞬かせて俺を見る。放っては置けない、そう思わせるどこか虚無的な表情で。  道生は役者でよくカルト系の映画に出て、モデルもしている。三〇過ぎているのにその表情は少年のように透き通って妙にアンバランスで、顔がいい。だから引っ叩かせるなら顔以外がいい。  俺は道生の幼馴染でマネージャーをしている。  今日、昼前に迎えに行ったら、百合、いる? と聞かれた。半分はまだ綺麗だからって。半分の安穂に踏まれた百合はキッチンのゴミ箱に無造作につっこまれ、残りの綺麗な百合は流しのボウルに無造作につっこまれていた。 「ねぇ、こっちの捨てた百合の方がいい匂いがするんだ。こっちも踏んだ方がいいのかな」 「お前はどうしたい? 匂いを嗅ぎたいなら踏めばいいし姿を姿を愛でたいならそのまま眺めるがいいよ」 「どちらもいらない。いらないよね?」  何かを考えようとしている道生の背中を叩く。道生は百合と自分を混同し始めている。安穂め。今日は仕事だっていうのに道生をぐらつかせやがって。不幸中の幸いは今日の仕事が美術モデルであることだ。安穂もそれを知ってて引っ叩いたんだろうけど、本当に引っ掻き回してくれる。いや、引っ掻き回してるのは道生の方なのだろう、けど。 「大丈夫、いる。いるから。この世にいらないものなんてない」 「そう?」 「うん。それより昼飯作ってやるから着替えろ」 「わかった」  のろのろとシャツを羽織る道生を眺めながらフライパンでケチャップライスを作り、薄く焼いた卵を乗せてカットしたトマトとキュウリを添える。 「頂きます」 「召し上がれ」 「美味しい」  簡素なテーブルに肘をつき、もぐもくと食事を口に運ぶ道生を観察する。大丈夫、かな。厳密にはよくわからない。心なんて見えないんだから。
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