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「結婚したい」
「うん」
「誰だったら結婚してくれるかな」
「そうだなぁ。少なくとも今は安穂は無理だよ。プロポーズはもう三回目だろ?」
「うん」
「その度にブチ切れられてるだろ? 安穂にとってお前は家族で見知らぬ男」
「家族なら結婚してもいいのでは」
ルームミラーを覗くと道生はぼんやり窓の外を眺めていた。
この丘を回ると画家のアトリエだ。涼やかな竹林に囲まれた道を入って一旦車を止め、インターホンを押して門扉を抜ける。車のドアを開けた途端ジージーと蝉の声がして汗が垂れたが、後部座席から出てきた道生の周りはやはりどこか涼やかで竹の葉が形作るサラサラとした影がその表面で揺れていた。
古い日本家屋を改造したその家は天井板が取り払われ、太く黒い柱が直接ずしりと高い天井を支えている。応接の隣がアトリエで、今日は道生は合計四時間モデルをする。道生は早速画家とアトリエに消え、俺は低い籐のソファに座りながら時間が過ぎるのを待つ。
道生のマネージャーは副業だ。本業はライターだからどこでだって仕事ができる。だからフラフラした道生の面倒を片手間でみている。放っておけない。電源を借りて仕事をしていると、冷えた緑茶の氷が溶けてガラスの縁にぶつかりカランと奇麗な音をたてた。
途中休憩をはさみ、お手伝いさんが用意した茶菓子を道生と二人で摘む。今日は片手を上げるポーズだったらしい。道生はぐるぐると右肩を回していた。画家は今もアトリエにこもり、道生の絵を描き続けている。この後道生はもう一度アトリエに戻り、六時前ぐらいには今日の仕事は終わるだろう。
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