ろくでもない人生と、ろくでもない幸せ【短編】

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 道生は一年半ほど前に事故に遭った。もらいの追突事故だった。半年ほど意識不明の時間を過ごして、もうダメかとみんなが思った時、幸運にも目を覚ました時にはここ二〇年ほどの記憶を失っていた。  幼馴染の俺はその圏外だった。俺が覚えられていて自分が忘れられていることに安穂は随分切れていた。だが覚えられているといっても存在が辛うじて記憶に引っかかっているだけで、失われたことは変わりない。  道生は事故に合う前も役者をしていて、役者としては平凡で顔が良かったから女にモテた。今はとても非凡で顔もいいがモテてはいない。目を覚ました道生は人間性を特別なものと認識しなくなっていた。道生にとって人間というのは世の中でたくさん存在する生き物で、それぞれの価値の相対性が失われていた。喜怒哀楽も情動の動きとしてしか感じられず、喜びと怒り、哀しみと楽しみは同じものとしか認識できない。  命は大切で喜楽は怒哀より好まれるべきという認識はあるものの、真の意味で道生にとって生命の価値は平等で、感情に差異を見出せない。というか区別がつかないのだと思う。  だから安穂も道香ちゃんも俺もそのへんに歩いている老若男女も等価で、相手が喜んでも怒っても悲しんでも楽しんでもその違いがわからない。それが発言の節々から漏れている。つまり誰かを特別と認識することも感情に共感することもできない。だから道生に結婚という特別を作る行為は向かない。まぁ、安穂がブチ切れる理由はそれとは別なのだけど。  ともあれ道生が『結婚』したいだけで自分を大切にするつもりがない、ということが相手に即バレする。しかもこの顔だからなぁ。他に女を作るとでも思われるんだろうな。 「結婚ねぇ。俺も結婚してないけど困ってないよ」 「そっか」 「他に方法はないの?」 「わからない。幸せになりたいだけ。結婚すると見つかるかなと思って」 「そうか」 「それから誰かと一緒にいたい。そういうものかなと思って」
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