ろくでもない人生と、ろくでもない幸せ【短編】

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◇◇◇  辞書で調べた『幸せ』の定義。  ②その人にとって望ましく不満がないさま  道生は無意識に事故前の生活を追いかけている。でも喜怒哀楽が同価値の今の道生の隣に誰かいたとしても『幸せ』が発生すると思えない。少なくとも相手に不満がないとは思えない。そんな道生の結婚がうまくいくとは思えなかった。  仮に誰かと結婚したとして、そのこと自体に道生は満足するのかもしれないが、相手はドライに割り切ったのだろうから、外から見ると道生が幸せになったようには見えないだろう。相手が喜んでも悲しんでも同じにしか見えない生活は想像するに痛々しい。そんな姿は見たくない。だから俺は道生じゃなく俺のために道生に結婚して欲しくない。  誰かといたいならもっと単純に同居人ではだめなのかな。 「幸せってどこにあるんだろう」  ぽつりと溢れる幸せに応える言葉を持っていなかった。  道生を家に送り届けて最後にコーヒーを入れる。少し甘めのエチオピアの華やかな香り。この香りは俺に幸せを運ぶ。この幸せを飲み切ったら、俺はこの家を出る。 「瑤はコーヒーを飲むと幸せなんだよね?」 「そうだな」 「今幸せ?」 「まあな」 「飲み終わったら幸せではなくなるの?」  丁度コーヒーは空になる。道生の中では俺は幸せでなくなったのか。愉快だ。幸せと不幸せの区別もついていない。 「これ以上飲むとぶくぶくになって不幸になる。……前みたいにお前と酒が飲みたい」 「そうなの?」 「わからないけど、その時幸せだった気がする」  道生は今は酒が飲めない。事故で色々変わった。今の道生は前の道生と違う。だから俺も安穂も道生との付き合い方を少し変えた。だけど道生はもとの記憶がないから何も変わらない。それは誰かにとって幸せだったり不幸せだったりすることなのかな。 「酒を飲んだ記憶がない」 「そうだな。じゃぁ、また明日迎えに来るよ。だから生きてて」 「わかった。お休み」 「うん」  パタリとドアを後ろ手で締めて鍵を閉めると道生は部屋の中に閉じ込められた。虫かごの扉を閉めたみたいだ。なんとなくそう思う。見上げた空には辛うじて北斗七星が輝いていたけど、そのほかの星は街の灯りでかき消されている。  なんだか妙に感傷的な気分になる。俺もつられて色々無くしたのかな。道生と酒を飲む時間とか。
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