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「最も安定する姿勢は、体を完全に起こし、腕を水平に伸ばした状態よ。腕と体で『T』の字を作るポーズね」
ソラと手をつないだまま、ぼくは腕を水平に伸ばす。
「それじゃあ、手を離すよ……」
ソラがゆっくりと手を離していく。最後まで握っていた中指の感触も消えた。ぼくは完全に空中で一人となる。
「……ふう、結構バランス取るのは大変だね」
「え! なんで?」
ソラがぽかんと口を開けた。
「普通は浮かぶだけで何日もかかるのよ! しばらくの間、わたしが師匠として偉ぶるつもりだったのに……」
「ちょっとソラさん……心の声がもれてるよ」
運動神経抜群の子ならまだしも、運動音痴で不器用なぼくが、どうして普通の人よりうまく浮かんでいられるのだろうか。もしかして――、
「ぼくは運動音痴だけど、バランス感覚だけはいいんだ」
「そっか! ランド・セイルはバランス感覚が一番重要なの」
幼稚園の時、誰よりも早く補助輪なしで自転車に乗れた。体育の授業中、平均台から落ちたことは一度もない。
まさか、こんな時に役立つなんて。
「よし、このまま飛んでみる」
「腕は少し下げて、『ハ』の字を作るイメージで。体はゆっくり前へ倒してみて」
ソラに言われた通りにすると、ぼくの体がまっすぐ前に進みはじめた。
「すごい……これは期待以上の逸材かも」
ソラの声が途切れた。どうやらぼくの有り余る才能に言葉を失ったらしい。
ぼくって天才かも。今日という日は、ランド・セイルの神童が誕生した記念日として後世に語り継がれるだろう――と思っていたら、
「あれ? 体が回転して……おろろろっ!」
突然、ぼくの体がドリルみたいに回転しはじめた。空気を切り裂くような風切り音が聞こえる。なんだこれ! どっちが上か下かも分からない。
「すごい! 初心者とは思えないスピードよ」
「驚いてないで、助けてくれよ!」
「おっと、いけない。早くストップと唱えて。安全装置が働いて着地できるよ」
ぼくは急いで”ストップ”と唱えた。すぐに体の回転は止まり、ゆっくりとグラウンドに着地する。
ふう……安全装置があってよかった。あのままグルグルと回ってたら、胃の中のものをグラウンドにまき散らすところだった。
「カケル。さっきのはいい感じだっだ」
「……そんなわけないでしょ」
「スピードだけね」
ソラがクスクスと笑った。
たしかにスピードは出たけど、あんな回転した状態でまともに飛べるわけがない。
ソラは腕を組み、何かを考えはじめる。
「浮かぶこと自体は、バランス感覚が重要。思い通りの方向に飛ぶにはツバサのコントロール――つまり腕を繊細に動かすことが大事なんだよね。となると原因は……」
その話の流れ、すごく嫌な予感がするぞ。
ソラがぼくの顔をジッと見つめる。
「ねえ、カケル?」
「何?」
「もしかして、ものすごく不器用だったりする?」
「……」
「ちゃんと答えて」
「……はい、ものすごく不器用です」
ぼくは、遠い目で澄み切った青空を見つめる。
今日という日は、普通の小学五年生がはじめて空を飛んだという、ひどく個人的な記念日となった。
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