追憶

2/3
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
◇◇◇ あの子がうちへやってきたのは、十五年ほど前の、こどもの日だったでしょうか。白地に牛柄のような黒の水玉模様が入った段ボールに、ちょこんとあの子は大人しく入っておりました。 その頃のあの子は、まだミルクチョコレートのような濃い茶色の毛で、これが歳をとるにつれて、次第に薄く、まるでミルクを混ぜた紅茶のような色になっていったのですが、その毛のやわらかさは極上で歳をとってもほとんど変わりませんでした。 さて、あの子がうちにやって来た頃の思い出というのは、実は、ほとんど覚えておりません。それは私が幼かったせいか、それとも、今のように性能のよい写真機のついた小型の電子機器がなく、簡単に思い出を目に見える形で残しておくことができなかったせいか、あるいは、その両方か、などと考えても、時は戻りませんので、致し方ありません。けれども愛情がなかったということはない、ということは申し上げておきます。 僅かに覚えていることは、あの子はまだ子犬だったので、檻の中でほとんど一日寝ていて、学校から帰ると、あの子と遊びたさに起きるのを檻の前でずっと待っていたことくらいでしょうか。それと、その頃のあの子は足が短く、後ろ足で立っても、ようよう階段の段差ひとつ分になるかならないかくらいだったことしか思い出せません。 それが一年経つや経たずやのうちに、みるみるうちに大きくなって、足はすんなりと長く伸び、筋肉のついた、まるで小鹿のような体つきになったのですから、まったくもって子犬の頃の面影というのは残りませんでした。 歩き方も、あの子はいわゆる小型犬の部類だったのに、それらしい歩き方はしないものでしたーーつまり、ちょこちょこと忙しない足の動かし方はせず、気取ったパリジェンヌのように一歩一歩が大きく、走るときはまるで小鹿のように跳ねて走っておりました。 したがって、あの子が家の中を走り回ると、どしんどしんと、とても小型犬とは思えない足音が響きました。そう言ってからかった日さえあります。けれどもそれが消えた今となってはひどく静かで、寂しささえ感じます。 春夏秋冬、折々にそんなあの子との思い出があります。春には花見、夏には水浴び、秋には秋の味覚を一緒に味わい、冬には雪の日にともに雪遊びをし、一年一年重ねてまいりました。よくあの子は私の布団に潜り込み、冬はお互い寒かったので、布団の争奪戦を繰り広げたものでした。 そうしてこれは、数少ない写真を見返しているうちにわかったことではありますが、若い頃のあの子と、晩年のあの子とでは、顔つきが全然違うのです。 晩年のあの子は、子犬でないとわかっていても、誰もが愛らしいと評価するような顔をしていたのです。それがあとから写真を見返すと、若い頃の顔は、特別不細工とも申しませんが、身内の贔屓目をもって可愛いと言える程度ですから、どこかで取り違えでもしたのかと、疑ったことさえありました。 が、これはおそらく、ことあるごとに「可愛い」「可愛い」と手放しに褒めた結果なのだと、最近は考えるようになりました。可愛いと言い続けると、人間の子だって自尊心が育つものだから、それは犬とて変わりがなかったのでしょう。 それから、あの子は大変丈夫だったので、病気らしい病気はしませんでした。時折、食べ合わせが悪かったのか、お腹を壊すことはありましたが、だいたい1日もするとケロッとして、病院に行く頃には「異常なし」と言われることがほとんどでした。 だから病院の先生のお世話になったのは、本当にあの最期の瞬間だけだったでしょう。十五の誕生日を迎えた数日後、めっきり弱々しくなり、食事もほとんど食べなくなり、病院に通って点滴を打つよりほかにどうしようもなくなったあの子は、そうして半月も経たないうちに、私たちに看取られて息を引き取りました。桜が満開になる、ほんの少し前の時分のことでした。 本当にあの子は、最期の最期まで手のかからない、すこぶる良い子でありました。世間ではよく家具を壊すだの、壁紙を剥がすだの、台所で盗み食いをしただの、ごみ漁りをしただの、そんなことをよく耳にしますが、あの子はそんなことをしなかった。 時折、忙しかった私たちの気をひこうとしたのでしょうか、仮病を使うことはありましたけれども、それもやがてしなくなりました。仮病を使うと、あの子にとっては苦痛を与える場所でしかない病院に連れていかれると、どうやら学んだようで、それだけに賢い子だったと思います。 おまけにあの子が死んで、ちょうど三月ばかり経つ頃、人でも四十九日が過ぎれば遺骨を墓に入れますが、さて、あの子の遺骨をどうしようか、立派な動物霊園にやるか、などと考えていたところに、ちょうど家の花壇ーー少しばかり広く、木々が植わっていたところを改装するなどという話が持ち上がり、であれば、木々を植え替えるついでにあの子の遺骨をその花壇に埋葬することに落ち着きました。 あの子の遺骨を埋葬し、木々を植え替えた花壇は、空間を贅沢に使って低木や香草を植えた、まさにあの子に相応しい愛らしい花壇になりました。もしやあの子はこうなることを知っていて死期を選んだのではないかとさえ、最近は思います。そうだとすれば、あの子は本当に賢い良い子であったのでしょう。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!